3月18日(土)は神奈川県横須賀市にある千代ヶ崎砲台での見学会がありました。日本城郭史学会主催の見学会です。
今回の見学会は史学会評議員の坂井尚登さんが計画して関係先に手配してくれました。これまでは中世から近世の城郭の見学会が多かったですが、今回は明治期に築城された東京湾要塞の一つ千代ヶ崎砲台での見学会でした。今回は史学会では珍しい近代遺構の見学会です。
千代ヶ崎砲台砲座
この日の天気はあいにくの雨でした。悪天候時ながらも28人参加の見学会でした。当日は最寄り駅の京浜急行浦賀駅に集合でした。
集合場所の浦賀駅
集合時間になり、この日の見学会の簡単な説明がありました。砲台までは少し離れているのでバスでの移動になりました。砲台近くを通るバスは本数が少なかったので乗り損なうと大変でした。
見学会開始
最寄りバス停より少し歩けば砲台に着きます。高台にあるので少し登りました。強い雨ではなかったですが雨はなかなか止みませんでした。海に近い高台だったので雨より風の方が大変でした。
砲座を上から見る入口
千代ヶ崎砲台は明治25年(1892)から明治28年にかけて日本陸軍によって築城された砲台です。1894年は日清戦争、1904年は日露戦争が行われたので、清国、ロシアとの緊張や脅威が高まるにつれて建設されました。
砲台敷地内
千代ヶ崎砲台は国指定史跡になっています。ガイダンス施設もあり、資料を展示していて、ボランティアガイドの方が案内してくれます。この日も砲台内はガイドの方が案内してくれました。
ガイダンス施設
砲台内入口
砲台内に入ります
砲台では雨水を集め、ろ過して生活用水に利用していました。現在でも貯水所が残っていて、水が貯まっています。
貯水所
明治中期に建設された千代ヶ崎砲台は煉瓦を多用して作られました。風雨にさらされる箇所の煉瓦は高温で焼いて撥水性が高いように作るなどの工夫がありました。
砲弾弾薬庫
千代ヶ崎砲台が最初に築城されたときは3ヶ所の砲座がありました、一つの砲座に28サンチ榴弾砲2門を設置して合計6門設置していました。東側の浦賀水道を侵攻する艦船と西側の九里浜方面に上陸した陸上部隊の攻撃を目的とした砲台でした。
千代ヶ崎砲台砲座
当時の戦艦は1隻で25から30センチの主砲を4門搭載していました。ちなみに日露戦争の武勲艦の三笠は30センチ連装砲を2基搭載して4門持っていました。ここ千代ヶ崎砲台の6門の28サンチ榴弾砲は当時の戦艦1隻以上の火力でした。
砲座を上から見る
砲座は掘り下げられて作られているので、ここに設置した榴弾砲は上に向いて射撃します。榴弾砲は海上の艦船からは直接見ることが出来ません。
砲座を上から見る2
28サンチ榴弾砲は日露戦争では203高地の戦いや旅順要塞攻略戦で使用されて、活躍した火砲です。220キロの砲弾を最大射程は7800Mで発射する事が出来ました。
榴弾砲は元はドイツのクルップ社製の砲ですが、クルップ社製の砲を参考にイタリアで製造されました。イタリア製の大砲を参考に日本の大阪砲兵工廠で製造されました。
千代ヶ崎砲台砲座
砲台通風口
いくら強力な榴弾砲でも命中しなければ意味がありません。目標物までの距離や方角、速度、進行方向を測定するための観測所が砲座の外にありました。観測所で使用していた機器はイタリア製でした。
観測所跡
明治期に作られた砲台ですが、敷地内には堀跡がありました。近くに上陸した敵兵が至近距離まで来ても少しでも砲台に接近させないように穿った堀だと思われます。
堀跡
千代ヶ崎砲台には戦艦の主砲塔を転用した砲台があります。主砲塔から名前を取って砲塔砲台と言われています。日露戦争後に就役した戦艦鹿島の30センチ砲を使用した砲台です。
砲塔砲台遠景
砲塔砲台の30センチ砲の動力は水圧でした。水の力を利用して砲塔を動かしていました。砲台の下にはそのための動力室がありました。水をくみ上げてポンプの水圧で砲塔を動かす施設です。大和級戦艦も含めて日本の戦艦の主砲は水力を動力として動かしていました。
動力室は今でも残っていますが、資材置き場になっていました。
砲塔砲台動力室
東京湾を望む
砲塔砲台遠景2
この日はあいにくの悪天候でしたが、史学会では珍しい近代の遺構を見ることが出来て満足な見学会でした。東京湾や房総方面を望める立地にある砲台なので、せっかくの景色が見えなかったのが残念でした。