レギュラー出演の仕事も無くなり、とりあえずは、バイトの毎日。
食っていくためには、仕方ないことだ。

でも、LIVEのほうも、なんとか考えなきゃな。


ある夜、行きつけの居酒屋で飲んでいたら、お客さんが少ないせいか、店の大将が、《店を閉めて飲みに行こう》と言い出した。
あまり、気乗りはしなかったが、とりあえず2人で出かけた。

着いた店は、昔、知人に誘われて、よく飲みに行ってた店だった。店内には、ドラムセットやエレキギター等、様々な楽器が置いてある。

久しぶりにマスターと会って、《最近、LIVEはやってるのか?》と聞かれ、これまでの《事の成り行き》を話した。

黙って聞いてたマスターが、

『この店で、やってみるか?』

と言った。

俺は、即座にOKしたが、レギュラー出演としてではなく《単発のLIVE》として、お願いした。

レギュラー出演でやったって、毎回、お客さんが来てくれなきゃ、店に迷惑がかかるし、結局は、辞めざるを得なくなる。

それならいっその事、ここでのLIVEを最後にし、暫くは、病気の治療に専念して、《再開の下準備》をするのも悪くない。

2ヶ月後、LIVEを開催した。
カウンター席しかない店内には、18人しか座れない。
ところが、30人以上のお客さんで、溢れかえった。

『こんばんは。お久しぶりです。』

言葉もなかった。

バンド時代からの曲、ソロになってからのオリジナルやカヴァー曲など、25曲以上を唄った。

LIVEは、大盛況の大成功だった。


翌日。
すべてのギターの、弦を外した。

とにかく、治療に専念しよう。それが一番の《近道》かもしれない。
不安は大きかった。でも、そうすることが《ベストなんだ》と、自分に言い聞かせた。


第二部  四章  ~完~
月1の、レギュラー出演のLIVE。
ほとんど《アカペラ》に近い状態のLIVE。

それでも《唄える》という喜びは大きく、機材がほとんど無い状態のほうが、寧ろ、お客さんとの《距離感》を縮めてくれた。
毎月が《大盛況》というわけではなかったが、長年、俺を応援してくれてる人達が、毎月、通ってくれた。
時々、見様見真似で、キーボードを弾いてみたりもした。俺は、音符がまったく読めないので、1音1音、音を拾って練習した。


そんな中、また《レコーディング》をしたくなった。バンドの頃とは違い、集まってリハーサルをする必要もない。寧ろ《感情》を、剥き出しにすることができる。

さっそく、テンジ氏と連絡を取り、レコーディングのスケジュールを決めた。
タイトルは《大切なガラクタの山たち》。
そう、今の俺に残されたものは、周囲から見れば《ガラクタ》ばかりなんだろう。

でも、そんな《ガラクタたち》が、俺にとってはとても、大切で………。

レコーディングもスムーズに進み、今回は3曲入り。
発売日も、来月のLIVEには間に合いそうだ。

ところが………。

翌月、LIVE先の店のオーナーから、信じられない話を聞かされた。
今月末で、店をたたむと………。

『またかよ……。』

どうしてこうも、うまくいかないんだろう………?

今さらながら、自分の《宿命》を怨んだ。

《Don't let me down》
本当に、自分の《運命》に対して、そう思っていた。
限定30枚のCDを、HPで発売したところ、意外にも、多くの注文があり、受注の段階で、限定枚数では足らなくなった。

急遽、テンジ氏に連絡をして、追加プレスをお願いした。

HPやメールで、幾つもの励ましや、応援の言葉をいただいた。
そして、言葉の最後には決まって《また唄ってほしい》と、書いてあった。
素直に嬉しかった。でも、これまで出演してきたLIVE HOUSEやホール、会場とは、既に関わることをやめていた。

今さら《お願いします》とは言いたくないし、言ったところで、そこに良い思い出は、ない。

LIVEがしたい……。日に日に募る思い。
どこか《唄える場所》が欲しい……。


ある日、1本の電話が鳴った。
相手は、中華レストランのオーナーだった。誰から聞いたのかは知らないが、俺の唄を聴かせてほしいと……。
中華レストランと唄……。《何のこっちゃ?》と思いながらも、ギターを抱えて店に行った。

店に入ると、意外に広い。しかし、唄うと言っても、機材なんて何もない。
オーナーと、これと言った話をするでもなく、とにかく唄ってくれと言う。またまた《何のこっちゃ?》と思いながらも、1曲、唄った。

オーナーは、泣いていた。そして、この中華レストランで、月1回のレギュラーとして、唄ってほしいと………。

《場所》が見つかった……。
やっと《唄える場所》が見つかった……。

《I WANNA CHANGE》……。
もっともっと、強くなりたかった。
変わりたかった。