11月16日(土)は日本城郭史学会主催で千葉県稲村城と館山城見学会がありました。

今回の見学会は里見氏研究の第一人者で千葉市史編集委員でもある滝川恒昭氏が案内講師でした。史学会では一年前に滝川氏の房総里見氏の歴史と城郭のセミナーがありました。今回はセミナーの続編とも言うべき里見氏の城である稲村城と館山城の見学会です。

 

稲村城遠景

 

 東京をバスで出発して、アクアライン経由で房総を目指します。最初の目的地は前期里見氏の居城である稲村城です。この日は晴れて少し暖かく城見学には絶好の天気でした。今回の見学会は台風15号の影響で稲村城と館山城は見学しないで、一時は里見氏の寺院の見学に変わりましたが、その後は城内に入れるルートがあったので当初の予定通りに稲村城と館山城の見学になりました。

 

案内講師の滝川恒昭氏

 

 稲村城の駐車場で館山市立博物館の岡田晃司氏と合流します。稲村城に熟知した岡田氏の先導で城を目指します。稲村城は滝川氏と岡田氏で案内してくれました。

 

稲村城を東側から望む

 

 稲村城への本来の見学道は台風15号の土砂崩れで使えなかったですが、城の南側から入るルートがあったのでそちらから城内に入れました。この入口は稲村城に熟知した方しか分からない入口です。

 

稲村城南側の入口

 

 南側から入り丘陵の尾根を北に進むと稲村城に着きます。途中に正木様の社がありました。江戸時代に稲村城周辺に正木家が七軒あり、先祖を祀るために正木様の社を建てました。ここに住む正木家は里見氏の家臣で内房水軍を率いた正木氏の末裔だといわれています。今でも何軒が正木さんが周辺に居住しています。

 

正木様の社

 

 正木様を過ぎて、しばらく進むと稲村城の主郭に着きました。主郭からは見晴らしがよくて北側に館山平野がよく見えます。当時の内房と外房を結ぶ街道は稲村城の北側を通り、稲村城は交通の要衝でもありました。

 

稲村城主郭

 

 稲村城の主郭は発掘調査が行われたが、建物跡は発見できなかったです。岡田氏が稲村城の主郭について説明してくれました。

 

稲村城主郭2

 

 主郭を出て東側に進むと細長い曲輪があり、堀切と土橋がありました。稲村城で今でも残る土橋はここだけです。竹藪になっていますが、土橋と堀切は分かります。

 

稲村城土橋と堀切

 

 主郭の東側は今でも土塁が良好に残っています。稲村城は天文2年(1533)の里見氏の内訌後に廃城となっています。戦国前期に廃城となり、その後は使用されなかったので、稲村城跡は戦国前期の遺構は残しています。

 

稲村城主郭土塁

 

 稲村城を見学後は館山城を目指します。昼食後に館山城市立資料館を見学して、山頂の城跡に向かいます。山頂には千畳敷がありますが、地名だけ残っていて、現在は大幅に破壊改変されていて当時の曲輪の名残は残っていません。

 

館山城千畳敷

 

 山頂には模擬天守があり、周辺は本丸曲輪跡に見えますが、戦前の城山は模擬天守がある辺りは先がとんがっていました。戦時中に海軍が高射砲陣地を城山に築いたときに造成されました、曲輪跡に見えますが本当は高射砲陣地跡です。遺構は残っていませんが山頂からは見晴らしがよく館山市街地から東京湾、天気がいいと富士山まで見えます。

 

城山から市街地を望む

 

 天正18年(1590)里見義康は豊臣秀吉に臣従するも上総の所領は没収されて安房一国の大名となりました。館山城は改修されて、里見氏の居城となりました。慶長19年(1614)に里見氏が事実上の改易になり、館山城は廃城になり破却されました。近世初期の城ですが天守はなかったみたいです。館山城に今あるのは模擬天守で里見八犬伝の資料館になっています。

 

館山城模擬天守

 

 山頂を降りると途中に新御殿の名称の場所を通ります。名前からだと御殿があった場所だと思われますが、発掘調査を行い何本もトレンチを入れて調査しましたが、建物跡は確認できなかったです。

 

館山城新御殿

 

 館山城を見学後は里見氏縁の慈恩院に行きました。慈恩院のそばに溜め池があります。この溜め池は館山城の外堀の一部である鹿島堀跡です。遺構がほとんど残っていない館山城では貴重な遺構ですが、周辺には外堀の案内が一切ないので、ここが堀跡だとは分かりにくいです。

 

館山城鹿島堀跡

 

 鹿島堀跡のそばには青岳尼の供養塔がありました。青岳尼は小弓公方足利義明の娘で鎌倉の太平寺の尼でしたが、還俗して里見義弘の妻になりました。

 

青岳尼供養塔

 

 鹿島堀、青岳尼の供養塔を見学後は慈恩院に戻り、里見義康の墓を見学します。

義康の墓石は江戸時代に築かれましたが、墓石の背後にある小山が義康死去当時の墓との事でした。義康は慶長8年(1603)に31才で死去しました。

 

里見義康の墓

 

 館山城と周辺の寺院の見学が終わり、途中で国指定史跡岡本城が見える地点に停まり、城の遠景を見ました。岡本城は館山城の前の里見氏の居城でした。台風15号の被害が大きくて現在は城内には入れません。

 

岡本城の遠景

 

 日没時間も近かったですが、すぐそばにある光厳寺に立ち寄りました。ここには房総里見氏の七代目義頼の墓があります。義頼は天正15年(1587)に死去しました。

 

里見義頼の墓

 

 里見義康の墓を見学したら見学会は終了です。後は東京に戻るだけです。この日は晴天で城見学に最適な天気でした。帰路のアクアラインで事故渋滞があり、東京着が遅くなり最後は画竜点睛を欠く事になりましたが、一度は諦めた稲村城と館山城を見学できて満足いく見学会でした。