不法移民ー在日韓国・朝鮮人による密入国の歴史 | 日本人の進路

日本人の進路

左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

不法移民ー在日韓国・朝鮮人による密入国の歴史

 

 

 

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不法移民ー在日韓国・朝鮮人による密入国の歴史


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テーマ:在日朝鮮人(在日韓国朝鮮人)
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在日韓国・朝鮮人による密入国の歴史 2013-09-21

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日本の現在(あぶない日本)より
http://ccce.web.fc2.com/zm.html





在日韓国・朝鮮人による密入国の歴史




韓国・朝鮮人が日本人を黙らせる「決めゼリフ」で
「われわれは日本政府によって強制連行されてきた」というのがあります。

反日マスコミや左翼教師に洗脳された人たちがこの言葉を聞くと、
『銃剣で脅されてトラックに無理矢理乗せられた善良な朝鮮人達が、
日本に送り込まれて炭坑で重労働させられる』 という酷い場面等を想像して思考停止に陥り、
相手に反論できず言い分を聞いてしまうということが多いようです。
 














.【気付け!日本人】「日本の責任??」【不法移民朝鮮韓国人】 .
http://www.youtube.com/watch?v=jzUaLXTTTLc








近代史を調べて行くと


 (クリックで拡大) 


$日本人の進路-密入国01







動画(衆議院TV):2010年3月10日 (水)外務委員会
「Windows Media Player」 06分50秒頃から
 








現在日本政府が本人の意思に反して
日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない。



強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容易に受け付けない  









$日本人の進路-密入国02





戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索←このサイトの記事検索画面で
「見出し」に「密航」と入力し、時期は「指定無し」で検索すると・・・  該当件数は、734 件です。
「分類」に「犯罪」と入力し、時期は「指定無し」で検索すると・・・  該当件数は、2207 件です。
 







「朝鮮人密航」に関する新聞記事・・・ 「密航」で検索してみると
抜粋して表示しています。 (戦後は含まれておりません)  





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・『鮮人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・兵庫 【社会】
・『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
・『鮮人十名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】
・『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡航】
・『ブロ-カ-の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔1/5〕 ・福岡・山口 【渡航】
・『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】
・『内地密航と取締』 大阪朝日 1923/12/6 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』 京城日報 1923/12/20 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

・『発動船で密航/鮮人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
・『潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴~元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞鮮人」と連絡ある者と見込み取調中)』 大阪朝日 1924/4/20 京附 〔1/9〕 舞鶴・京都 【警備】
・『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口 【渡航】
・『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】



・『鮮人渡来制限撤廃/密航は取締る』 福岡日日 1924/6/7 〔1/7〕 下関・福岡 【渡航】
・『密航の鮮人』 門司新報 1924/7/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
・『極左傾の不逞鮮人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)』 京都日出 1924/8/15 〔〕 東京・東京 【警備】
・『巧妙な鮮人の密航/当局も取締りに悩まさる』 京城日報 1925/5/15 〔3/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人労働者を内地へ密航させる/大仕掛な企て暴露』 京城日報 1925/5/21 〔3/6〕 ・朝鮮 【渡航】
・『四十二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分』 京城日報 1925/10/11 夕 〔5/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】
・『労働者釣りの悪玉縮み上る/密航者は次第に減少の傾向がある』 京城日報 1925/10/16 〔6/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】
・『鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』 福岡日日 1926/3/12 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】
・『小発動機船で鮮人の密航団/三十名釜山から門司に上陸し行方を晦す』 大阪毎日 1926/3/14 夕 〔2/5〕 門司・福岡 【渡航】
・『長さ四間の発動機船で/鮮人三十余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ』 中国 1926/3/14 〔〕 門司・福岡 【渡航】



・『密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』 福岡日日 1926/3/14 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】
・『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23 〔〕 下関・山口 【渡航】
・『朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航鮮人団三十余名』 大阪朝日 1926/4/7 朝鮮朝日 〔〕 下関・山口 【渡航】
・『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】
・『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日 1926/4/13 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『密航団鮮人取押へらる』 大阪毎日 1926/4/16 〔11/7〕 門司・福岡 【渡航】
・『七十余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17 〔3/3〕 下関・山口 【渡航】
・『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日 〔〕 宇和島・愛媛 【渡航】
・『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 1926/4/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】



・『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】
・『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』 大阪朝日 1926/4/24 広島 〔〕 ・山口 【渡航】
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日 1926/4/29 〔5/9〕 下関・山口 【渡航】
・『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 1926/4/29 〔1/2〕 山口・山口 【渡航】
・『六十名の密航団/山口県の北海岸で発見』 京城日報 1926/4/30 夕 〔2/4〕 ・山口 【渡航】
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)』 京都日出 1926/4/30 〔〕 長門・山口 【渡航】

・『大密航バレる』 大阪朝日 1926/5/1 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』 神戸新聞 1926/5/3 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【社会】
・『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1926/5/4 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】
・『密航朝鮮人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察』 大阪朝日 1926/5/5 広島 〔〕 ・山口 【渡航】
・『生き残った/密航者送還/厳原警察から/釜山に向けて』 大阪朝日 1926/5/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『二十余名の密航者団逮捕/下関水陸両署活動/時節柄とて重大視す』 中国 1926/5/26 〔〕 下関・山口 【渡航】



・『依然と困る密航者/釜山署の大弱』 大阪朝日 1926/5/28 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『怪しい鮮人密航者/夜陰に乗じ門司海岸に上陸/大部分を取押へ取調中』 神戸新聞 1926/5/29 〔8/4〕 門司・福岡 【社会】
・『大里に又密航団/十九名の鮮人(門司市)』 福岡日日 1926/5/29 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】
・『密航鮮人団逮捕/募集した鮮人男女を/売り飛ばすつもり』 中国 1926/6/6 〔〕 徳山・山口 【渡航】
・『密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1926/6/12 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】
・『鮮人青年が密航企つ/上海から乗船』 神戸新聞 1926/6/20 〔8/10〕 神戸・兵庫 【社会】
・『戦慄を感じる/あぶない密航/産業の過渡期に立ち/生活に悩む下層鮮人』 大阪朝日 1926/8/14 朝鮮朝日 〔〕 ・朝鮮 【渡航】

・『鮮人密航の/首魁を逮捕/釜山警察署で』 大阪朝日 1926/8/25 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『さても現金な/密航者が絶える/渡航阻止者に対しては/釜山で就職口を周旋(水電工事にも)』 大阪朝日 1926/10/6 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『渡航鮮人の/素質が向上/密航者の群もだんだんと減少』 大阪朝日 1926/11/17 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『朝鮮から五六十名/御大喪に参列さしたい/不逞団の取締は厳重にする/湯浅総監下関で語る(浦塩或は上海方面から密航、十分警戒)』 大阪毎日 1927/1/15 朝鮮 〔9/2〕 下関・山口 【警備】




・『警備船で密航者取締』 京城日報 1927/2/24 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】
 ・『三名の鮮人怪漢繋留中の発動船を盗み出す/機関長を脅迫して運転を初め舵を操り沖合に逃げ去る(内地密航鮮人の所為と睨み厳重捜査中)』 大阪毎日 1927/3/2 朝鮮 〔9/3〕 釜山・朝鮮 【窃盗】
 ・『密航鮮人/八十名/北浦海岸に上陸(豊浦郡川棚村)』 大阪朝日 1927/3/3 朝鮮朝日 〔〕 豊浦・山口 【渡航】
・『六十名の密航鮮人/下関吉見海岸に上陸(山口県吉見村)』 九州日報 1927/3/7 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
・『鮮人丗四名内地へ密航途中暴風にあひ対馬に漂着す』 大阪毎日 1927/3/8 朝鮮 〔9/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『怪帆船の中から百名の密航者現はる/下関市外吉見海岸で発見され釜山へ送還さる』 京城日報 1927/3/9 〔7/5〕 下関・山口 【渡航】

・『密航発覚頻々(吉見村)』 大阪毎日 1927/3/11 朝鮮 〔9/8〕 ・山口 【渡航】
・『密航団また捕はる』 京城日報 1927/4/8 夕 〔6/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『夜陰に乗じ/密航を企つ/鮮人を発見(五十余名)』 大阪朝日 1927/4/9 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『密航ブロ-カ-鮮人/取押へらる(糸島郡前原町)』 九州日報 1927/4/15 〔1/5〕 前原・福岡 【犯罪】
・『船底に潜む怪鮮人/密航者と判る』 神戸新聞 1927/4/16 夕 〔2/8〕 敦賀・福井 【社会】
・『密航鮮人/十余名捕る(田の浦海岸)』 大阪朝日 1927/4/20 朝鮮朝日 〔〕 門司・福岡 【渡航】





・『七十名を内地へ密航させんとした四人捕はる』 大阪毎日 1927/4/27 朝鮮 〔10/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『<慶尚南道>密航幇助で取調べ』 京城日報 1927/5/10 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『密航鮮人/蘆屋に上陸/目下取調中』 大阪朝日 1927/5/15 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】
・『怪機船/密航鮮人の輸送を企つ』 大阪朝日 1927/5/18 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『検挙された富士丸/三回に亘つて密航/犯行を自白す』 京城日報 1927/5/19 〔4/1〕 北九州・福岡 【渡航】
・『密航団を利用し一儲け志願オヂヤン』 京城日報 1927/5/19 〔7/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

・『密航鮮人が/積み帰さる』 大阪朝日 1927/5/20 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】
・『密航鮮人少年を/船中で殺害か/伏木入港の鮮海丸の怪事』 北國 1927/7/8 〔5〕 伏木・富山 【社会】
・『三人組の密航詐欺/横浜水上署で検挙す』 京城日報 1927/7/20 夕 〔2/8〕 横浜・神奈川 【渡航】
・『米国の母を尋ねて密航した十四歳の鮮童/新聞売子をして苦学した果/アリゾナ号にて送還さる』 福岡日日 1927/7/30 夕 〔1/2〕 横浜・神奈川 【社会】
・『密航者送還(支那労働者)』 京城日報 1927/8/2 〔5/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『慶尚南道/女房に化けて内地へ密航/際どい処で発見さる』 京城日報 1928/1/19 〔4/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『三鮮人密航/石炭庫にひそんで』 福岡日日 1928/1/25 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
・『密航鮮人難破し西戸崎で救はる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1928/2/19 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】





・『十一名の密航者送還せらる』 大阪毎日 1928/2/21 朝鮮 〔9/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『北日本汽船の「以智丸」が多数の密航鮮人を乗せて神戸に帰る/水上署、厳重取調べの歩を進む』 神戸新聞 1928/3/6 夕 〔2/4〕 神戸・兵庫 【渡航】
・『船長が首謀で鮮人を密航させる/一人から十一円とった/南鮮航路の以智丸』 大阪毎日 1928/3/6 〔7/9〕 神戸・兵庫 【社会】
・『背任罪その他の罪名で三名を司法係りに/以智丸鮮人密航事件』 神戸新聞 1928/3/7 夕 〔2/8〕 神戸・兵庫 【渡航】
・『密航の鮮人(門司市)』 福岡日日 1928/6/29 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】
・『帆船で内地密航/三十余名の一団で』 京城日報 1928/9/12 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『怪しまれた密航の鮮人/手続不備と判る』 神戸又新日報 1928/9/29 〔5/8〕 神戸・兵庫 【渡航】

・『鮮人の密航/対州からが多い』 福岡日日 1928/10/12 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】
・『支那人の密航を企つ/発動汽船で準備中を/釜山水上署で検挙』 京城日報 1928/10/25 夕 〔2/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『密航を種に/詐欺を働く』 大阪朝日 1928/11/28 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『密航料三百円/支那人から捲上げる』 京城日報 1928/11/29 〔5/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『長崎県(対馬)対州にて密航鮮人/五名発見さる』 福岡日日 1929/1/25 夕 〔1/2〕 ・長崎 【渡航】




 ・『石炭庫内に密航鮮人/横浜から大阪へ』 大阪毎日 1929/1/29 夕 〔2/4〕 大阪・大阪 【社会】
・『密航支那人失敗して送還/草梁からぬけ出し福岡で上陸禁止』 京城日報 1929/1/30 〔7/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『怪朝鮮少年/密航成功を申立つ(門司)』 門司新報 1929/3/20 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】
・『密航して内地見物』 京城日報 1929/3/27 〔4/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『二十余名の密航鮮人/西唐津で発見』 福岡日日 1929/4/10 夕 〔1/2〕 唐津・佐賀 【渡航】
・『内地に密航し/送り還さる』 大阪朝日 1929/4/11 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『内地密航を企つ』 大阪朝日 1929/4/11 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『旱害農民の/生血を吸ふ/内地密航の悪周旋業者』 大阪朝日 1929/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

・『朝鮮人四十名山口県へ密航/上陸し捕はる』 大阪朝日 1929/5/2 夕 〔2/9〕 豊浦郡・山口 【密航】
・『内地へ密航/張本人捕る』 京城日報 1929/5/3 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『<全羅南道>命懸けの内地密航/無人島に集り帆船で』 京城日報 1929/5/10 〔4/13〕 木浦・朝鮮 【渡航】
・『五十余名内地へ密航/仮泊中捕る』 京城日報 1929/5/13 〔3/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人二十六名内地密航/西戸崎を徘徊(粕屋郡志賀島村)』 門司新報 1929/5/14 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】
・『内地密航者/卅名送還さる』 大阪朝日 1929/5/17 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】











 (以下延々と続くので省略) 





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戦後もあらゆる手段を講じて、
命がけで密航をして怒濤のごとくどんどん入ってくる


 ▼この韓国の新聞の密航者たちは、
どこの国へ密航が行われていたのでしょう?
 







$日本人の進路-密入国03


画像クリックで拡大 東亜日報 1946.2.4 密航取締船 各海岸に配置

密航を厳禁するため、このたび、運輸局海事部では5トン以上のすべての
船舶を2月20日まで近くの埠頭局の本局または洞出張所などに再登録するよう要望している。
しかし、万一この期限内に再登録しない船舶はその事由の如何を問わず
密航船舶として処理する考えであり、該当者はもれなく○○○○管理官庁に再登録しなければならない。
また、正当管理と運行許可申請書を提出するよう望む。
 








癩(らい)患者の大部分は、
あらゆる手段を講じて、日本に向け多数密航


  ▼ 衆議院会議録情報 第002回国会 本会議 第55号より
(昭和二十三年六月四日(金曜日)午後二時九分開議)

衆議院会議録情報 第002回国会 本会議 第55号


榊原亨の質問

さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。
現在朝鮮人癩(らい)患者は、一療養所に約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、
戰前朝鮮の小鹿島にありました約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、
全部これが脱出をはかりまして、この脱出いたしました六千名の癩(らい)患者の大部分は、
あらゆる手段を講じて、日本に向け多数密航してきたのであります。

その一例を申しますると、兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、
これら朝鮮人患者は、日本において一團を組織いたしまして、
不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたしまして、
いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつあるのであります。 



そして、彼らの一部が万一警察に捕われましても、前に申し上げた通り、何ら処罰を受けることなく、
そのまま癩療養所に再び收容され、彼らはますます増長いたしまして、療養所内の秩序を乱し、
勝手氣ままな生活をした後、折を見て再び三たび脱出するという順序を繰返しておるのでございまして、
療養所は、この種犯罪者の安全なる温床となつておるのであります。

 これらの点につきましても何らか緊急の処置を講じなければ、
單に一般社会への癩病の傳染の危險があるばかりでなしに、
社会の安寧秩序の上から申しましても、実に重大なる事態に至ることを憂うるものであります。
※[003/003] 2 - 衆 - 本会議 - 55号  議事録より
 







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韓国人は終戦直後に小鹿島ハンセン病患者84人を虐殺しました。
そして、この大虐殺を抑えたのは、まだ半島に残留していた旧日本軍です。
日本軍が韓国ハンセン病患者の命を救いました!
日韓ハンセン病関係年表

その後、李承晩が大統領になりますが、彼がハンセン病患者を庇護する筈はありません!
※李承晩の大田刑務所政治犯1800人大虐殺を行いました。(含む済州島民)

そうした事から彼らは逃げて密航してきたのです。
日本軍と日本に2度も命を救われているのです!
それなのに、来歴を誤魔化し、
「朝鮮人とハンセン病の二重の差別を受けた!」と日本を糾弾するのは、明らかに変です。
  


日韓基本条約で1945年以前の請求権は、個人請求も含めて相互に放棄している。
改正ハンセン病補償法が2006年2月3日成立しました。
日本人のハンセン病患者には昭和28年以前の補償はされていません。
日本人に補償しない期間の
補償金を韓国人には、なぜ支払うのでしょうか。
ここが変だよ改正ハンセン病補償法 / ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律  
 





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「密航4ルートの動態

日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」
産経新聞 昭和25年(1950年)6月28日(水)付朝刊

朝鮮南北戦争の拡大によって憂慮されることは、南鮮避難民の日本への殺到だ。
終戦以来、悩みのタネとなっているこの密入国は、
今次の戦乱で明日にでも、どっと押寄せてくる危険がある。
目下、政府は緊急対策をねっているが、今ここに
“日本密航への途”を衝き、その実態を明らかにしてみよう。

(略)

これら4ルートを通じて終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は
約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる。

<敗戦国の悲しさ>

これが取締りは目下、海上保安庁と国家警察本部が当っているが、
密輸団は火砲装備を持っているに反し、我が監視船は何ら装備なく、捕捉率はきわめて悪く、
密輸船の2割程度しか捕捉出来ない現状にある。
また、入国した際の外国人登録証明は暴力と買収につきるといわれ、
それがそのまま合法化する場合が多いようだ。


(略)
 










朝鮮半島から密入国者が命がけで入国している。

 ▼1955年 衆議院会議録情報 第022回国会 法務委員会 第23号より
(昭和三十年六月十八日(土曜日)午前十時五十九分開議)

第022回国会 法務委員会 第23号

 ○神近委員
今六十万の朝鮮の方々がいる。
そしてその方々が日本の失業状態のあおりを食って、なかなか仕事が得られない。
仕事が得られないために犯罪をたくさん犯す。
これは私憎みたくないけれども、いろいろの新聞その他に出ております犯罪にとても朝鮮の人が多い。
 




 ○小泉政府委員 
六十万と推計をせられる朝鮮人のうち、
日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても大した言い過ぎではない。
一方向からは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、
命がけでも密航をして、方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。
そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容易に受け付けない

というところに、人道問題だけでは解決しない大きな国と国との外交問題と申しますか、
もう入国管理局だけでは手に負えない大きな外交問題となってここに横たわっておるのは、
私が申し上げるまでもなく、御理解をいただいておると思うのであります。
ですから、要するに、こちらは国際的ないわゆる紳士としての態度をもって韓国に接しましても
、韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、御承知の通り李承晩ライン、
その他漁船の拿捕の問題、こちらから、
密航した者を密航したという確証をあげて 韓国に申し入れましても、
その送還を容易に受け付けない、
 


こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、
不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、
大村収容所にはますます人員がふえていく、

それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない、
その取扱いについても、きわめて懇切丁寧にしなければ、
人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。

これを大まかに考えますと、一体日本のためにやらなければならないのか、
日本国民の血税の犠牲において、
韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければならないかというようなところまで、
考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。
 




吉田茂氏がマッカーサーに宛てた
「在日朝鮮人に対する措置」文書 (1949年)


朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。
私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、
その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、
将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。
 


 (2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。
彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。

--中略--
 



さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。
 
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、
私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
敬具 吉田 茂

在日韓国・朝鮮人 (Wikipedia)


テロリストの出すような条件をのんで
日韓漁業協定の成立(1965年)
 
 

李承晩ラインが廃止されるまでの13年間に、
韓国による日本人抑留者は3929人、死傷者は44人を数えた。

抑留者は6畳ほどの部屋に30人も押し込まれるなどの劣悪な抑留生活を強いられ、
抑留期間も最長13年間におよんだ。

李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本政府は韓国政府の要求に応じて、
日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた
在日韓国・朝鮮人472人を放免し、在留特別許可を与えた。
 


一方、韓国政府は日本人抑留者の返還には同意したが、
日本政府が摘発した韓国人密入国者の強制送還は拒絶し、
日本国内に解放するよう要求した

この殺人犯も含めた犯罪者の子孫も日本で生活している?


李承晩ライン(Wikipedia) 
 





66人の工作隊を送り込んで帰国事業を妨害
29日午後「在日朝鮮人の北送(北朝鮮への帰国事業)を阻止する 警察特殊任務遂行者の補償に関する法律案」が
国会の本会議を 通過したというニュースを聞いたキム・ホンユンさん(84)は、ぽつりとこうつぶやいた。
キムさんは、日本が扇動した(在日朝鮮人の)帰国事業を阻止するため、
1959年に命をかけて玄界灘を越え日本に密航した、66人からなる 工作隊の一員だ。
この日、高齢のためシミができたキムさんの頬に、涙がこぼれ落ちた。

「生きていれば、こうした瞬間が来る。 50年間ずっと忘れられていた私たちにも…」。
同じく工作員だったチョ・スンベさん(79)の声は震えていた。「北送阻止工作事件」は、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領の
指示を受けた内務部(省に相当)治安局が、 日本政府による帰国事業を阻止するために主導した事件だ。
 


治安局は1959年9月、警察試験合格者24人と在日学徒義勇隊出身者41人、
予備役将校1人の計66人からなる工作隊を結成し、日本に送り込んだ。
帰国事業を阻止する手段を探っていた韓国政府が選んだ 「最後の手段」だった。

当時、警察の幹部試験を受験し、合格の知らせを待っていたキムさんは 「国のために特殊な仕事をすることになる」
という通知を受け取った。 ソウル市内の牛耳洞渓谷にある訓練場に、工作員66人が集められた。
工作員は3個小隊に編成され、暗号の送受信、爆発物の設置など 工作員教育を2カ月間受けた後、
7回に分けて日本に密航した。 キムさんに与えられた偽名は「キム・ソクチョン」だった。
 


59年12月12日午前、馬山港を出港した。船底で約30時間じっと待機した末、 広島の呉港に到着した。
在日韓国・朝鮮人975人を乗せた第1次帰国船が新潟港を出発した日だ。
工作隊の任務は、 当時の岸信介政権の指示を受けて帰国事業を主導していた
日本赤十字社の建物を破壊すること、
帰国事業を担当していた日本側要員の暗殺、
帰国船が入港する新潟港に通じる鉄道線路を破壊することなどだった。

密航の過程で、風浪により12人の隊員が命を落とした。
残りの隊員たちは隠れ家を用意し、工作活動の準備を進めていたが、韓国政府の関心は時間とともに薄れていった。

治安局は当時、工作員の帰還のため極秘に船を派遣したが、日本の警察に発見され、
60年5月3日にキムさんら24人全員は 下関で逮捕された。
工作員らは長崎刑務所に6カ月ほど収監された後、61年に韓国に 強制送還された。
 
















$日本人の進路-密入国04


在日朝鮮人帰国事業の阻止に向け動いた工作隊 事件から50年、補償法が国会を通過 2011/4/30  









日本パチンコ業界のトップ「マルハン」で、
2002年の米国フォーブス誌が選定した世界億万長者ランキングでは
日本国内の22位(個人資産1320億円)にランキングされている。
韓国系事業家、韓昌祐(ハン・チャンウ)も。

“密入国”と言うのは格好悪いからボートピープルという表現を使うんです、と笑いながら
「戦後、船に乗って多くの同胞と一緒に日本に密入国したこと」を認めた。
 





2005年5月18日放映されたテレビ朝日の番組


pachinko(maruhan) .

http://www.youtube.com/watch?v=cdr06WIqK0k








2002年になって(日本名ではなく)韓昌祐という本名で帰化しているが
「朝鮮籍の人がいろんな形で北朝鮮に奉仕しているのは事実です」
と完全に認め、 「我々は永遠に朝鮮民族、韓民族なんですよ」と明言した。
 







ソフトバンク社長「孫正義」氏の父親「安本三憲」氏も密航してきている。






$日本人の進路-密入国06





それで『これでは日本に帰った方がましだ』と思い、
再び日本に帰ることにした。といっても、密航です。
やはり日本から引き揚げたものの、故郷の荒廃を見て日本に戻る人たちがいた。
その人たちと一緒になけなしの金を集めて、ぼろい漁船を調達したそうです」
(『あんぽん 孫正義伝』より抜粋)
Link: 政経ch - 孫正義「私は朝鮮部落生まれで父親は密漁船で日本に密入国し・・・  
 













$日本人の進路-密入国07



参照:NEWSポストセブン / 魚拓  









$日本人の進路-密入国08


参照:livedoor ニュース / 魚拓  










強制連行されたという在日朝鮮人のふしぎ!

 戦後60年、本国から返還請求がないのはなぜか。
・ 戦後60年、本国が在日問題をとりあげない理由はなぜか。
・ 戦後60年、本国に助けを求めなかった理由はなぜか。

・ 戦後60年、自分達で帰国事業を立ち上げなかった理由はなぜか。
・ 戦後60年、日本人に対して帰還事業を提案しなかった理由はなぜか。
・ 朝鮮戦争時、帰国して戦わず自国を見捨てた理由はなぜか。
・ 嫌いな国に60年も居座っている理由はなぜか。
・ 在日朝鮮人について、韓国国定教科書に記載がない理由はなぜか。
 





受け入れを拒んでいたことが、
韓国政府が公開した外交文書で明らかになった


日本政府が1970年代後半、日本で犯罪を犯した在日韓国人を韓国に強制退去させようとし、
韓国政府が受け入れを拒んでいたことが、韓国政府が12日公開した外交文書で明らかになった。
拒否された日本側は、強制退去対象者を北朝鮮に送還する可能性を韓国側に「暗示」したとしている。

外交文書によると、
韓国政府は「韓国に生活基盤がない」などとして強制退去対象者20人の受け入れを拒否。
在日韓国大使館は78年7月、「日本政府が北朝鮮に送還することを暗示した」と分析し、
「日本との協議で1人の受け入れを決めた」と韓国外務省(現外交通商省)に報告した。

だが同省は、「受け入れられない」と大使館に再協議を指示したとされる。
犯罪を犯した在日韓国人の強制退去を韓国が拒否…70年代外交文書で判明 [09/2/12] / 魚拓

そして
 

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