2年ぶりのLIVEも終わり、本気で職探し。
バイトはしているものの、これまでと同じような【建設・建築関係の仕事】ではなく、職種を変えて、腰を据えてLIVE活動をしたい。

建設・建築関係の仕事は、どうしても知り合いが多いので、ある程度の仕事を任されてしまう。これからは、そういう面ではあまり、労力を使いたくない。その時間を、音楽に使いたい。
この際、食えたらいい。給料の多い、少ないは、どうにでもなると思った。

酒屋の配達の仕事を見つけ、面接に行った。
幸い、これまで働いていた人が辞めて、《明日からでも来てほしい》とのこと。給料は安いが、ずっと働ける。これで、なんとかやっていける。


年も明けたある日、仲のいいラーメン屋の大将が《知り合いに作詞家がいるので、紹介してやる》と。ローカルではあるが《作詞家》として食っている人らしい。ジャンルは違うが、何かの《きっかけ》になればいいと思った。

数日後の夜、ラーメン屋の大将から電話があり、

『今、例の作詞家が店に来てるから、音源を持っておいで。』

と。
俺は、CDを持って店に行った。そこにいたのは、60歳ぐらいの男の人だった。
一通り、これまでの経緯を説明して、CDを聴いてもらった。
その後、その作詞家が言った。

『よし!この町でLIVEをやろう!僕がプロデュースするから、早急に会場を押さえて!』

と。俺は快諾して、店を後にした。


翌日、作詞家に会場を仮押さえしたことを、電話で告げた。予算をもらわなきゃ、確実に会場を押さえられない。ところが………。

『予算は、キミが出しておいてよ。それと、ポスターやチケットの印刷代も必要だから、用意しておいて。あと、当日は、僕の書いた曲を唄ってる歌手にも出演してもらうから、その子のギャラ、それと《僕のギャラ》も、忘れずにね。キミはね、僕がキミのことを《ダメだ》と言えば、この世界ではもう、無理だからね。』

………。言葉を失った。
どこが《プロデューサー》だ???
すべてを俺に任せっきりで、自分は《ゲスト》気分じゃないか!
とんだ《イカサマ野郎》だ!

俺は、LIVEの話をすべて《白紙》に戻した。

ちょっとだけ期待した《ホールでのLIVE》の話は、立ち消えた。
仮押さえした会場だけが、虚しくそのまま残った。


『キミはね、僕がキミのことを《ダメだ》と言えば、この世界ではもう、無理だからね。』

か………(笑)
うるさいって(笑)
俺は、今でも唄ってるよ(笑)

色々と悩んだが、知り合いの店で【2年ぶりのLIVE】をやることにした。

音楽から離れて2年。【リハビリ】と、これからの未来への【準備期間】と決めて、生きてきた。
【リハビリ】といっても、特に何かするわけでもなく、ただ、バイトと【規則正しい生活】の繰り返しだけ。本当に【リハビリになっているのか?】と、悩み、不安でいっぱいになったこともあった。
しかし、言い換えてみれば、それほど《唄う》ということが、俺の人生の中で、大きなウエイトを占めていた証拠、ということ。

そういえば、この町で初めて【弾き語り】を体験したのも、たしか、こんな感じの店だった。お客さんの数も、数人だけだった。
もちろん、コマーシャルなんて誰もしてくれない。チケットの作り方、売り方さえ解らず、右往左往するだけだったよなぁ………。
思い出し笑いが出た。あの頃は《若かった》じゃなくて、本当に《蒼かった》よなぁ……。
喧嘩と薬に明け暮れて、まともにギターも弾けないのに、勢いだけで《弾き語り》だもんな(笑)   
でも、確かに《生きて》た……。

あれから、20年ぐらいの《時》が過ぎた………。

失ったものが、大き過ぎて、多過ぎて………。

だけど、いつまでもカビ臭い人生なんて、冗談じゃない。唄うことで、少しでもあの頃のような《希望》が持てるなら、もう一度《その場所》へ行こう。諦めることは、いつだってできる。

今回の《2年ぶりのLIVE》も、あの頃のように、ポスターやチラシなんかのコマーシャルはしない。チケットも作らないし、売らない。
すべて《口伝え》だけ。そう、心に決めた。

昔の音楽仲間は、鼻で笑うヤツもいた。
《LIVEをなめてる!》と、罵ったヤツもいた。

でも、関係ない。俺が、そうしたいんだから。



LIVE当日。

思ったとおり、お客さんは10数人。
うん……。これでいい……。

『どうも、こんにちは。お久しぶりです。』

ゆっくりと、本当にゆっくりと、LIVEは始まった。
一言一言、確かめるように、噛みしめながら唄った。

あっという間に、1時間半ぐらいのLIVEは終わった。

残って、お客さんと話してると、他のお客さんから

『こんなLIVEで良かったん?』

と聞かれた。

『うん。ありがとう。』

そう……  これで良かった。俺は、そう思った。
周囲がどう思おうと、俺は《歩き始めた》んだから……。

暗い部屋で膝を抱えていても、何も変わらない。
《陽のあたる場所》へ……。
《変化》は、すぐには目に見えないけど、着実に《前》へ……。

誰でも、諦めさえしなければ、必ず《その時》がやってくるよ……。
逃げさえしなければ……。
いや、たとえ逃げても《振り返る勇気》があれば……。

第三部  一章   ~完~。

浜茶屋での、まるで《異国間交流》のような、1曲だけの、飛び入りLIVE。

10日ほど、様々なことを考えた。

バンド時代、LIVEをするのに《躊躇する》なんてことは、まったくなかったし、ソロ活動を開始した時も《LIVEをやること》に、思い悩むなんてことはなかった。
常に《何のため》か、病気になるまでは、自分では理解できていたと思うし、とくに、ソロになってからは《唄い続けること》が、自分の《生きている証》のようだった。

時の流れとともに、様々な出来事を経る度に、《唄うこと=生きること》が、少しだけ、歪んでしまったみたいだ。
なんとなく、そんなふうに感じていた。


俺は、女性が酒を注いでくれる、BARやSNACKと言う類の店が嫌いだ。
理由は、幼い頃に母親が、そういう店で働いていたこと、ヤクザの頃、自分でも2軒の店をやってた経験からだ。
しかし1軒だけ、この町に流れ着いた頃から、仲の良いママさんがやってる店がある。

なんとなく、その店に飲みに行き、今の状況や、俺の気持ちを話した。すると、ママが俺に言った。

『法太君、この店で唄ってみる?』

『なるほどね……。考えてみるわ。ありがとう』

帰り道、代行の運転手の世間話も聞かず、カーステレオから流れる、17歳の頃から大好きな、THE STREET SLIDERSの《のら犬にさえなれない》を、何度もリピートして聴いてた。

最後のコインは  何につかうのさ?
最後のコインで  何が買えるのさ?
遊びすぎた夜は  いつも誰かを思ってる
Baby   のら犬にさえなれないぜ

最後のダンスは  誰と踊ろうか?
最後のダンスで  誰を誘おうか?
浮かれすぎた夜は  いつも背中にのしかかる
Baby   のら犬にさえなれないぜ


部屋に帰り、ママに電話をかけた。

『今夜は、ありがとう。LIVEの件やけど、させてもらってええかなぁ……?』

『うんうん!やったらええやん!やりたいように!』

『ありがとう。おやすみ。』

電話を切って、冷蔵庫にあった缶ビールを飲みながら、なんとなく表へ……。

タバコに火をつけて、夜空を見上げた。
満月とは程遠い月が、少しだらしない形で、俺を見てた。