スターリンの犯罪を忘れるな(その2)ーロシア(ソ連)の日本に対する非道の歴史 | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

スターリンの犯罪を忘れるな(その2)ーロシア(ソ連)の日本に対する非道の歴史

 

 

ーこれが共産主義国(悪魔国家)の実態だ

 

 

 

 

 

 

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http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0825StalinDaiakunin.html

 

 

 

スターリンの犯罪を忘れるな
                   2012年3月 Minade Mamoru Nowar
                                              
1953年3月5日、極悪非道なソ連の独裁者、スターリンが死亡した。

スターリンの最も忠実な部下で、ソ連秘密警察の元締めであったベリヤは、
権力基盤を失い、1953年12月23日、【国家反逆罪】で銃殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

 

 

 


 ③



上記の一部抜粋:

7,679名が無実の罪

また各地方でも、広くでっち上げの事件が行われた。スヴェルドロフ州のNKVD本部は、いわゆる
ウラル暴動派なるものを発見した。

この当時の調査物件は、ほとんどすべての地方、州、共和国に右翼のトロツキスト、スパイ・テロ、
サボ組織が存在したこと、また一般的に、こうした組織の首脳部は、州、あるいは共和国党委員会や、
中央委員会の第一書記だとされたのであった。


このような諸事件の奇怪なでっち上げや、あらゆる種類の中傷的自白が受入れられた事実、
お互いの間に、強制告発が実施された結果、多数の、正直・誠実で無実の共産党員が刑死した。

こよらの事件の大部分は、いまや明らかにされており、彼らの大部分は、その罪に根拠がなく、
でつち上げであったため、罪は取消されている。

1954年から現在まで、最高法廷の軍事指導委員会が7,679名の名誉を回復した。
そのうちの多数は死後に名誉を回復された。

党、政府、経済部門の人々、軍人の大量逮捕は、わが国、および社会主義の発展の進路に
恐るべき害を及ぼしたのである。














 






スターリンの極秘指令
読売新聞(朝刊)1992年(平成4年)6月3日第1面及び第4面より転載
この記事は読売新聞社の許諾を得て転載しています。
複製、送信、出版、頒布、翻訳等、著作権を侵害する一切の行為を禁止します。


 

 

 

 

 

「日本軍捕虜50万人移送せよ」  スターリン

(画像は下記サイト参照ください。) 

 

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香月泰男(KAZUKI YASUO)画伯 奴隷として貨車でシベリアへ拉致移送された日本人捕虜たち
著作権者の許諾をいただいて掲載しています。コピー・転載は禁止します。

ウラジミール・ポ・ガリツキー氏(ロシア軍事アカデミー・メンバー、法学博士、教授、海軍大佐)は、
毎日新聞社が1999年2月に発行した『毎日ムック シリーズ 20世紀の記憶 1945年 
日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃』の第129頁
「日本人捕虜の大多数は満州からソ連領土までを徒歩で移動した。
ソ連国内の指定地点への移動は鉄道の貨車で行われた。
その移動の途中で、32,722人が死亡した」と述べている。

筆者は、拉致移動途中に死亡した日本人捕虜は4万人以上であったと推定している。
しかしながら拉致移動途中の死亡者数については何らの資料も残されていない。


捕虜は貨車でシベリアの荒野へ!

 
貨車で死亡した捕虜は馬車に野積みにされ、荒野に運ばれ、遺棄され、虎と狼とハゲ鷹の餌食に!

 
荒野の真ん中の捕虜収容所まで徒歩で移動!

  


厳寒期には零下30度以下になる屋外で重労働を強制された。
若い国会議員と外務省の外交官に零下30度以下での奴隷労働の状況を
少しでも体験してほしいと思う。



極寒期における日本人捕虜の石炭採掘作業


極寒期における日本人捕虜の鉄道基礎掘削作業


極寒期における日本人捕虜の枕木運搬作業


極寒期における日本人捕虜の鉄道敷設作業


劣悪極まる作業環境のため、炭塵、鉱塵で多くの日本人捕虜が【シベリア珪肺】に苦しんだ。

くやしい。悲しい。むなしい。情けない。
誰がこんなことに追い込んだのか。激しい怒りを禁じ得ない。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(画像は下記サイト参照ください。) 

 

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「戦友よ許してくれ」
著作権者の許諾をいただいて掲載しています。コピー及び転載は禁止します。


2006年3月6日午前の参議院予算委員会の審議において
民主党の谷博之参議院議員は【シベリア抑留問題】に関連して、
シベリアでの奴隷労働の苦難に耐えられた井上馨氏が描かれた
【戦友よゆるしてくれ】という3枚の絵を小泉首相に示された。

ソ連は、遺体の衣服をすべて剥ぎ取って丸裸にした上で、
埋葬することも、火葬することもなく、谷底に遺棄したのである。

奴隷として酷使され、遺体を遺棄され、禿鷹の餌食とされ、

人間としての尊厳を、
とことんまで踏みにじられた。


戦友たちの、あまりにも悲惨な【野辺送り】を耐えなければならなかった
井上氏たちの悲痛な呻きが伝わってくる。

ご遺族の方々やシベリア奴隷労働被害者(シベリア抑留者)の方々の心情は
察するにあまりある。心から哀悼の意を表したい。



【歴史の闇】に葬り去られた
日本人女性の強姦被害



筑紫野市湯町の二日市温泉の済生会病院旧館のはずれに小さな水子供養祠がある。

1946年、満州からの日本人民間人の引き揚げが開始されてから、博多港に上陸した
日本人引き揚げ者は約1年半で139万人に上がった。

ソ連兵や北朝鮮の保安隊兵士に強姦されて、身ごもった女性も多数いた。
上陸寸前、絶望して博多湾に身投げした女性もいたといわれる。


身ごもった女性の妊娠中絶手術が厚生省博多引揚援護局二日市保養所で行われた。
手術は、麻酔を使わないで行われたといわれる。「白い肌、赤い髪、長い指。
一目でソ連兵の子供とわかる水子もいた」といわれる。

極悪非道なスターリンの侵略戦争の犠牲となり、
何度も【地獄の責め苦】に苛まれた女性たちを慰める言葉が出ない。

戦争を絶滅して、再び、このような悲劇が起こらないことを祈るのみである。




以上

 

 

 

 

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