退院して、数日が過ぎた。

仕事も無くなったし、このままボーッとしててもな……。何かやらないと……。
しかし、相変わらずの《安定剤効果》で、頭も身体も、すこぶる鈍い。

ゆっくりと冷静に、これまでを振り返ってみた……。
結局、俺は何がしたいのだろう?  世間の人達からは《ロックンロールに狂って潰れていった、憐れなヤツ》としか、思われてない。バンドも抜けた。家族にも、会えなくなった……。

また、悶々としはじめた。いい加減、この性格もなぁ………。嫌になる。
紙に、自分のやりたいことを、いくつか書いてみた。でも、どれもこれもみな、1人ではできそうにない。
そこで《発想の転換》をしてみた。俺1人では《やれそうにないこと》を、やってみようと思った。それは《レコーディング》だ。
メンバーは、いない。俺にできるのは《唄うこと》と《下手なギターを弾くこと》ぐらい……。

でも、だからこそ、やってみよう。失敗してもいい。どうせ、失敗だらけの人生だ。

《テンジ氏》に連絡をとった。《テンジ氏》は、古くからの友人で、ファーストアルバムのレコーディングも、エンジニアとして携わってくれた。
俺は、事情を説明して、思いを伝えた。彼は

『レコーディングは、相当な精神力が必要だから……。』

と、俺の身体を気遣って、躊躇していた。でも俺は《今》じゃなきゃならないと訴えて、理解してもらった。

数日後、レコーディング開始。
スタジオは《俺の家》……。たくさんの《思い出》が詰まったこの部屋で、《家族の空気》を感じながら、録りたかった。
安定剤で、うまく動かない頭と身体。何もかも失った男……。シチュエーションは、バッチリだ。

『法太君、始めるよ!』

『OK!』

《俺が思うよりも  ずっと深い傷なんだね……》

体調が崩れるのが先か……。
完成するのが先か………。
身体が重い。指が、思い通りに動かない。
しんどい、とてつもなく………。

『法太君、OK!』

『お疲れ様。ありがとう。』

眠ってしまった。よほど、疲れたんだろう。


数日後、CDが完成した。
ジャケットも、いい感じだ。
限定で、30枚だけ。時間も予算も、無かったから。でも、できた……。

《諦めない心》は、まだまだ潰されていなかった。
《俺の中》に、唯一、残ってくれたもの……。


最後のLIVEも終わり、ある意味、音楽に対する《失望感》を抱いたまま、新年を迎えた。

そんな頃、大下さんから誘いを受けた。
実は、大下さんはベースを弾いていて、バンドもやっている。大下さんの暮らす地域の《新年会イベント》があり、大下さんのバンドが出演するらしい。
ところが、バンドのサイドギターの人が、腰を痛めてしまい、参加できないと。そこで、俺を誘ってくれた。

町内の、公会堂みたいな場所でやるのかと思ったら、俺が、最後に唄ったホールだった。

俺も1曲、唄えることになり、ベン・E・キングの《スタンド・バイ・ミー》を唄った。

あとは、ずっとリズムギターに徹した。
悪くないな、こういうのも……。

翌月の診察日。処方された薬が、少しキツいものに変わった。
実は、俺は再び、不眠状態が続いていて、仕事にも行けなくなってしまっていた。

新しく処方された薬を飲んで、布団に入る。
しかし、眠れない。
いったい、何が原因なんだろう?どうしても眠れない。

ウトウトしていたのか、気が付けば朝……。
日中に服用する薬を飲むと、フラフラで何もできない。
仕方なく受診。すると、主治医から入院を勧められた。病状が悪化することを、心配してのことだろう。

『またかよ……。』
《嫌気がさす》と言う言葉が、ピッタリな心境だった。
しかし今回は、一般閉鎖病棟には1週間ほどだけで、すぐに、開放病棟に移った。

開放病棟に移り、2日ほど過ぎた頃……。
前回の入院中に、少し仲良くなった患者さんから、例の少女が《自ら命を絶った》と聞いた……。悲しかった……。
でも、それ以上の感情は、湧いてこなかった。いや、寧ろ《虚しさ》と言うか《人は何故、いとも簡単に死を選び、命を絶ってしまうんだろう?》と言う《疑問》が湧いてきた。

俺だって、何度《死》を考えたことか………。
少女の場合、《鬱病》と言う、病気のせいもあったんだろう。しかし、今の世の中《自殺者》は、増加傾向にあると、新聞に書いてあった。

《死》の反対は《生》……。《生》に必要なのは《希望》だと思う。では《希望》とは……?
様々な出来事に打ちのめされ、心を病んでしまった者が《希望》を抱くのは、並大抵のことじゃないと思う。どうすれば………。

今、振り返ってみれば、そんなことを考えはじめたこと自体、《希望を抱いていた》と言うことなんだろうと思うが、如何せん《病気》を患っていた俺には、そんなことに気付くはずもない。

《どうすれば、人は希望を抱けるか?》
それが俺の《入院中のテーマ》になった。
少女の冥福を、毎日毎日、何時間も祈りながら、ずっと《希望》についても祈っている、俺がいた。

入院中、脳のMRI検査が、また行われた。あの、造影剤の注射は、いつも気持ち悪くなる。主治医は、脳の萎縮の進行を心配していた。

結果を聞きに、診察室へ行った。
主治医が、不思議そうな顔をして、2枚の画像を見ている。

『先生、俺の脳、悪くなってますか?』

『………。』

『先生。どうでしょうか?』

『いや……。本当に不思議なんですが、前回の小脳の萎縮が、一般的な《健常者レベル》に戻ってるんです。そんなこと、有り得ないことなんですが、画像を見ると、ハッキリしてるんです。』

『先生、俺は検査の前に、けっこう水を飲んだから、そのせいですかね?』

『そんな冗談、いりません!』

怒られた。でも俺は、本当にそう思ったんだが………。

『退院しますか?』

『そうですか。』

『いやいや、こっちが質問してるんです。』

『ええ……。そうします。』

正直言って、その頃の俺は《場所》なんて何処でもよかった。
《希望を抱くには?》と言うテーマと、少女への祈り……。
それが俺の《すべて》だったから。

最後に主治医から

『あなたは《アダルト・チルドレン》です』

と言われた。ようするに、《子供のままの部分が多い》と言うことだろうか…?

あっさりと《退院》してしまった俺。
また《振り出し》に戻ったわけだ。
でも、前回の退院した時とは違い、かなりポジティブになっていたようだが、その頃の俺は、そんな《自分の変化》に、気付いてなかった。

《少女の死》と言う《悲しい出来事》は、俺に《祈り》を、思い出させてくれた……。
ありがとう…………。

大工の仕事をさせてもらえるようになって、数ヶ月が過ぎた。
身体も慣れてきて、体力・気力ともに、けっこう良い感じだ。

美雪と中也にも、月に1~2度は会えるようになり、ある意味《幸せ》だった。


ある日の仕事帰り、偶然、バンドのメンバーに会った。
よくよく考えてみれば、バンドはハッキリと《解散》したわけではなく、俺も《脱退》したわけでもなく、ようするに《宙ぶらりん》の状態だったことに、あらためて気がついた。

それぐらい、当時の俺の頭は、記憶力低下もひどく、まだまだ《正常》とは言えない状態だったのかもしれない。

『元気か?』

『はい。法太さんも、元気そうですね。』

『まあな。』

なんだかんだと話すうちに、もう一度《LIVEをやろう》と言うことになった。当然、俺は唄い続けるつもりで生きているし、今の感触なら、重たいものも背負ってないから、肩の力を抜いて、唄えそうだ。

何度か、みんなでリハーサルをして、感覚を確かめた。
《イケる!》そう思った。

1ヶ月後の、LIVE当日……。

『どうも。お久しぶりです。』

LIVE前半は、俺1人で唄った。入院中に創った、あの2曲……。
今の俺を知っている人達は、皆、泣いていた……。

そして、バンドとしてのLIVE。
あっという間の2時間だった。
打ち上げも、参加せずに帰宅。不思議と、そんな気分じゃなかった。

仕事とLIVE。そして《家族》と……。充実した毎日だった。

ある日、メンバーの1人から、単発ではあるが、《大阪ツアー》の話があると聞いた。
久しぶりの、違う街でのLIVEだ。とても楽しみだった。

LIVE当日。大阪の友人達も観に来てくれた。
約、1時間のステージを終え、楽屋に戻った。
観に来てくれた友人が、俺に言った。

『なんか、ただの《上手いバンド》って感じになったね……。寂しいなぁ……。』

と………。

そうなんだ……。
俺が入院する直前、バンドのメンバーとの間に感じた《隔たり》は、《熱を感じない》と言うことだった……。
小手先でプレイするメンバーに、ある意味《失望感》を抱いたもんだ……。

やっぱり、何も変わってないんだ……。
俺が、変わっただけなんだ……。

気が抜けた。
しかし、翌月のLIVEが、クリスマス辺りのスケジュールで決まってる……。

翌月のLIVE……。
《脱力感》に包まれたまま、ステージに立った………。

《これで、俺がこのメンバーとやるのも、最後だな………。》

そう感じた……。

エリック・クラプトンの《Tears in heaven》を、ギターのメンバーに弾いてもらい、唄った。

あとは、ほとんどオリジナル曲をやることもなく、俺が好きなグループの、カヴァー曲だけをやり《最後のステージ》は、幕を閉じた……。

これで良いんだ。俺が創ったバンドだけど、俺が脱退しよう……。