ここ数年のコロナ禍で、人類はすごく不自然な環境下にあったと思われます。

ウイルスに感染することは遺伝子的には人類の進歩であり、スマホで言えばアップデートであり、新しい機能を獲得するチャンスでもあります。
また、発熱現象は免疫を誘起する行為であり、定期的に行われるオーバーホールですし、発熱訓練は野球で言えばノックを受けるのと同じです。

傷寒に罹るたびに、抗ウイルス薬を使い感染現象を落とし、解熱剤を使い発熱を抑える行為は、練習をサボった高校球児と一緒で、試合(今回のようなコロナ禍)では役に立ちません。
生き残れるかどうかは、9回裏2アウトでエラーしないでゲームを終わらせられること。
感染することはその為の大切な訓練なのです。

ウイルスへの抵抗力が高まっていれば、内在しているウイルスと共存して行けるわけで、そこが損なわれると共存できなくなります。
そう、帯状疱疹です。
癌もそう。
免疫担当細胞が癌細胞をパトロールできるかどうかにかかっているわけです。

またウイルスは同時にパンデミックは起こしません。
キャパシティーは決まっているので、片方のウイルスがパンデミックを起こせば、もう片方は静かにしか流行れません。
そうするとここ数年、従来型のコロナやインフルエンザに接触するチャンスも少なく、当然免疫対応(訓練)する機会も少なくなり、練習不足の高校球児になり下がります。

肝心なのは、何故、世の中からインフルエンザウイルスが、夏越えても、コロナ禍でも無くならないのか?というと
キャリアに近い無自覚者、いわゆる夏でもひそかに罹っている人がいるから、ウイルスは居なくならないのです。
知らずか、ごく軽い症状の範囲で罹っていて、それが甲子園へむけての練習になっているとしたら。
適度に罹る方が良いわけで

分かりやすく言うと、1800年前の傷寒論に、そういうことが書いてあるんです。

こんなブログを書き始めたら、ツイッターで小児学会の「小児への新型コロナワクチン摂取の推奨」って目に飛び込んできて、驚きを隠せませんが、
まあ普通の医者は傷寒論なんて読みませんから、学びようも無いわけで。
勝手にこうつぶやくのが関の山なんですけどね