1章「漂流」
ここは秋田県男鹿市沿岸、夕焼けの映える日本海。
陸の狭間が大きな岩で埋め尽くされた沿岸を、黒いキャップ帽をかぶりに茶色い釣りジャンパーを着こなす。右肩には長く丈夫な一本の長釣り竿、そして左手にはエサや糸などの釣り道具入りのケースが入っているバケツを持つ、「伊藤孝誠」は鼻歌交じりに陸から海へと交わる、岩と岩との間を、慣れた様に軽々と飛び越え、沖の方へと向かっていた。
そして孝誠は岩と海の境目のころまで来ると、左手に持ったバケツを降ろし、右肩に持っていた釣り竿を海に向ける。糸の先にはすでにエサがや浮きが付いており、孝誠はそのまま
「ヒュッ」と、夕焼け空に軽快な音を立てながら,海に向かって竿を投げたのであった。
そして釣り糸が海に落ち浮きが浮いたのを確認すると、孝誠は波の様子を時折見ながらじっと浮きを見つめる。魚がエサに食いつくタイミングが勝負、その時は絶対に逃すまい、と。
だが、その勝負は以外にも早く訪れた。
竿を投げてからわずか数分。本来なら釣り餌が海に入ってからまだ魚がエサを認識するには少し早い時間帯にもかかわらず、浮きどころか竿まで海中に飲み込まれそうになる強い引き。
その引きに一度体制を崩すと、岩場から海中へ下半身が落ちてしまうも、海中に沈んだ岩の塊に両足を引っかけ、中腰に状態になりながら必死になって踏ん張ると、
「何だよこのあたり。普通の魚じゃねえぞ」
今まで一度も経験したことのない、あまりの強い引きに思わず嬉しそうな声でそう叫んだ孝誠は、体全身を後ろの方へ倒し海中へ落ちていく獲物の勢いを抑え込む。そして持てるすべての力を右手の上腕に注ぎ、リールを巻き戻し獲物を自分の方へと近づけて、
「よっし、あと少しだ」
浮きが半分ほど見え、いよいよ獲物とのご対面。孝誠の釣り師としての興奮が最高に高まり、そして海中から姿を現したのはなんと——、
「ひっ………人!?」
孝誠はにわか信じられずいた。まさか人が釣れるとは。人魚が釣れるという漫画やアニメは見たことがあっても、人間そのものが釣れるということに開いた口がふさがらない。
だがそれでも、これは何かの間違いだと思い何度も竿の先を見るも、やはり釣れたのは、自分よりも数十センチは背が低い、髪型は縦も横も短く刈り込まれたかのような黒のボーイッシュヘア。そして着ている服ははこい茶色の制服、まるで自衛隊か軍隊を思わせるかのような格好、をした「人間」であった。
「とりあえずこの場合は、海にリリースっと」
孝誠はにっこりと笑い、道具箱からハサミを取り出して釣り糸を切ろうとするも、
「って、そんなことしてられるかよ。それしたら俺人殺しになるし。というか早く救急車呼ばねーと」
孝誠は急いで釣り道具の入った箱を空けその中に入れてあった携帯を取り出して119番に電話をかけようとするもその時、日本海特有の強烈な海風と波が孝誠の体と下半身を襲い、
「あっ」
という声の間に間に、携帯を海に落としてしまった。