津久井城見学会の様子は一回でまとめる予定でしたが、写真が多かったので二回に分ける事にしました。後半が始まります。

 

家老屋敷の石積み

 

 大手道を何とか登って、山頂の城域に着きました。山頂の本城曲輪の一段低い場所にある米曲輪でしばし休憩です。

 

米曲輪

 

 米曲輪の斜面には畝状竪堀群があるが、近くにいって見学するのは大変との事でした。それでも見学したい人はどうぞという事なので、半分ほどの人が竪堀を見るために斜面を降りていきました。道が全くなくて降りれそうな場所を探しながら何とか堀跡に着きました。

 

畝状竪堀群を求めて

 

 写真だと分かりにくいですが、現地だと何本かの竪堀がはっきりと分かりました。説明板や案内板は一切ないので知っている人の案内がなければ竪堀まで行くのは難しいです。

 

津久井城畝状竪堀群

 

 道がない斜面を降り、畝状竪堀群を見た人達は皆一応に満足された事でしょう。行きの下りも、帰りの登りも大変でしたが、見学した人達は何とか無事に帰ってきました。

 

畝状竪堀群を見学中

 

 津久井城の見所の一つである畝状竪堀を見学したら、米曲輪内の見晴らしがいい場所に移ります。

 

米曲輪からの眺め

 

 米曲輪からは北側方面がよく見えて、津久井湖越しに高尾山、八王子城方面が見えます。直線距離で高尾山まで5.5キロ、八王子城まで8キロと意外と近いです。天正18年(1590)に八王子城が落城して黒煙があがる様子は津久井城からはっきり見えた事でしょう。

 

米曲輪からの眺め2

 

 米曲輪を見学したら山頂の本城曲輪に行きました。本城曲輪は鉄塔が以前建てられていて、そのため発掘調査をしても詳細は分からなかったそうです。曲輪の東側に虎口があり、門跡に礎石建物があったとの事でした。

 

本城曲輪にて

 

土蔵曲輪の倉跡

 

 本城曲輪群を東側から出て、途中にある堀切を横切り、家老屋敷を目指します。

 

堀切を縦断中

 

 家老屋敷には石積みが残っています。八王子城や太田金山城の石積みに似た積み方です。曲輪の下側の斜面に残っているので分かりにくいですが、石積みを見るために斜面を降りる人が多かったです。

 

家老屋敷にて

 

 家老屋敷見学後は飯綱曲輪群を目指します。

 

飯綱曲輪に向かう

 

 飯綱曲輪群の中心に飯綱神社があります。飯綱権現は長野県の飯綱山に対する山岳信仰を発祥としています。関東では高尾山が飯綱権現の総本山になります。津久井城にある飯綱神社は高尾山から分祀したものです。飯綱権現は不動明王の化身みたいに思われて、戦国時代に人気がありました。

 

飯綱神社

 

 飯綱曲輪群の奥に行けば相模原市や東京、横浜方面が見渡せるミハラシがありました。

 

飯綱曲輪群ミハラシからの眺め

 

 最後に飯綱曲輪群の端にある宝ヶ池に向かいました。宝ヶ池は本来は今の半分くらいの池でしたが、近年に拡張されました。今でも水が湧き出ていて、水は枯れた事はありません。水は白く濁っていました。

 

宝ヶ池にて

 

 飯綱曲輪群を見学後は津久井湖方面を目指して下山開始です。

 

下山中

 

 最初は緩やかな道でしたが、途中から少し急な道になりました。遊歩道の途中には何本かの竪堀跡がありました。遊歩道を下りしばらくすると津久井湖畔の観光センターが見えてきました。観光センターからでも竪堀が見えるとの事なので最後に竪堀を見ました。

 

麓にある竪堀

 

 今回の見学会は観光センターで解散です。今回案内してくれた中川氏と野口氏の両名からお話しがありました。麓の根小屋、山頂の曲輪群と見学しましたが、これでも津久井城の7割ほどしか見学していないとの事でした。

 

今回の案内人のお二人

 

 今回の見学会は山城で楽ではなかったですが、個人では行きにくい場所に行けました。通常は入れない大手道から城に行けて、案内が一切なくて分かりにくい畝状竪堀群、石積みを見学できて、とても満足いく見学会でした。