昭和天皇のお怒りー日本を対米戦争に引きずりこんだ国賊たち・松岡洋右、近衛文麿ほか(その1) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

昭和天皇のお怒りー日本を対米戦争に引きずりこんだ国賊たち・松岡洋右、コミュニスト近衛文麿ほか(その1)





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昭和天皇のお怒りー日本を対米戦争に引きずりこんだ国賊たち・松岡洋右、近衛文麿ほか(その1)

 











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テーマ:反米民族派
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歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(10)ー祖国憎悪なくして、松岡洋右に心酔できるか1/2  2015-02-09








“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(10)ー祖国憎悪なくして、松岡洋右に心酔できるか1/2




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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/12/182458

2014.5.12


祖国憎悪なくして、“祖国破壊の無頼”松岡洋右に心酔できるか──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅹ






第一節 “<反米>狂の教祖”松岡洋右の、日本国破壊主義(ヴァンダリズム)



 戦後日本は、戦間期外交ならびに大東亜戦争は“祖国叛逆の外交”(戦争は外交の一形態)だったと糾弾しない、堕落した国家として生きている。しかも、この糾弾を、外国である米国や他の戦勝国による「東京裁判」に任せっぱなしというテイタラクは、何と言ってよいのか、言葉が見つからない。

 日本国自身が裁くべきである“祖国叛逆の犯罪者”(備考)たちを日本に代わって裁いてくれたのが「東京裁判」。それに感謝するのではなく、恥じもなく無学・無教養まる出しで「東京裁判」を罵るだけの(西尾幹二ら)醜悪な民族系を見ればわかるように、戦後日本は、共産主義に頭をレイプされて“スターリンの奴隷”になった戦間期日本そのままである。日本は戦後も、スターリンの亡霊を、知における最高指導者として仰いでいる。


 平成になっても二十一世紀になっても、スターリン崇拝主義は日本の絶大支配者であり続けている。“スターリン史観”の汚染は、日本人を骨の髄まで腐らせた。日本人はいつになれば、スターリン史観の呪縛から自己解放し、知の自由を手にするのだろう。
 


 具体的例を挙げよう。「東京裁判」は、“売国奴”白鳥敏夫と松岡洋右の両名の糾弾をし、日本の国益に正確に合致する。外国である米国が主導した「東京裁判」の方に、日本人の魂をかろうじて生かしうる法的正義が存在し、一方「東京裁判」を、がなりたてて難詰する日本側にはひとかけらの愛国心も正義も存在しない。恥ずかしくないのか。

 健全かつ高貴な「愛国心」は、日の丸を振ったり靖国神社に参拝すれば顕現できるほど、安直なものではない。「愛国心」は、磨かれた知性と蓄積された最良質の知識の裏づけがなくてはならない。また、国家叛逆者への糾弾を伴うものでなくてはならない。

 日本の世論は、一九三〇年、(ナチズムのドイツとコミュニズムのソ連からの凄まじい偽情報工作があったにせよ、国論の主流が)ロンドン海軍軍縮条約を逆さにも反対するという、祖国叛逆外交を「是」とする方向へと舵を切り、日本を奈落へとひたすら牽引した。


 この“逆走外交への世論”の糾弾を、大東亜戦争の大敗北という体験までしていながら、戦後の日本国は回避し無責任に堕して放置した。その結果、二十一世紀日本に、“毒書の大量生産器”西尾幹二の妄言狂史を蔓延らせる結果となった。
 


 (備考)“祖国叛逆の犯罪者”の裁きは国内法でしか裁けないが、外国が日本人を裁く場合は国際法となる。「人道の罪」と「平和の罪」という、新しいが“古き良き法”を「発見」して裁いたのが、東京裁判。また、スターリンや毛沢東の意向が反映された「戦勝国群」が裁くのであるから、松井石根や重光葵や広田弘毅などの“誤認逮捕者”も出た。が、それが意外にも少ないのは、米国が日本の国益をかなり正確に理解する偉大な友邦だからである。しかも、“日本国の敵”近衛文麿/大川周明/白鳥敏夫/松岡洋右/武藤章/大島浩らを、正しくA級戦犯とした米国の識眼の高さは敬服に値する。 









松岡洋右を靖国神社から追放せよ──昭和天皇のご遺言


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  「私はある時(一九七八年)に A級(戦犯)が合祀され その上 松岡(洋右)白鳥(敏夫)までもが(合祀されたと聞いた。)(その前任の宮司の)筑波(藤麿)は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平(慶民)の子の今の宮司(松平永芳)がどう考えたのか 易々と(合祀した。)・・・だから 私 あれ(一九七五年十一月二十一日)以来参拝していない それが私の心だ」(注1、『富田メモ』一九八八年四月二十八日記、カッコ内中川)。

「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(『卜部亮吾侍従日記』二〇〇一年七月三十一日記)。
 

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 民族系は、昭和天皇の「ご聖断/ご聖訓/ご聖旨」をことさら無視するのを常とする。昭和天皇を排除することが、日本会議を含めて民族系全体の方針のようである。

 例えば、民族系論客の小堀桂一郎は、『昭和天皇』『昭和天皇・続』の著において表向き昭和天皇を尊崇すること頻りだが、『検証・東京裁判』『東京裁判の呪ひ』などの他の本では、昭和天皇を徹底ないがしろにする。

 「皇国史観」にかぶれた民族系の、その信者たちの心底には、昭和天皇への敵意が透けて見える。その教祖・平泉澄は、“昭和天皇に叛旗した逆賊軍人”を養成したように、昭和天皇の殺害を含めた“昭和天皇押し込め”を、彼の革命の初期目的にしていた。


 A級戦犯となった白鳥敏夫/松岡洋右/永野修身/梅津美治郎/東條英機らは、どう贔屓目に検討しても「国事殉難者」にはならない。彼らは日本の刑法において、明らかに「国家叛逆者」もしくは「軍刑法犯罪者」だからである。

 この問題は、拙著『昭和天皇と靖国神社』(未出版)に譲る。代わりに、衆知だが、昭和天皇が、ポスト幣原の一九三〇年代の(国内政治ともども)日本外交にことごとくご反対であられた事実を復習しておこう。一九三六年以降で言えば、表1の五つは、とりわけ昭和天皇の御意に召さなかった。実際には、激しくお怒り遊ばされた。
 


 





表1;昭和天皇がお怒り激昂された五大“祖国叛逆”事件 


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              当事者、主要関係者
                              目的


二・二六事件

(1936年2月)
              赤色将校、北一輝、
             スターリン、陸軍高官(コ
             ミュニスト真崎ほか)
                             レーニン共産革命の
                            模倣、天皇制度廃止と
                            計画経済導入
 




日支戦争の開戦

(1937年7月)
               近衛文麿、スターリン、
               毛沢東
                            支那全土から蒋介石を
                           駆逐して、毛沢東の
                           共産党に手渡す。計画経済
                           体制に日本を革命。
 




三国同盟条約

(1940年10月)
             近衛文麿、松岡洋右、
             白鳥敏夫、大島浩、
             武藤章、ヒトラー
                           <反米教>の狂信、「ユ
                          ダヤ人大量殺害とドイツ
                          <生活圏>拡大」に協力、
                          英米による世界秩序を
                          撹乱(=世界無秩序化)
                          して自国・日本を
                          破壊する。
 




日ソ不可侵条約

(1941年4月)
             近衛文麿、松岡洋右、
            白鳥敏夫、スターリン、
                           日本に米国に対し戦端
                           を開かせ、ついでに満洲
                          をソ連に貢ぐのが狙い。
                          満洲赤化は、支那全土の
                          赤化に直行する。「満洲
                          は日本の生命線」は
                          松岡のデマ
 




太平洋戦争の開戦

(1941年12月)
              近衛文麿、東條英機、
                            大敗北と廃墟を来たし、
                           1917年11月のレーニン
                           敗戦革命を再現し、
                           日本共産化を達成。
 


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 昭和天皇に叛旗を翻したこの五大事件のうち二つで、松岡洋右は主役。松岡洋右を靖国神社の祭神から叩き出すことは、日本国の存続のため、昭和天皇への至誠のため、愛国的日本人が直ちに決行すべきもの。戦後日本は、祖国を破壊せんとしたヒトラー型人格異常者の松岡洋右を美化しようとした。特に今日、この方向での、反日を秘めて歴史の改竄が民族系によって公然と行われている。西尾幹二らの狙いは、再びの日本亡国。
















“粗暴なアクション俳優”でしかない、自己破滅願望の“嘘吐き”松岡洋右

 松岡洋右がパール・ハーバー奇襲の一九四一年十二月八日、「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だった。…」(注2)と涙ながらに語ったとは有名で、多くの研究書にも引用される。が、これ、松岡の片腕だった斉藤良衛の著『欺かれた歴史 松岡と三国同盟の裏面』(一九五五年、読売新聞社)が出典である。

 このエピソードは、生涯をデマゴーグ無頼漢だった“嘘吐き松岡”と同様、人格低劣で虚言癖の斉藤良衛がでっち上げた真赤な創り話。斉藤は、戦後、悪評が定着した松岡洋右を美化するため、嘘宣伝(プロパガンダ)本として『欺かれた歴史』を書いた。目次を見るだけでも『欺かれた歴史』の嘘八百は透け透け。第二章のタイトル「松岡の親米、反独主義」、第三章のは「松岡は平和主義」とは、冗談も度がすぎよう。日露戦争以降の日本の外交官には、明治時代とは異なり、松岡や斉藤のような無頼漢が突然増殖した。

 話を戻す。パール・ハーバー奇襲成功の報を聞くや、実際の松岡洋右は、斉藤の創作話とは逆に、小躍りしてはしゃいだようだ。四日後(十二月十二日付け)の頭山満宛書簡には「これで、日本も神国らしい姿を顕出…した。これで本当に天賦の大使命遂行にたゆる様に…」(注3)とある。この方が真実だろう。

 松岡の後輩に当たる重光葵は、斉藤とは異なって、事実に忠実な記録的回想を旨とし、論評部分も丁寧慎重だから、その著『昭和の動乱』(一九五二年)は信用できる。
 




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  (南部仏印へ進駐した直後の一九四一年七月二十九日?)、松岡は記者(筆者、重光)への私的な会話で「<(これからの日本には)南にも北にもおそらく火がつく(戦争になる)であらう。日本はかやうにして一旦奈落の底に落ちて、しかるのちでなければ国民的自覚の上に浮かび上がることはできぬ…>と結んだ」

「記者(重光)は…その自暴自棄的な言葉は狂気の沙汰ではないかとすら思つた」(注4、丸カッコ内中川)。
 


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後先を考えず、その場その場で大向こうを張ったアクション演技で、一国の外交を歌舞伎舞台に貶めたのは、松岡洋右がヒトラー同様、“後は野となれ山となれ”と、日本国の自己破壊を快楽夢想していたからだろう。松岡の悪魔性あらわな言葉「一旦奈落の底に落ちて=日本が破壊尽くされて」こそ彼の本心。

 また、松岡洋右は、日本を焦土とし日本国民を殺し尽す「一億玉砕」の、阿南惟幾・陸軍大臣らの昭和天皇監禁(暗殺を含む)を計画した宮城クーデター(八月十四日)の一味に加わった可能性が高い。阿南の片腕である荒尾興功(陸軍省軍務課長、ソ連GRU工作員、コミュニスト)から上京を打診された翌日の八月十一日、逗留中の伊豆の古奈温泉にいたのに、即座に上京している。

 前月の七月、昭和天皇を守るのではなく、“殺害やむなし”を示唆する言葉を(注5)、参謀総長・梅津美治郎(コミュニスト)の使者に吐き、これは阿南・荒尾らにも伝わっていただろう。日本国の焦土と廃滅、さらに天皇制度廃止、これらが松岡洋右の心底に蠢く真の信条だと考えた方が歴史事実と符合する。
 










移民労働者あがりの松岡洋右、エリート留学生の小村寿太郎──祖国に害をなす外務大臣と益をもたらす外務大臣の、対極的な教育環境


 松岡洋右を異才と見るか異様と観るかは、見る側に愛国心が無いか有るかに拠る。この客観化のため、大秀才の外務大臣だった小村寿太郎と松岡を比較する。

 小村寿太郎は、日英同盟条約を締結した立役者であり、日本国を守るべく対ロ戦争を唱導し対ロ戦争が始るや戦勝後の講和の準備をなし、ポーツマス条約を締結したその首席全権でもあった。また、韓国併合に反対するなど、外務大臣として日本国の国益を完全に把握していたように、非の打ちどころない外交官だった。

 一方、松岡洋右は、世論受けを狙って国際聯盟を脱退し、日本を世界の孤児に追い込み、さらには対英米戦争が不可避となる日独伊三国同盟と日ソ中立条約を締結するなど、その外交はすべて当初から日本国の破滅を狙う異常なものだった。

 両名とも外交官・外務大臣という職業と職務を同じくしながら、祖国日本へプラスとマイナスという極端な相違をもたらした原因は何か。小村寿太郎は、「東大(大学南校)→ハーバード大学ロースクール卒」で、世論に背を向け名声を求めないエリート官僚の人生。ひたすら、国家のため自己を捧げるストイックな「武士」として生きた。
 



 (備考)明治時代をほぼ通じ、日本には“大学”は東大しかなかった。日清戦争を終えて、京都大(一八九七年創立)など他の帝国大学が順次つくられたが(七帝大時代)、戦前、東大を「大学」、他を「帝大」と言う一部習慣はこの名残。

一方、松岡はアメリカで一旗あげたく十三歳で渡米して、一種の移民労働者をしながら“ど田舎のオレゴン大学”夜間部を卒業した(「夜間の短大」相当。卒業時二十歳)。まさしく、ひたすら個人的な野望と功名心に生きた成り上がり。世界のどこででも野垂れ死を覚悟する無頼漢となったのは、少年期のこの異常な体験と無縁ではない。

 当然、“ポピュリスト政治家”を本業とする松岡洋右にとって、国家よりも自分だけが大事。絶えず世論の喝采を浴びる世論迎合の卑しさも、異国での移民労働者という体験から形成された。松岡は、米国を「第二の祖国」と考えたことも日本を「第一の祖国」と考えたこともないディアスポラ(地球放浪者)だから、ヒトラーに“ドイツ国民の意識”がなかったように、“日本人としての意識”が全く空洞化していた。
 











第二節 松岡と白鳥に共鳴する“悪と蛮の非国民”西尾幹二──松岡洋右に世界秩序破壊の信条なしで、国際連盟を脱退できたか



 “日本一の嘘吐き”西尾幹二とは、犯罪者的な人格に加え正常性が全くなく、ために漫画でも描けない真赤な歴史偽造をする。例示する。一九三二年十二月八日のジュネーブ国際連盟総会での、日本国破壊の情動を爆発させた“野蛮なアクション俳優”松岡洋右の演説にかかわる、荒唐無稽なデッチアゲ偽造歴史。西尾は、こう書いている。



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  「松岡洋右が演壇をおりたときは、国際連盟の総会会場を揺るがすような拍手が巻き起こったといいます。まことに感動的な場面でありました」

「フランスの代表やイギリスの代表が次々に席を立って、松岡に握手を求めてきたというのです。イギリスの代表などは松岡の肩に抱きついてきて<すばらしかったよ。三十年間も外交生活をしているが、こんな演説は初めてだ>と言ったそうです」

「同じイギリスのサイモン外相は、<あれは演説と言うよりも詩、ポエムであった>と評したといいます」

「フランスの代表は<大弁論家クレマンソーの演説に比すべき歴史的雄弁だ>ともちあげています」(注1)。
 

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これらは一文字とて事実ではなく、すべてフィクション。西尾幹二らしい、漫画以下の創り話。松岡演説後の、実際の聯盟総会会場は、唖然では済まない、ドン引きの白けと険悪さだけが漂った。

 なぜなら、マナー無き松岡洋右は、国際会議であれ、私的なパーティであれ、決して口にしてはいけない他宗を冒涜する言説を展開した。生来のゴロツキ無頼漢が露呈したのである。これが、世界に悪評をとどろかせた「十字架上の日本」演説の事実である。

 総会会場のほとんどを占めるキリスト教徒たちは、松岡から「人類はかつて二千年前、ナザレのイエスを十字架に懸けた。…諸君!日本はまさに十字架に懸けられんとしておるのだ。…しかしてナザレのイエスがついに世界に理解されたごとく、(いずれ)われわれ(日本)もまた世界に拠つて理解されるであろう」との、信仰している神キリストを穢すトンデモ話を聞かされた。戦慄と怒りだけが会場全体を覆い尽くした。
 



 昼間は鉄道工事の飯場で通訳として働く移民労働者で、オレゴンの超田舎大学(に三年間通って)夜間を卒業しただけの粗暴で無教養な松岡は、自分が「日本はイエス・キリストだ! さあ、英仏よ、チェコやスウェーデン/アイルランドのヨーロッパの小国よ、日本を神として崇めよ、日本を神として礼拝せよ」と演説したことが理解できない。

 なお松岡は、米国に移民して以来、メソジストのクリスチャン。東京裁判の拘置所収監を免除され東大病院で肺結核で死ぬ直前、カソリックの洗礼を受け改宗したが、少年時代からのキリスト教徒であることは変らなかった。それなのに、「十字架上の日本」を演説するとは、二の句が告げない。

 なお、イエスを処刑したのはローマ帝国で、「人類」ではない。イエスを理解したのはキリスト教徒のみであって、「世界」ではない。世界のイスラム教徒や仏教徒は、イエスに無関心である。松岡の無学・無教養な粗暴言辞は、前代未聞。

 松岡洋右とは、無知だけでなく、他人の感情や気持を忖度する礼節・マナーを欠如する典型的なゴロツキで、日本の恥さらし。シカゴのマフィアとしてなら、イタリア移民に負けずに成功しただろう。松岡洋右とか西尾幹二とか、海外で日本国の恥を曝して歩く日本人には、海外渡航の禁止を勧告する公的制度が必要かも知れない。

 いつの間にお笑い芸人になったのか、西尾幹二は、笑止な嘘歴史で読者を誑かす。
 





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「そんな松岡の演説が日本に対する同情的な雰囲気を引き出し、総会の空気が一変した」

「このままリットン調査団報告書を票決するのは忍びないという意見が起こった。そこで、妥協案が生まれて、十九ヶ国代表で構成される<十九人委員会>に決議を付託したらどうかと言うことになります」

「松岡演説によって日本の国際連盟脱退は一時、棚上げになったのです。松岡演説はたいしたものだと私は思っています」

「松岡はたいした人物でした。外務大臣というのはこういう人物でないといけません」(同上)。
 

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 リットン調査団報告書の票決を延期させたのは、英国の精力的な根回しによる。英国は、日本の満州事変と満州国建国問題で、あらん限り日本との妥協を図った。

 翌一九三三年に入ると、英国に指図されたカナダとオーストラリアが中華民国の方を非難したように、英国は、プライドも評価も捨て、日本の立場を半ば公然と擁護した。ところが西尾幹二は、歴史事実「英国の自己犠牲的な根回し」を、悪評極めた「松岡の<十字架上の日本>演説」にすり替える。歴史捏造も、ここまでやっていいのか。

 なお歴史音痴のデマゴーグ西尾は、外務大臣ではなく「全権」の松岡を「外務大臣」としたり、日本の国際聯盟脱退を「総会議長が宣言した」とか(注1)、お粗末な歴史偽造は数知れず。日本の聯盟“脱退”は、内田康哉・外務大臣がドラモンド事務総長への通告によってである(一九三三年三月二七日)。“デマゴーグ”松岡洋右が、総会から“退場”したのは、一ケ月前の二月二四日。

 西尾幹二の、小学生以下のバカさも魔性の虚言癖病も重症。が、いずれも治癒不能。
 










“褒め殺し”で日本を亡国へ誘う、松岡洋右“ハーメルンの魔書”『興亜の大業』

 松岡洋右は、日本を滅ぼすべく日独伊三国同盟と日ソ不可侵条約を締結した直後、一九四一年五月、有害きわまる“悪魔的な煽動の書”『興亜の大業』を出版した。これは、昭和天皇のご聖旨に唾する、天皇への謀反を旗幟鮮明に宣言したシロモノ(備考)。“叛乱暴徒が青年をリクルートする勧誘煽動文書”。GHQがこの悪書を市販禁止に指定したのは、日本の国益と合致する。祖国を悠久に存続させねばならないと義務意識をもつ、真正の日本国民なら、GHQの“国家毀損毒書の排除措置”に感謝するだろう。

 だが、“狂気の人”西尾幹二は、麻原彰晃が信者を洗脳するために書いたような、有害図書『興亜の大業』を褒め称える。
 



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「情熱が当時の指導者にあり、青年のなかにも生き生きとあったことが大事です。(今の日本は)生気と情熱を一片でも取り戻さなくてはいけない。そういうことを松岡洋右は強く訴えている」、と(注1)。 
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日本の有為の青年を“支那大陸の浪人”すなわち“無国籍の地球放浪者になれ”と煽る『興亜の大業』は、日本の次世代エリートの消滅を渇望している。このような自国を滅ぼす情熱など国民は僅かも持ってはならない。狂気は生気ではない。日本の破滅を信条とする西尾幹二は、デマゴーグ松岡を憑かれて、ハーメルンの魔笛を吹いている。

(備考)松岡の、昭和天皇への心情は尊崇とか恋闕とかとは無縁だっただろう。日本人にはなれない無国籍人の自分を一瞬でも日本人に戻す、また日本を破壊しつくしたいアナーキズムの情動から正気を一瞬でも取り戻す、そのような特効の「薬剤」が、表に現れた“松岡にとっての昭和天皇”だったのではないか。
 




 『GHQ焚書図書開封 第九巻』で、西尾幹二が『興亜の大業』から引用した箇所は、実は、松岡洋右が近衛文麿の『英米本位の平和主義を排す』と近衛文麿の「東亜新秩序」をブレンドしただけの、いわゆる“近衛文麿のコピペ”である。

 “近衛文麿のコピペ”をもって「松岡洋右のオリジナル著作」だと主張するのは、西尾が松岡と同じ、盗用常習のコピペ評論家だからだろう。

 こんなマイナーな問題はいったん脇に置こう。問題の核心は、近衛の『英米本位の平和主義を排す』は日本共産党員の河上肇が指導した作品と言ってよいものだし、「東亜新秩序」は“純度百%のスターリン/ベリア原案”である。マルクス・レーニン主義者ではない松岡洋右の生涯は、かくも一貫して、“共産主義者の犬”だった。モスクワで会見したスターリンに「日本は精神的共産主義国」「私は共産主義者ですよ」などと言ったようだが、これらを“外交お世辞”として軽く看過してよいのか。
 


 一九四〇年七月、近衛文麿に見初められて外務大臣となった仕事が、英米と敵対関係になる「日独三国同盟の締結」と、満洲をスターリンや毛沢東に貢ぐための「日ソ中立条約の締結」だった。その数年前ジュネーブで、聯盟脱退のハッタリ名演技をしたが、それはすべて“ベリア直属のNKGB工作員”白鳥敏夫の脚本に従っていた(注2)。松岡洋右の首には、ソ連が操る頑丈な赤い鎖が巻き付いていた。

 白鳥敏夫らを通じてソ連に操られながら、松岡自身も自分の演技を歌舞伎俳優のごとく大仰しく見せるためのドハデな舞台装置をつくった。それが、ジュネーブで新聞記者を煽動して「聯盟脱退こそ日本のプライドで、日本の正道外交」という沸騰する世論づくりであった。原田熊雄は、脱退に日本国全体を追い込んでいく松岡の自作自演の世論工作を、苦々しく書き留めている。
 






++++++++++++++++++++++++++++
「先般来、新聞の論調を不必要にといふよりも寧ろ有害に硬化させて、ひいては国家の品位を疵付けさせたのは、誰であらふ、ジュネヴァにゐた松岡全権その人だつた」(注3)。  
++++++++++++++++++++++++++++++



 国際聯盟の日本脱退は“デマゴーグ”松岡個人の自己顕示欲とソ連の工作が主因。この歴史の核心を、戦後日本は明らかにするのをなぜか避けた。例えば、松岡とともに全権だった陸軍中将・建川美次について、コミュニストでソ連GRU工作員だった事実が語られたことがない。松岡は、ジュネーヴの建川美次と東京の白鳥敏夫から操作されつつ、ソ連の日英分断策に乗り、英国との絆を切断する確実な方策として国際聯盟脱退という「反日」外交に驀進した。が、この歴史の真実は、戦後日本では闇に葬り去られた。

 一九四五年七~八月、ポツダム宣言を拒絶し昭和天皇を監禁した後の次期首相として、阿南惟幾・陸軍大臣らが率いる“赤い共産軍”帝国陸軍の中枢は松岡を擁立しようとした。松岡が、強度の共産主義シンパで“スターリンの犬”なのは、政界で知らぬ者はいなかった。西尾幹二が、共産主義シンパの“ソ連の犬”松岡洋右に共振し感服するのは、西尾自身もまた共産主義シンパで“ロシアの犬”だからである。 
 










「反日の権化」となった西尾幹二の、“妄想の狂説”国際聯盟論


  『GHQ焚書図書開封 第九巻』には、奇々怪々な第十章がある。そのタイトルはエッと誰しも思う、「国際聯盟の名を借りた英米の世界制覇」。米国は、国際聯盟に加盟していない。英国ではウィンストン・チャーチルなどが、「国際聯盟を廃止せよ」と、連盟が世界秩序の安定に有害な機関だと、連盟そのものを糾弾する声も結構あった。

 しかも、国際聯盟という“田舎の協同組合”を、“アングロ・サクソンの同好会”とほぼ適切に観察した直後に、西尾は脈絡が突然飛んで一八〇度逆に「世界政府だった」「危険な世界政府」(注4)と絶叫する。精神分裂病患者の妄想話を聞く(観察する)のは、つくづく疲れる。

 なお国際聯盟は、英仏主導の国際協同組合とは言えても、米国不在だから「アングロ・サクソン…」は間違い。無知・無学な西尾幹二の、デタラメ解釈にはほとほと困る。

 ところで、一般の人でも、西尾幹二の分裂病がひどく進行しているのがわかるほどの真赤な嘘を一つ紹介する。
 





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「聯盟規約はイギリスのバイブルだし、その背後に控えていたアメリカのバイブルでもあった」(注4)。  
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聯盟規約は、日本国は一九一九年十一月七日に批准し天皇の裁可を経て、翌年一九二〇年一月十日、国際条約として発効した。つまり日本もまた、この遵守義務を世界に公約した。

 そもそも国際法や条約は、どんな国でも、国の対外政策の「バイブル」などにはなりえない。たとえば、国際法に過敏なほど神経質で国民全体が国際法に熟知するスイスの永世中立は、スイス至高の対外政策。が、永世中立はいかなる国際法や条約とも無縁。

 しかも、聯盟規約は国際法であって、イギリスの国内法ではない。仏国の国内法でもない。それがどうして、英仏の「バイブル」になるのか。世界中すべての聯盟加盟国が遵守すべき、すべての加盟国の条約国際法である。
 


 また、米国は批准していないので、守る守らないは自由。それがどうして米国の「バイブル」なのか。「国際聯盟の名前で英米は世界制覇をしている」とか、西尾の言説はことごとく、完全に頭が壊れているのを明らかにする。

 日本について、特に留意すべきことがある。日本は、聯盟機構を一九三三年に脱退したが、聯盟規約の破棄の通告をしていない。日本の聯盟規約遵守は脱退後も義務であった。

 ところが西尾幹二は、日本政府が(最後まで)加盟したままだった聯盟規約の第十六条を「暴力的で危険」だと難詰する。

 ならば、日本が一九一九年のパリ会議で、この聯盟規約を最終段階では満腔の賛意で承認した、日本国の対応そのことを西尾は難詰しなければならない。続いて、この十六条を含む聯盟規約を、日本の帝国議会は採択したのであるから、西尾はまた帝国議会の批准採択を難詰しなければならない。
 



 西尾の聯盟規約第十六条に対する誹謗的な攻撃は、通常の学問的な批判の範疇にはない。明らかに、精神病院内の精神科医が診察するレベルの狂的病症の妄言である。

 ここで聯盟規約第十六条の説明をしておこう。これは、第二次世界大戦後の国際連合憲章(国際法)に継承された“集団安全保障(共同制裁)”の条項(第四一/四二条)とほぼ同じものである。つまり、個別的自衛/集団的自衛(第五二条)とならぶ、国連憲章が定める実力行動三本柱の一本であるから、聯盟規約第十六条を西尾のように全面否定するのであれば、現在の国連憲章第四一/第四二条の全面否定も主張しなければならない。だが、西尾幹二は、そうしない。二枚舌、三枚舌の嘘つきだからだ。

 だが、ちょっと待て。西尾幹二が、国連憲章を肯定的に認めながら、全く同じ内容の国際聯盟規約には罵詈雑言を投げかける言辞は、西尾が単に“大嘘つき”だからだ、で済ませてよいか。自分の自家撞着はなはだしい矛盾言辞を認識できないほど、西尾幹二の精神病は進んでいて深刻。
 


 電気通信大学も、病気がここまでひどいのに、西尾はいまだに公共の場で評論活動をしている以上、「西尾の<名誉教授>称号を剥奪する」処分を決断しなければならないのではないか。

 さて、以上の西尾の妄説危言は、市販した場合は没収される、GHQから市販禁止を指定された『米英挑戦の真相』に基づく。詭弁だらけで対英米戦争を煽るだけのこの有害図書を、GHQは良くぞ正しく「市販禁止」に指定くれた。真正の愛国者である健全な日本人は、GHQに感謝を捧げるだろう。


(備考)なお、『米英挑戦の真相』の論理はあからさまな詭弁。この盗用的な引用での西尾の解説は狂気。詭弁と狂気は別次元であり混同しないように。なぜなら、『米英挑戦の真相』が言及した、中立政策と国際聯盟規約第十六条に関して、両者が一八〇度乖離・矛盾するとの、スイス国政府の学術的な大論文は、忌憚なく率直にこの大矛盾をスイス国民に提示することを通じて、(有事が発生すればスイス外交は窮地に陥ることを事前に了解してもらい)政治的に加盟することをスイス国民に納得してもらうためのもの。スイス国民のみに提示した国際法論文を、『米英挑戦の真相』は、すべての加盟国に普遍的な学術的論文だとすり替えている。ダーティな詭弁だが、西尾と異なり、狂気性は微塵もない。
 











“歴史音痴”と“国際法音痴”の上に、“度外れの軍事音痴”西尾幹二


 三歳の童子にひとしく国際法を知ったかぶりで喋り捲る西尾幹二の狂言は、まだ続く。日本の南部仏印進駐(一九四一年七月)に対して、米国等が、国際聯盟規約第十六条に基づきABCD包囲網という経済封鎖を発動した。これについて西尾は、「英米には脅威を与えていない」から不当だと言いがかりをつけている。バカバカしい戯言。

 なぜなら、南部仏印(サイゴンなど現在のベトナム南部)への日本軍占領は、直ちに、英国のシンガポールを陥落させるし、米国のフィリッピン防衛を完全に不可能にする。英国の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを轟沈させた海軍機はいったいどこから離陸したのか。そればかりかオランダも、ジャワ島やスマトラ島を守れなくなった。

 シンガポール陥落は、一九四二年二月十五日。マニラ周辺がほとんど陥落したのは、同年一月二日。コレヒドール陥落(ルソン島完全占領)は、五月六日。オランダのスマトラ島/ジャワ島は三月七日に陥落した。英領ボルネオ(現ブルネイ)占領は、サイゴン港を出発した川口少将ひきいる三ヶ大隊だった。

 ところがルソー的転倒思考しかできない西尾幹二の分裂症系の法螺話は、時には寄席に行くより漫画チックで笑いを誘う。
 





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「ベトナム南部に日本軍が進駐したからといって、アメリカがどんな脅威を受けると言うんですか。イギリスはどんな脅威を受けるんですか。おかしな話じゃないか…全くその通りです」(注4)。 
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 おかしな話は、西尾の方だ。フィリッピンはアメリカ領、シンガポールはイギリス領、ジャワ島はオランダ領。が、すでに脳が完全に蝕まれた“狂気の人”西尾は、こんなことがわからない。

 “スターリンの長男”近衛文麿は、日独伊三国同盟と日ソ中立条約の締結をもって、一気に南方への軍事侵攻を決行した。それが南部仏印進駐であった。これは「GHQ史観」ではなく、外交史・軍事史の学術的イロハ。学問研究する以前の常識。

 ところが、西尾幹二は、対米戦争を狂信的に主導した近衛文麿にかかわる歴史事実を、共産党員・半藤一利らに組して、「近衛文麿が対米平和を欲していた」との、コミュニスト近衛を美化する“スターリン史観”に従った歴史偽造を行っている。南部仏印侵攻は、近衛文麿こそ主導した「主犯」なのは、衆知の歴史真実。西尾幹二は、近衛美化の“スターリン史観”の優等生。その嘘歴史は、以下の通り。
 





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「近衛文麿は最後までアメリカと話し合いができると思っていた」「仏印進駐を解くから資産凍結などの経済封鎖は止めてくれ(の)条件を考えていた」「アメリカは全く聞く耳をもたなかった」(注4)。 
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これらが真赤な嘘なのは、七月二日の御前会議、九月六日の御前会議の決定や議事録を読めば、一目瞭然(注5)。この時の総理は、近衛文麿。だが、中学生のレベルにも達しない“スーパー歴史音痴”西尾幹二は、史料が読めない。 






 (続く) 














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