“極悪独裁者”金正恩の毒饅頭を喰った“狂ピエロ”文在寅(その1) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

“極悪独裁者”金正恩の毒饅頭を喰った“狂ピエロ”文在寅(その1) ──“全面戦争の東アジア”が到来し高笑いのプーチンと習近平

 

 

 

 

 

 

 

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“極悪独裁者”金正恩の毒饅頭を喰った“狂ピエロ”文在寅(その1)
2018-05-11 22:37:08NEW !
テーマ:保守主義、中川八洋掲示板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中川八洋掲示板
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“極悪独裁者”金正恩の毒饅頭を喰った“狂ピエロ”文在寅 ──“全面戦争の東アジア”が到来し高笑いのプーチンと習近平


2018.05.07
北朝鮮の撃破殲滅が日本の安全

 

 

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

 

 

 

 

 

 “世紀の茶番劇ショー”が繰り広げられた2018年4月27日は唖然とする馬鹿げた日だったねと、ただの苦笑で回顧されるのだろうか。それとも、その後の時代が、特にアジアが、世界平和を破壊して“戦争の21世紀”つまり確実な戦争の時代へと突入した悍ましい記念日として悔やむのだろうか。人類史には、首脳会談の後に平和が到来したことなど一度もない。ビスマルクは歴史に範を求めない者を“愚者”と軽蔑して排したが、今や日本だけでなく、世界中に愚者が、アフリカの大地で発生した蝗の大群のごとく大繁殖してしまった。  

 ここで、少し歴史をおさらいするのは、板門店4月27日会談が、大戦争への一里塚でしかない当たり前の事柄を喚起しておきたいからである。謙虚な人間の常としての歴史に学ぶ姿勢と過程において、北朝鮮からの亡命コリアンの息子・文在寅は、極悪独裁者・金正恩に暗愚故に一本釣りに操られ騙されたのか、それとも父親の代から北朝鮮宗主国と仰ぐ“隠れ北朝鮮人”だからなのか、この事も自然に暴かれるだろう。

 

 

殺人常習の独裁者は必ず外交の天才──外交勝利者ヒトラー/スターリンを忘却した日本人

 “残忍・凶悪な極悪人”独裁者は、戦争に負けることもあるが、外交で負けることは決してない。そして彼らは、絶対に勝利する大原則“大勝利の外交”の延長上で、必ず時期を得て大戦争を開戦する。この事例と異なる歴史は一例もない。なお、ここで謂う「外交の勝利」の定義は、その外交の結末が双方にとってwin-winとはならず、“自分win-相手lose”の結果に陥ること。

 この歴史の教訓は、20世紀に在っては、ヒトラースターリンを思い出せば、いとも簡単なことではないか。これに、「平和共存」を売りにソ連の軍事的膨張をやってのけたフルシチョフの事例を加えれば、国際政治の一般教養としては十分だろう。それはまた、ヒトラー/スターリン/フルシチョフの事例に思いを致さないで、テレビ・ショー化された4月27日の金正恩・文在寅会談をそのまま視聴した日本人とは、度が過ぎた無学・無教養だし、国際政治を論じる水準を欠く欠陥人間ということ。

 さて、ヒトラーに外交的大敗北を喫した英国チェンバレン首相、ヤルタ協定(対東欧)やヤルタ秘密協定(対日本)などスターリンに外交的大敗北を喫した米国ルーズベルト大統領、フルシチョフに(キューバの共産化を認めることになった)外交的大敗北を喫した米国アイゼンハワー大統領の事例に論を進める前に、北朝鮮に騙された過去二回の南北朝鮮首脳会談についても思い出しておこう。

 第一回は、狂信的なコミュニスト金大中が、金正日と2000年6月に平壌で会談。第二回は文在寅の師匠で北朝鮮シンパの盧武鉉が2007年10月、金正日平壌で行った。だが北朝鮮はこの間、弾道ミサイルと核弾頭の開発に驀進した。南北首脳会談は、韓国側を油断させる効果抜群で、重大なマイナスとダメージを遺した。それだけでなく、韓国をして、米国や日本の北朝鮮非難を北朝鮮に代わって受けて立たせる、何とも奇天烈な、北朝鮮を護る“対米日の外堀”に変貌させていた。

 その上、南北首脳会談の効果は、米韓の軍事同盟関係に楔を打ち込むから、絶大なこと限りなし。南北首脳会談の後は、友好ムードが破綻するまでの相当期間、米国が日韓のためにしてくれる、その北朝鮮への強硬路線を凍結に追い込むからで、この事実は二度に亘って十全に証明済み。

 

 

独裁者の吐く“騙し語”「平和」は、「戦争準備が終了し」開戦前夜に吠える“鬨の聲”

 このような過去二回の南北首脳会談の結果がもたらした(平和破壊の)危険増大の歴史を知っているだけでは、実は不十分である。この程度の知見なら、新聞に書いてあるからだ。歴史に学んでいる、真正の知性ある日本人か否かは、独裁者の言葉「平和」の真意がその逆の「戦争」を意味すると正しく認識しているか否かで決まる。オーウェルの見事な造語“転倒語法”は、共産国共産主義者の吐く騙し語の本質を衝いた最高のガイドラインである。

 1994年の金日成死去直後、金正日北朝鮮)は、核弾頭のプルトニウム製造に不可欠な黒鉛炉等を凍結すると約束し、米国・日本・韓国の費用負担で二基の軽水炉を建設してもらうことにしたが、むろんこれは騙し。実際には、北朝鮮は核開発を続行し、かつ驀進していた。

 クリントン大統領が当初考えていた通りに、寧辺の再処理施設と黒鉛炉三基(建設中を含む)を爆撃して破壊しておれば、1994年以降の北朝鮮の核開発も弾道ミサイル開発もなかったのである。いや、この1994年、この爆撃の衝撃で、北朝鮮は100%の確度で空中爆発するかのように、1989年の東欧諸国の共産体制と同じく崩壊していた。当時後ろ盾のソ連は自分自身の共産党独裁体制の崩壊直後で、北朝鮮を支える経済力どころか外交力すら皆無であった。「今こそ北朝鮮を叩き壊す千載一遇の好機」と考えたクリントン米国大統領の正しい決断を、泣き喚いて止めた超馬鹿・超臆病の金泳三が韓国大統領でなかったら、1994年、北朝鮮は地球から消えて韓国に併呑されていた。

 日本を含めて米国や韓国の愚鈍な大ミステークの第二番目は、2005年の六ヶ国協議であろう。この時、北朝鮮は核放棄宣言に同意した(共同声明に署名した)。だが、むろん、これもまた北朝鮮得意の対米騙し外交であった。2009年、北朝鮮は、六ヶ国協議から離脱して、この核放棄宣言をアッカンベーと後ろ足で砂をかけた。

 しかも2005年は、1994年とはがらりと情況変化を来たしていた。新生ロシアが経済の大混乱から完全に立ち直り、北朝鮮に対する地下水脈命令外交の機能を回復していたからだ。具体的には、(1945年以来の)“北朝鮮=ロシアの衛星国”に戻っていた。中共もまた、経済成長をし続け、北朝鮮が核保有国にのし上がる野望を達成できる最低限の経済基盤を支えてあげる、十分な経済力を有するようになっていた。

 この程度の過去の事実を思い出すだけでも、4月27日の文在寅の板門店宣言の、恐ろしい程に空疎であるのが一目瞭然に理解できよう。いや、空疎どころではない。板門店宣言こそは、北朝鮮が計画している、そう遠くない近未来におけるロ中朝三ヶ国の対日全面戦争に向けての侵略の意図を隠蔽してあげる、騙し語「平和」で盛りつけたプロパガンダ文書の典型ではないか。

 要するに、戦争前夜に侵略者が必ずとる、平和愛好国の防衛や未然防止軍事作戦を骨抜きすべく、麻薬と危険爆発物を一緒にしたような“油断”催眠効果抜群の文書(=板門店宣言)を、文在寅は、金正恩に代わって、世界に撒布してあげたということになる。

 

 

ベトナム戦争を開始しキューバを共産化したのは、「平和共存」の連発屋フルシチョフ

 極悪独裁者の放つ語彙「平和」とは「戦争するぞ」の意味しかない。これ以外の意味を決して持たない。が、この程度の常識を、すでに劣化して知を喪失した日本人は誰一人として有することなくなった。ただ、喫緊の課題は、トランプ大統領の問題。だから、ここでは日本人の問題は脇に置く。トランプが、「極悪独裁者の放つ語彙《平和》とは《戦争するぞ》の意味しかなく、これ以外の意味は存在しない」事を熟知しているのかどうかが問題なのだ。それはまた、トランプが、ロシアに騙されたルーズベルト大統領やアイゼンハワーの愚行を肝に銘じているか否かが問題の核心ということになる。

 フルシチョフは、キューバに核弾道ミサイルを搬入して、首都ワシントンとニューヨークを核攻撃する態勢をつくるべき計画を練った時、まず「スターリン批判」を行い、自分がスターリンとは異なるかのような真赤な嘘イメージを醸成した。この偽イメージ操作の過程で、フルシチョフは、「平和共存」を大連発した。

 なおフルシチョフこそ、スターリン以上に農民殺しに熱心で、ウクライナにおける1930年代の800万人農民餓死処刑を直接指揮したのはフルシチョフだった事実をアイゼンハワーは知らなかった。ロシア正教の教会潰しは、スターリンよりフルシチョフの方がはるかに残忍で阿漕だったが、この事実もアイゼンハワーは知らなかった。

 なお、フルシチョフの「スターリン批判」は、1956年2月の第20回ソ連共産党大会と1961年10月の第22回ソ連共産党大会の、二回ある。1956年のフルシチョフの名演技にすっかり騙されたのが、アイゼンハワー米国大統領。お粗末にもアイゼンハワーは、「スターリン批判」が本気だと錯覚して、ソ連が世界共産化というマルクス・レーニン主義ドグマから変貌するかも知れないと誤解した。キューバの共産革命(カストロ独裁政権樹立、1959年1月)は、フルシチョフによって推進されているのに、共産主義者の転倒語法や卓抜する偽情報操作に無知なアイゼンハワーは、対ソ宥和のためフルシチョフを米国に招待した(1959年9月)。

 さも「ソ連は米国とは軍事的衝突を決してする気がない」かのムードを米国内に醸成する特効薬が、フルシチョフ発明の嘘スローガン「平和共存」だった。ケネディは、前任者アイゼンハワーほど騙され易い米国大統領ではなかったが、米国の一般国民の中で「ソ連と平和共存できる」と考える馬鹿が一気に増えていたことで、その対ソ外交で随分と足を引っ張られた。トランプの脳内は、アイゼンハワーと酷似している可能性が高い。

 特にフルシチョフは、1961年に入り、米国を標的にした核弾道ミサイルSS4&5のキューバ搬入と設置を決定するや(実際の搬入は1962年10月)、米国を油断させるべく、第22回ソ連共産党大会(1961年10月)で「平和共存」演説をド派手に演出し、世界とくに米国に向けて発信した。次の演説を、文在寅が署名した、今般の対北朝鮮全面屈伏文書「板門店宣言」と比較してみよ。基本的にそっくり

「我が国は、二つの巨大国であるソ連と米国が、どんな性質の関係を取り結ぶかを特に重要だと考えている。もし両国が平和のために足並みを揃えて努力するならば、誰が敢えて平和を脅かす立場をとるだろうか、そうした立場に立とうと望むだろうか・・・」

 また、第22回党大会で新しい共産党綱領が採択され、この綱領でもまた、「平和共存は、国家間の紛争問題解決の手段としての戦争放棄/内政不干渉/・・・・/国際的な規模における社会主義と資本主義の平和競争などの、基礎であり・・・」と嘘宣伝されていた。だが、フルシチョフからブレジネフにかけた二十五年間のソ連対外侵略史からも、共産主義者の言葉「平和共存」「平和競争」とは、“自由社会が、共産国の軍事侵略に対して指をくわえて侵略され放題になる事”という意味だったと、今では誰でも知っている。

 ここでは詳しく分析するのは割愛するが、板門店宣言は、眼光紙背に徹して読めば、文意は「韓国が北朝鮮国益のために北朝鮮の言いなりになる事を誓約する」文意になっている。金正恩の背後で指揮を執っているのは、中共習近平ではなく、ロシアのプーチンとその配下のKGB第一総局(SVR)。フルシチョフの「平和共存」と同一のロジック表現となっているのは当然なこと。

 ともあれ、フルシチョフの「平和共存」が、キューバの共産化だけでなく、西ベルリン封鎖ベトナム戦争の開始など、その世界制覇への軍事的大膨張を促進する軍楽隊の行進曲だった歴史を忘れてはなるまい。

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

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