ラジオ出演や、新聞の取材……。
俺が感じていた【不安】は、的中した。

様々なメディアに取り上げられることで、【草の根】のスタッフや、イベントに出演してくれてたバンド、俺のバンドのメンバーからでさえ、見事な【勘違い】をする連中が現れた。

たしかに、メディアに取り上げられることで、バンドは、そこそこ知られる存在になっていった。しかし、それはただ【小さな街での出来事】に過ぎないし、曲が売れたとか、そんな話じゃない。
ところが【俺は有名になった】と、思い上がった連中は、引き抜きのようなことをして、自らの仲間を作り、俺達のもとを離れていった。
こうなることは、じゅうぶん予想していた。だから極力、取材やなんかは断ってきたのに……。困ったもんだ。

メンバーが去っても、LIVEを止めることはできない。すぐにメンバーを探し、LIVEをやり続けた。

数ヶ月が過ぎ、なんとか今のメンバーでやっていけそうだと感じた俺は、いよいよ、レコーディングをすることにした。
オリジナル曲は、たくさんある。レコーディングは、お客さん達の【CDが欲しい】と言う、要望でもあった。
俺の曲が【CD】と言うものになれば、一体、どんな形になるのか……?  とても、楽しみだった。

そして俺には、レコーディングをするにあたって、もう1つの【テーマ】があった。
それは………。

この街は、【引き揚げの街】だ。終戦後、敗残兵達が引き揚げてきた場所だ。
【戦争】と言う、人間としてもっとも【愚かな行為】で、国の命令とはいえ、アジアの人々に、筆舌に尽くせない苦しみを与えた。
だから、日本で暮らす韓国の人やフィリピンの人に、レコーディングに参加してもらいたいと言うことだ。
それを、どうしても【実現】させたかった。色んな人達に声をかけ、集まってもらった。
レコーディングには、かなりの期間を要するだろう。
でも、やり遂げたい、どうしても。

【そろそろ始めるか……】
そう決めた矢先、とんでもない【悲劇】が、俺達を襲った。

この一件以降、まるで【荒野】に放り出されたような月日が続き、バンドはまるで【難破船】のようになった。
【アルミ缶リサイクルLIVE】から【チャリティーLIVE】へ……。

少しずつではあるが、着実に【進化・変化】していく俺達。
ラジオ放送に出演したり、いくつもの新聞社の、取材を受けたり……。
結局、断りきれなくなってしまったから……。

俺のスタートは【唄いたい】と言う感情から。
そこから、色んなことに繋がっていっただけのことだ。だから、取材で色々と聞かれても、所詮は【やりたかったから】と言う言葉しか、出てこない。
そんな俺の、取材中の態度が素っ気なく映るのか、いつも変な気を遣われる。だから取材なんて、極力は避けたい。でも、そうもいかない時もある。
この手の関わりは、正直言って疲れる。


街はそろそろ、クリスマスムード。あちこちの店に、クリスマス用の飾り付けがしてある。こんな小さな街でも、クリスマスともなると、少しは賑やかな夜だ。久しぶりに、メンバーの1人と、ぶらぶらと街に出る。まぁ、こんな夜もありだ。

ゆっくりと話しながら、2人で酒を飲んだ。
やれ、STONESの【スタート・ミー・アップ】がどうしただの、The Whoの【ヒート・ウェーブ】がどうしただの、みたいな。

飲んだ帰り道、コンビニに立ち寄った。缶ビールでも片手に、ぶらぶら歩きたかったからだ。
そこで偶然、養護施設の園長と会った。

何故か、缶ビールで『乾杯!』みたいな話になって、コンビニの前で男3人で飲んだ。
なんだかんだと話してるうちに、園長が、

『学園の子供達が、クリスマスに【チキンを食べたい】と言うんです。でも、子供達にささやかなプレゼントを買ってあげると、チキンを買ってあげるまでの予算が無いんです……。市に、相談してみたんですけど、ちょっとね……。』

と。
バーガーショップとかに売ってるチキンが、1つ¥200ぐらいだから、子供達80数人分で、約¥20000ぐらい。その【予算が無い】とは……。
俺は、

『それは大変ですね……。でも、子供達には、クリスマスの思い出って必要ですよね……。』

と言って、その後少しだけ話して、別れた。


数日後、普通のLIVEをやった。俺達は、ただの【ボランティアバンド】ではないので、もちろん、ライブハウスでも唄う。
そのギャラで、数日後、とあるバーガーショップへ行き、事情を説明して、チキンを買った。
そして、養護施設の子供達に届けた。
子供達は、とても喜んでくれた。
俺自身、幼い頃からクリスマスプレゼントなんて、もらったことがない。だから、喜んでくれる子供達に、どう対応すればいいのかと、戸惑いながらも嬉しかった。

思えば、俺の【幼少期】も不幸だった。でも、目の前のこの子達は、もっと【悲しい】のかもしれない………。そう思った。だから、俺にできることがあるなら、なんでもしてあげたい………。そう思った。

それからの俺は、ラジオであれ取材であれ、そのことを訴え続けた。

【We are the world】なんて【大袈裟だな~】と思う方々もおられるかと思うが、それは【大きな勘違い】だよ。
今、俺達が生きてるのは、間違いなく【地球上】なんだから。

俺達の暮らす街は、地球上のどこまでも【空】で繋がっているんだから……。
【アルミ缶リサイクルLIVE】と言うイベントは、俺が描いてた事とはまったく【違う方向】に進んでいった。
それに対する【戸惑い】のようなものも、少なからずあった。でも、それはそれでいい。
俺は【唄うたい】だから。唄うことで、それに付いてきた【結果】だから。
わざわざ、狙ってやったことじゃないんだし、狙ってできることじゃないんだしな(笑)


ある日、何気なく新聞を読んでた。
ページが、【方面・地方版】に移ったとき、障がい者施設である【共同作業所】の建物の写真が、わざと傾けて掲載されているものが、目に飛び込んできた。
俺は、【共同作業所】と言う施設が、どんな場所なのか知らない。そこで、掲載元の地元新聞社に電話をして、何故、写真を傾けて掲載してあるのかを聞いた。
返答は、単純だった。要するに、経営が苦しくて、事実上【傾いている】とのこと。
まったく笑えない、洒落にもならない新聞社の、幼稚な表現法には、正直ガッカリだが、この目で確かめたくなったので、共同作業所に行ってみた。

精神の病を患っている人、身体に障がいを抱えている人、知的障がいのある方々が、物を創って出荷する仕事をしているらしい。ところが、受注が少なく、国の認可も受けておらず、経営が苦しいと、職員の人から聞いた。
でも、そこで働いてる人々は、みんな【綺麗な瞳】をしていた………✨

帰宅後、俺はメンバーと連絡を取り、集まってもらった。
【共同作業所にチャリティーをしたい】と、率直に伝えた。新聞の写真を見せ、共同作業所の現状を説明しながら。
メンバーは、OKだった。

【アルミ缶リサイクル】から【チャリティー】へと、イベントを移行。

街の会社や店などを廻って、イベントの協賛金を募り、収益はすべて、寄贈することにした。


LIVE当日、会場内に【飲食コーナー】を設け、養護施設の子供達、共同作業所で働いてる人々を、無料で招待し、飲食券を無料で配った。

初めて観る【LIVE】に、みんな最初は驚いていたようだが、すぐに溶け込んだ。
みんな、とても楽しそうだ……。


これがきっかけで、俺は様々なボランティアグループ、各新聞社等から【一緒にイベントをしたい】【取材したい】などのオファーを受けるようになったが、極力、避けた。

そもそも、そんなつもりで始めたことじゃなかったし、俺は、やりたいようにやりたかったから。
多くのグループに関わったり、新聞社の取材を受け続けることで、もちろん、俺の【やり方】に反対する者、やっかむ者も出るだろう。
そうなると、俺の行動や思いは、制限される可能性が出てくる。

【唄いたい】と言う思いから始まって、思いもかけず、こんな形になった。でも、俺が【唄うこと】で、喜んでくれる人々がいる。

俺の原点は、【唄うこと】だ。
【組織の知名度アップ】でも、【組織の拡大】でもない。
【目の前の1人】に向かって【唄うこと】だから。


本当に【聴きたい】と思ってくれる人がいるなら、どこでも唄えるよ。