中共の真実(その1)――中共(シナ)という名の軍国主義国家、大虐殺国家 | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

中共の真実(その1)――中共(シナ)という名の軍国主義国家、大虐殺国家








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中共の真実(その1)――中共(シナ)という名の軍国主義国家、大虐殺国家


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中共(シナ)という名の軍国主義国家、大虐殺国家





















中国最新情報



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超重要




【中国経済崩壊→反日】13万人の日本人早く逃げて―!中国で暴動、デモ多発【三橋貴明】

http://www.youtube.com/watch?v=W0jcQrnNdDY#t=33















「日本企業が中国から撤退する本当の理由」(月刊三橋「中国大炎上」より)

http://www.youtube.com/watch?v=Wzz3dqOIGrY















【中国経済崩壊】外資系企が中国からガチ逃げ出している件。。。【三橋貴明】

http://www.youtube.com/watch?v=Mm4EPDsBC3g














(番外)

【苛斂誅求】消費増税、想定していたのは国民の貧困化だったのか?[桜H26/8/13]
http://www.youtube.com/watch?v=-uNtCrhQ6mI&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg





消費税増税は「安倍晋三政権」の日本を弱体化、解体するための政策です。
日本滅亡への無限地獄を「共産主義者財務省官僚」が主導し、それに安倍政権が乗って推進しているのです。
行きつく先は日本の中国、ロシアへの植民地化です。
 

















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中国とは、法の支配が存在しない超野蛮人国家であり、力(軍事力)のみが全ての国である。 


中共が言う、日本が軍国主義国家だの、侵略国家だの、聞いてあきれる。
日本は戦後70年近く、ただの一度も他国と戦争をしていない。
また自国民、他国民の無法の虐殺などただの一人も殺していない。

それに比べ戦後における、中共の侵略戦争、虐殺のすさまじさは人類史上最大最悪である。
中共のやっていることはもはや人間ではない。
人間でも、獣でもない、悪魔しかできないことをやっているのだ。
 











中国の日本侵略


中国の核ミサイル

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中国の核ミサイル01





核ミサイル









侵略国家中国














中国が照準を合わす日本の都市














日本の防衛


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日本の防衛02












核攻撃への対応

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\核攻撃への対応






















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中国共産党虐殺の歴史




中共の侵略の歴史

中共は建国以来60数年の間に自国民、他国民合わせて1億人近くの人間を虐殺してきた虐殺大国である。



1949.9 東トルキスタン政府が中国共産党政権に服属する。 ←東トルキスタン侵略  ←他国民大虐殺 


1949.10.1 中華人民共和国建国 


1949.12国民党政府が台湾に移転

1950.10.07 チベット侵略  ←チベット侵略 ←他国民大虐殺 


1950.10.8 朝鮮戦争に参戦

1951.2 鎮反運動 ←自国民大虐殺 
 

1951.5 チベット「平和解放」十七条協定  ←チベット侵略 ←他国民大虐殺 


1951 三反五反運動 ←自国民大虐殺 

1954.6 中華人民共和国憲法制定

1954.9 第一次台湾海峡危機 ←台湾侵略

1955 粛反運動 ←自国民大虐殺 
 

1955 チベットのアムド地方やカム地方で社会主義改革を強要。  ←チベット侵略 ←他国民大虐殺 

1955.10 新疆ウイグル自治区が設置される  ←東トルキスタン侵略 ←他国民大虐殺 


(以下省略)
 






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大紀元 より


http://www.epochtimes.jp/editorial/9ping-7.html


中国共産党の殺人の歴史

2004年11月18日

序文

中国共産党政権の成立から55年間の歴史は、血と嘘で記された歴史である。その流血の裏にある事実は、残酷非道であるばかりでなく、ほとんど世間に知られてない。中国人の6千万ないし8千万もの罪のない人々の命が犠牲となり、更に多くの家庭が迫害された。今日でも、多くの人たちが依然として、なぜ中共は人を殺す必要があるのかと考えている。 今日でも中共は相変わらず、法輪功学習者を虐殺しており、更に2004年11月初旬に至っては、漢源で抗議する民衆に対して発砲し制圧した、その時も多くの人たちが思ったことは、いつ中共が虐殺を止め、対話することを学び、銃を用いるのではなく話し合いをするかということである。


毛沢東が「文化大革命」を総括したとき、「国内が大いに乱れ、そして泰平の世となった、七、八年後にまた同じようなことになるであろう」と述べた。[1] はっきりと言うならば、つまり七、八年ごとに政治運動を行い、七、八年ごとに、再度大量の人たちを殺すことと言える。









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テーマ:中国(中華人民共和国)
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中国とはどんな国だろうーチベットへの侵略と虐殺を今現在も行っている国 2013-10-28




中国とはどんな国だろうーチベットへの侵略と虐殺を今現在も行っている国







チベットの悲劇


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 民主党などの左翼政党支持者に問う

   友愛で中国に近づく民主党(左翼政党)および民主党(左翼政党)支持者は
   自分および日本国の悲劇を想像せよ。

   日本の未来の姿はチベットだ。 
   日本を中国の奴隷国家にしようとしているのは
   民主党などの左翼政党を支持している貴方たちなのだ。

   民主党は左翼・社会主義政党であることを知らなければ
   ならない。今は正体をマスコミによって、
   隠されているだけである。


   民主党支持者は自分が、国家解体、社会主義・恐怖政治を
   推進しさらに中国の属国にしようとしていることに、
   気がつかなければならぬ。
 

    中国共産党は日本人の考えがおよばぬほど、腹黒いのだ。
   本当に日本をチベット化したいのか?。
   民主党も民主党支持者も例外なく、
 中国共産党の民族浄化 
   の犠牲になることを覚悟しなければならない。


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チベットの地図(クリックで拡大)

$日本人の進路(kororinのブログ)-チベット2010.2.9a01


チベットの絵図








世界の亡命チベット人



$日本人の進路(kororinのブログ)-チベット2010.2.9a03





  中国共産党による弾圧の歴史

  刑務所や強制労働収容所での死亡事例
    チベット亡命政権 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋

 刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。
これら収容所から生還した人の話によると、毎日10~30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で8,000人以上が死亡したという。
また、中国が解放軍の仕事だったと主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりするのが見られたという。
東チベットの例では、1960年~1962年の間に、ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者のアディ・タペさんは証言している。
また、チベット亡命政権が収集した情報をまとめると、
 1949~1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。

    チベット3州での死者数 (チベット亡命政権のまとめ) 


        ウ・ツァン   カム      アムド    合計(人)  

  拷 問    93,560    64,877     14,784    173,221
  死 刑    28,267    32,266     96,225    156,758
  戦 闘    143,253   240,410     49,042    432,705
  飢 餓    131,072   89,916       121,982   342,970
  自 殺     3,375      3,952         1,675       9,002
  傷害致死    27,951     48,840       15,940     92,731
  
  合 計(人)  427,478     480,261    299,648    
1,207,387





チベットの歴史

神話時代 ・チベット文明の誕生
B.C.127-
・古代の歴史
・ ショル石碑(ドリン)の建立
1639-1911 ・清王朝との関係
1857-1911 ・英領インドとの関係
1947 ・インドとの関係
<共産中国のチベット侵入>
1949/08/10 ・中国国民党政府、パンチェン・ラマ6世の転生者を認定

1949/10 共産党軍、中国全本土を掌握
1950/11/11 ・チベット政府「共産中国による侵略」を国連に提訴 
1951/09/09 ・中国共産党軍、ラサに到着 
1959/03/10 ・ラサでチベット蜂起開始。中国はチベット人87,000人を殺害して蜂起を鎮圧
・ダライ・ラマとともに80,000人のチベット人がインド亡命
・ 周恩来首相、チベット政府の解散を宣言
 

1960/04 ・チベット亡命政権がインド北西部ダラムサラに移動 
1962/11 ・「チベット自治区(TAR)」の僧院と尼僧院の97%、TAR以外のチベット地域の僧院と尼僧院の98~99%が無人化ないし廃墟化
・ 後にチベット亡命政権の宗教・文化省が集計したところでは、全チベットの6259カ所の僧院、尼僧院のうち、破壊を免れたのは8カ所だけだった
1979/07 ・トウ小平、チベット解放政策を発表
1984/06 ・チベット亡命政権、中国による侵略および占拠の直接の結果として、120万人のチベット人が死亡したと発表 






■ 侵略された独立国家
 関連情報 『チベットの歴史』 『チベットを巡る国際協定の推移 』

中国支配以前、チベットが独立主権国家として存在していたことが、2000年以上も前の歴史に記されている。
近年では、1913年にはモンゴルと蒙蔵条約が、1914年にイギリスとシムラ条約が締結されていることでも、チベットが完全な独立国家として認識されていたことが明らかである。
ただ、国際連合に代表をもたなかったために、世界は中国の侵略と破壊行為をただ傍観することを容認してしまったのである。
チベット人は繰り返し中国からの独立を訴えてきた。
我々チベット人は非暴力による抵抗運動を行ってきているが、チベットでは10歳にも満たない子供達が「チベットは独立国家だ」とか「ダライ・ラマ法王にご健勝あれ」とささやいただけでも、中国は『母国』を『分裂』をたくらんでいると告発し、投獄を宣告されることが多々ある。
チベット国旗に似たものを所持するだけで、7年間投獄される。
 
















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テーマ:中国(中華人民共和国)
http://ameblo.jp/kororin5556/entry-11657484654.html
中共とはどんな国だろうー東トルキスタン(ウイグル)への侵略と虐殺(その1) 2013-10-29 






中共とはどんな国だろうー東トルキスタン(ウイグル)への侵略と虐殺(その1)













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東トルキスタン(ウイグル)の悲劇






東トルキスタン(ウイグル)

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$日本人の進路-東トルキスタン













中共の核実験

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日本人の進路-中国の核実験













中共の核兵器

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日本人の進路-中国の核兵器














 失われた命一千万人

 50回もの核実験によって
 75万人が放射能汚染で死亡


  「計画育成」の名目に
 850万人もの胎児が強制中絶


 政治犯」で50万人も虐殺

 それでも、明日を生きたいと願う人びとがいます。
 お願いです。真実を知ってください。
 






皆さんは東トルキスタンと言う国をご存知でしょうか?
国と言っても国連に加盟もしていなければ地図にも書いてありません。
通常は中華人民共和国の新疆ウイグル自治区と呼ばれる地域です。
この地域は中国、及び中国の歴代王朝の支配下では無く独自の地域
として存在しました。

しかし、18世紀に清朝に征服され重税などを課されました。
清朝が倒れ中国で混乱が起きている中東トルキスタンの人々は中国からの
圧政から自立する為に1933年東トルキスタンイスラム共和国を宣言、
建国しました。


1946(49)年まで独立国として存在し、ソ連などと関係を持っていましたが
東トルキスタンは中国共産党の人民解放軍に征服されてしまいました。
その後中国は東トルキスタンを占領し、多くの東トルキスタンの人々が
犠牲になりました。


例えば
・ 「計画生育」と言う名目で850万人もの赤ちゃんを強制中絶し
・中国共産党の50回もの核実験によって75万人もの人々が放射能中毒
で亡くなり
・「政治犯」として50万人もの人々が処刑されています


およそ1000万人もの人々が中国共産党に犠牲になっているのです!
信じられますか?

現在でも東トルキスタンの人々は中国の圧政の下にあり、9.11テロ以降は
テロ対策の名目で政治犯の処刑がさらに厳しくなっています。
しかしこの事実はあまり知られていません。イスラムの犠牲者となると
いつもイラクの人ばかり、中国共産党の圧政と言うとチベットや
台湾の問題ばかりを耳にします。
だけど、他にも東トルキスタンの多くの人々が苦しんでいるのです。
 




東トルキスタンの人々の為に何ができるでしょうか?
我々一人の力ではあまりにも無力です。

しかし、この事実を日本を始めとして世界中に知ってもらうことによって
中国への抗議、東トルキスタンへの支援の声を集め作ることは決して不可能
ではありません。現在中国は東トルキスタンだけではなく周辺諸国にも
軍事的覇権政策を取っています。

東トルキスタンの人々の苦しみは他人事ではないのです。
今こそ皆さんで東トルキスタンの苦しみを世界に知らせ、中国に抗議しよう
ではないですか! 














東トルキスタンの核問題を日本から











東トルキスタンを無視する原水協




左翼共産主義者たちが主導する核兵器反対運動は全くのエセ、ペテンである。
本当の目的は日本の軍事力弱体化、国力弱対化をさせるためであり、左翼全体主義国家中国、ロシア(旧ソ連)が日本を植民地化支配できるようにすることが、真の狙いである。
 



  原水協などという平和団体は偽善者である。
  中共の核実験、核保有、軍事力増強などに対しては
  一言も異を唱えたことがない。
  中共の核ならば「「善」」なのか
?。


原水協などの核廃絶を叫ぶ連中は共産主義者たちであり、中共、ロシアの尖兵であり、日本を滅ぼし、日本を中共、ロシアの植民地にするため活動している、日本国民の敵国賊どもである。 










東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)における中国共産党の弾圧
























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テーマ:中国(中華人民共和国)
http://ameblo.jp/kororin5556/entry-11662908369.html
中国とはどんな国だろうー反右派闘争、大躍進運動 2013-11-01





中国とはどんな国だろうー反右派闘争、大躍進運動




中国共産党の犯罪、反右派闘争



打倒中国共産党より



中国共産党の犯罪 七











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中国共産党の犯罪、大躍進運動




打倒中国共産党より





中国共産党の犯罪 八


大躍進運動

http://dadao.kt.fc2.com/fanzui08.htm








 1957年の反右派闘争をきっかけに毛沢東の権力は絶対的なものとなり、ほとんど異論を唱えられない雰囲気が醸成されていた。それ故、反右派闘争から1年を待つことなく、人類史上中国以外では例のない悲劇が幕を開けることとなった。


 1957年11月に毛沢東は訪ソし、フルシチョフと会談した。フルシチョフが掲げた目標は15年で米国を追い越すというものだった。前月に人類史上初の人工衛星打ち上げに成功して宇宙開発でアメリカをリードしたソ連は、国力においてアメリカに追い越すという自信が確かにあったのかもしれない。だが毛沢東は挑発に乗るかのように「中国は15年で鉄鋼などの主要工業生産高で英国を追い越す」という目標を掲げてしまった。何の実現性もない毛沢東の気まぐれが、全ての悲劇の始まりとなった。
 



 翌年、中共政府は鉄鋼生産量年間2億7千万トンという前年比2600%(260%や26%の誤記ではない)増の生産目標を発表した。その前段階として、中共は農民を鉄鋼生産に専念させるため、とりあえず1958年は穀物生産高年間5億トンという目標を掲げて邁進することになった。前年比100%増、つまり2倍である。


 穀物生産高倍増のための効果策があるわけではなかった。効果策はなかったが具体策はあるにはあった。1958年2月に中共政府は蝿、蚊、鼠、雀を駆除することを目的とした四害駆除運動を開始した。特に農作物を食い荒らす雀に対する徹底的な捕獲作戦が実施された。だが雀は農作物を食うだけでなく、害虫も食べるのであり、生態系バランスを完全に無視した中共の政策により蝿、蚊、いなご、ウンカなどの害虫が大量発生し、農業生産に大打撃をもたらすこととなった。
 




 さらに、同じ種であれば互いの成長を阻害しないという誤解に基づく極度の密植、深く埋めるほど根が発達するという誤解に基づいて2メートル以上の深さに種を埋めるなど、農業理論を完全に無視した農業政策が実行に移された。


 目標が達成できないことは目に見えていた。だが中国共産党の地方幹部にとって、毛沢東が掲げたノルマの未達成は生命の危険に関わる大問題であった。1958年秋、地方幹部や人民公社の幹部は一斉に党中央に対してノルマ達成を報告した。そして党中央は全国の人民公社に穀物の公糧供出量の倍増を命じた。実際には生産倍増などできていないのだが、水増し報告をしている以上命令に従わざるを得ない。必然的に人民の食糧が欠乏することになる。
 



 そのような状況で1959年を迎えると、毛沢東はこの1年間は農業生産はほどほどにし、全農民を動員して鉄鋼大生産に全力を挙げるよう命じた。だがそもそもが農民を総動員して鉄鋼生産をさせるという手法に根本的な無理があった。金属工学の専門家もそれに適した設備もなく、原材料も満足に確保できない中で、素人に良質な鋼鉄が作れるはずもなく、生産された鉄の大半は全く使い物にならない粗悪品であり、膨大な資源を浪費する結果となった。また、この時の製鉄事業により大量の木材が伐採された為、特に中国の北部は禿山だらけとなってしまった(そのため今でも中国では毎年洪水が発生している)。


 そして1959年の夏にはついに大飢饉が全国を襲った。秋の収穫も全くの不作で飢饉をさらに深刻化させた。早くも1959年7月の中国共産党政治局拡大会議(いわゆる廬山会議)で彭徳懐国防部長が大躍進運動の失敗を取り上げ、他の出席者も支持を表明するものが少なくなかった。しかし毛沢東は7月23日の演説で、彭徳懐の主張を党に対する攻撃、右傾機会主義として激しく批判した。彭徳懐を支持していた出席者も一転して彭徳懐を批判するようになった。すでに毛沢東に逆らえるものは誰もいなかった。
 



 8月2日から始まった中国共産党八中全会で毛沢東は彭徳懐ら4人を「彭徳懐反党集団」として激しく非難し、彼らを失脚に追い込んだ。毛沢東は自信を持って大躍進に誤りなど全くないと主張し、彭徳懐反党集団との闘争を20年でも50年でも続けなければならないと発言した。そのため、1960年まで彭徳懐反党集団との闘争が続けられることとなった。毛沢東は自らの正当性を主張するため、さらなる鉄鋼大増産政策の貫徹を全国に命令した。


この廬山会議で毛沢東の間違った政策を修正することができれば、大躍進運動による悲劇は1年ほどで乗り越えることができたであろう。しかし誰もが間違いに気づいていながらもはや誰も毛沢東に逆らうことはできず、悲劇はますます深刻化、長期化することとなった。一層無理なノルマが課されるようになり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。そして、その報告を受け取った毛沢東は更なる増産を命令するという悪循環に陥っていった。
 




 こうして大飢饉は1960年も1961年も継続し、少なく見積もって3千万人という人類史上最大規模の餓死者を発生させた。(大躍進運動による餓死者の数は4000万、5000万、6000万という説もあるが、私は批判をするときはできるだけ控えめな数字を取り上げる方針であるので、3000万という数字を用いている。実際にはもっと多い可能性が十分にあることを留意していただきたい)。餓死者3千万ということは、当然ながら飢餓線上にいたものは数億人に及んだはずである。



 一般的に大躍進運動は、政策の失敗のほか、ちょうどこの時期に旱魃が発生したことが被害を拡大させたと言われている。だがその後の研究により、この時期に自然災害など発生していないことが現在では明らかになっている。数千万人規模の餓死は明らかに毛沢東ならびに中国共産党による人災なのである。
 



 驚くべきことに、数千万規模の餓死者が発生していたにも拘らず、中共政府は3年連続で穀物を大量に輸出していた。1958年に266万トン、1959年に419万トン、1960年は265万トンである。1960年といえばすでに中国共産党は国内における大飢饉の発生を把握していたにも関わらずである。ここまでくると大躍進運動は中国共産党による人民への大量虐殺といっても過言ではなかろう。



 飢餓に襲われた人民の境遇はこの世のものとは思えない、それどころか映画の世界でもあり得ないような悲劇的なものであった。食糧不足が深刻化した1959年夏ごろ、当初はご飯をお粥にすることで何とか凌いでいたが、お粥にするほどの米も底を尽きると、人々は籾殻も稲の藁もとうもろこしの茎さえも食べるようになった。それさえも尽きるようになると、樹や草の根を掘り出して食べるようになり、中毒死する人が続出した。ついにあちこちの家庭で餓死者が続出するようになり、埋葬しきれないほどであったので、遺体の多くは雑木林に捨てられた。遺体が捨てられるとすぐさま尻や太ももの部分が誰かによって切り取られていった。すでに事態は食人にまで及んでいたが、悲劇はまだ終わらない。
 




 口にできそうなあらゆるものが底を尽いたときに人間がとる行動とは、平時の人間には想像をすることさえ困難である。人々は自分の子供を他の家庭の同じ年頃の子供と交換するようになった。自分の家庭で養育するためではない。いくらなんでも自分の子供を食すことはできないので、他人の家庭の子供と交換して食すのである。家に持ち帰った交換物は台所で調理される。脳みそと内臓を取り出し、あとは取れるだけの肉と脂肪を切り取るのである。そして脳みそでスープを作り、内臓や肉を炒め物や煮物にする。こうしてなんとか1週間ほど凌ぐことができるのである。



 大躍進運動について書かれたこの文章はまだもう少し続くが、この時点ですでに気分を悪くされた方は、これ以上先を読むことは心身の健康のためにも控えたほうがいいであろう。
 



 家庭によっては自らの子供を食す親もいた。ある農家では家族はすでに父親と息子一人と娘一人しか残っていなかった。あるとき、父親は娘にしばらく外出するよう命じた。娘が戻ってくると、弟がおらず父親が台所で料理をしていた。鍋には油が浮いており、何やら白っぽいものが入っていた。鍋の横には骨が放り出されていた。それから1週間ほど後、父親は再び鍋で料理の準備を始めた。そして娘を呼び寄せた。娘は号泣しながら父親に、「お願いです、お父さん、私を食べないでください。私は芝刈りをし、火を炊いてあげます。私を食べたら、誰もお父様の面倒を見る人がいなくなります!」と叫んだという。


 1962年に開かれた中国共産党拡大工作会議で、毛沢東は大躍進運動の失敗に対する自己批判を余儀なくされた。これ以降、劉少奇と鄧小平が中国の経済再建へ向けて舵をとるようになる。中華人民共和国建国から13年、すでに中国人民は人類史上経験したことのない悲劇を味わってきた。過去に中国が経験した列強による侵略も、抗日戦争をもはるかに上回る悲惨さであった。にも関わらず、悲劇は終わらなかった。大躍進運動という人類史上他の国では例がないような悲劇を経験しておきながら、さらに悲惨でさらに長期間に及ぶ悲劇が待っていた。毛沢東は健在だった。低下した影響力を取り戻すための機会を虎視眈々と窺っていたのである。
 

















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