「日本共産党」の凶悪な正体(その3) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

「日本共産党」の凶悪な正体(その3)








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中共、ロシア、北朝鮮 の尖兵日本共産党、共産主義者




日本共産党002













日本共産党の正体


日本国家の廃滅と中、露、朝への植民地化を進めているのが日本共産党

日本共産党001






共産主義者は人間の良心を消滅させた「人間の命を虫けら以下に扱う鬼畜」である。
左翼の人間の道徳性の無い凶悪な姿は「共産主義が人間性ゼロ、良心ゼロの凶悪思想」だからである。
 


人間性ゼロ、道徳性ゼロの人間が共産主義者であるが、この凶悪さを腹にしまった鬼畜が戦争法案反対などとさもまともな人間のように主張しているバカバカしさ。
共産主義者は人間を何万人、何百万人ころしても平気な悪魔たちでないか。
 





























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http://www.geocities.jp/communismmuseum/content/content.htm



共産主義の犯罪









○ 日本共産党編


 私は、日本共産党と左翼により犠牲になった死者の数は約一万人であろうと推定する。この数字は真実として広められなければならない。そして、世界中の共産主義犠牲者博物館に展示され、世界中の共産主義の犯罪の研究書に明記されなければならない。水谷尚子さんの著作である『「反日」以前』の九十六ページからには一九五〇年代前半、北京に政治亡命していた日本共産党の幹部、袴田里見と野坂参三が同じく北京に滞在中であった党幹部、伊藤律を「スパイの疑いがあるから『処刑』あるいは『処分』して欲しい」と依頼した(中国共産党は拒否)ことが暴露されているが、このような事実は後世に伝えられなければならない。 

共産党が犯した殺人事件としては、宮本顕治が査問と称するリンチで小畑達夫を殺した事件、昭和24年7月15日に中央線三鷹駅の車庫から無人電車を動かし駅前の交番と民家に突入させて6名の死者を出した三鷹事件、昭和24年8月17日に青森発上野行きの旅客列車を、東北本線、福島県金谷川駅と松川駅のカーブを通過する時に脱線転覆させ、3名の死者を出した松川事件、昭和26年12月に東京都練馬区旭町の駐在所に勤務していた伊藤巡査を殺害した事件(印藤巡査となっている文献もある)、昭和27年1月に札幌警察署警備課長の白鳥一雄警部を背後から拳銃で狙撃し殺害した事件、昭和27年5月1日に使用を禁止されていた皇居前広場に突入し暴れ、8名が死亡した血のメーデー事件がまず思い浮かぶ。 


 日本共産党は武装蜂起時代にたくさんの犠牲者を出した。武装蜂起の時代とは、日本共産党が軍事方針に基づいて軍事闘争を行った昭和26年からしばらくのことである。この軍事闘争は、日本共産党が朝鮮戦争で北朝鮮=ソ連・中国共産党を支援するための後方撹乱戦術であった。

 当時、交番を日本共産党の軍事委員会のメンバーが火炎瓶をもって次々と襲撃し、火炎瓶を投げ込んで警官を負傷させ、時には殺害するという事件が続発した。最初に起きたのは、伊藤巡査殺害事件である。以下、兵本達吉氏著の『日本共産党戦後秘史』から抜粋する。「東京都練馬区旭町の駐在所に勤務していた伊藤勝郎巡査は、管轄内の製紙会社の労働組合が第一組合と第二組合に分裂したとき、たまたま共産党系の第一組合員を逮捕したことから共産党員に深く恨まれた。そして、「会社の近くで人が倒れている」とおびき出されて殺害されたうえ、拳銃を奪われた。・・・警視庁は、捜査の結果、共産党北部地区委員会・軍事委員会の指揮による犯行であることを突き止め、14人の党員らを強盗致死罪で検挙した。」
 



 昭和27年1月には白鳥事件も起きた。これは、共産党札幌委員会が、札幌警察署警備課長の白鳥一雄警部を、札幌市内での勤務を終えて自転車で帰宅の途中、背後から拳銃で狙撃し殺害した事件である。共産党は警察と検察のでっちあげであると主張し、20年間にわたって裁判所で激しく争われた。しかし、主犯とされた日本共産党札幌委員会の委員長で軍事委員会委員長でもあった村上国冶は、一審で無期懲役、二審で懲役15年、最高裁で上告棄却(懲役20年)の判決を受け、再審請求や異議申し立て、最高裁再審特別抗告もすべて棄却された。そして、平成10年10月29日付の「北海道新聞」が『白鳥事件党員の犯行を裏付け、元共産党幹部が証言』という一面トップ記事を掲載し、共産党の犯行であったということが確実になったのである。


 昭和27年5月1日の血のメーデー事件でも多数の死傷者が出た。警察の資料によると、警察側で832人が負傷(生命危篤8人、重傷71人、軽傷753人)であり、共産党側の資料によると、警官の死亡が3名、重傷28名、負傷53名、デモ隊側の死亡が5名、負傷者300名とある。 



 査問・リンチ事件について言えば、何人もの無実の党員がリンチされ、生命を失っている。宮本・袴田の「スパイ査問事件」は有名であるが、他にも尹基協射殺事件昭和七年、平安名常孝殺害未遂事件昭和七年、大串雅美リンチ事件昭和八年、波多然事件昭和九年、大沢武男事件昭和九年など、数えあげれば切りがない。

 共産主義研究家の兵本達吉氏は、小畑達夫の死は明確にリンチによる傷害致死ないしは殺人事件であると断言している。詳しく知りたい人は、前述の『日本共産党戦後秘史』の「春日質問と「スパイリンチ事件」」、あるいは雑誌『正論』の2000年6月号の「いま明かす共産党スパイ査問事件の内部調査」を研究されたい。


 また、査問事件にからみ、傷つき、廃人となったり精神に異常をきたしたり、あるいは自殺した人もいる。不破氏と同じ東京大学の共産党に所属していたが、今は共産党をやめ共産党の批判活動をしている安東仁兵衛氏の『戦後日本共産党秘史』によると、昭和26年2月、不破氏はスパイ容疑で激しい査問を受けている。拷問ともリンチとも言えるようなそのあまりのひどさに不破氏とともに査問を受けた戸塚秀夫氏は自殺をはかっている。
 



 共産党員が地主宅に押し入り、暴虐の限りを尽くし、金品を強奪する事件も頻発した。有名なのは曙事件である。以下も、兵本達吉氏の『日本共産党戦後秘史』からの抜粋である。「日本共産党の十名の山村工作隊員が、山林地主佐野喜盛宅へ「佐野喜盛を人民裁判にかけ、財産を村民に分配する」と称して、竹槍、こん棒を持って押し入り、就寝中の佐野及び妻、女中、さらには小学生3人をも竹槍でつき刺し、こん棒で殴打し、あるいは荒縄で縛り上げ、頭から冷や水を浴びせるなど、暴虐の限りをつくし、・・・、現金4860円と籾一俵を強奪した。」横川元代議士襲撃事件では、「昭和27年8月7日午後9時20分頃、日本共産党埼玉県西部独立遊撃隊と武蔵野独立遊撃隊の13人が、党資金を獲得するため、埼玉県比企郡大河村腰越居住の武蔵野銀行取締役、元商工政務次官で元代議士の横川重次(当時57歳)宅を襲った。・・・。目潰しを喰わせ、日本刀、短刀、登山用ナイフ等で同人の首、肩、腹、腰などを切りつけたり突いたりして瀕死の重傷を追わせた。」。 


 また、ある種の調査によると、ソ連のスターリンの大粛清時代にKGBによって粛清された日本人は100名近くになるが(たとえば、http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Moscow.html を参照)、その中には野坂参三元日本共産党名誉議長の密告により銃殺された山本懸蔵氏や同じく山本懸蔵氏の密告により銃殺されたり強制収容所に送られた人がたくさんいる。もちろん密告された人のほとんどは無実であった。これらの人たちも日本共産党による犠牲者として数えられなければならない。ちなみにイタリアでは、すでに『イタリア共産党黒書』が発行されていて、イタリア共産党による密告などで死亡した事件に関する本が発行されている。日本でも早い『日本共産党黒書』の発行が待たれる。 


現在でも日本共産党による犠牲者は出ている。共産党系の医師、看護士などが共産党の活動ばかり熱心にやって医療活動をおろそかにし、患者を殺した事件として、2000年7月の共産党系医療団体である全日本民主医療機関連合会(以下=民医連)の大阪の病院である耳原総合病院でのセラチア菌院内感染事件、同じく民医連の京都民医連中央病院で2002年9月に発覚した手抜き検査事件がある。セラチア菌院内感染事件では、堺市の耳原総合病院でセラチア菌の集団院内感染が起き、一年の間に約70人の患者からセラチア菌が検出され、八人が死亡した。手抜き検査事件では、京都市の京都民医連中央病院の臨床検査技師が、1998年以降、細菌検査をしていないのに「最近を検出せず」の虚偽の判定結果を出し、診療報酬を請求していて、手抜き検査に関係していた患者のうち、89人が死亡した。その他類するものとして川崎協同病院の安楽死事件がある。1998年11月に主治医が入院患者に大量の筋弛緩剤を投与して死亡させた。民医連では異常な事件が相次いでいる。たとえば、愛知県の名南病院では、当時の理事長であった鈴木幹男医師が、患者自宅で死亡した患者を患者宅で遺体解剖し、南警察署から書類送検されるという事件が起きている。この事件は、2003年3月7日の午前零時ごろ、鈴木医師が看護師五名を伴って患者宅に行き、患者宅でそのまま遺体解剖を行ったという常識ではまったく考えられない事件である(中日新聞 2003年(平成15年)6月18日号など参照)。 


 忘れてはならないのは、いったん共産党にかかわったものの、共産党のやり方についていけず、ノイローゼになり精神を病み、自殺した人たちである。共産党に入党したものの、朝、昼、晩とのべつくまなく共産党から電話が職場にかかってきて党勢を増やすようにがんがん指示され、病気になり、生命を絶った人がたくさんいる。あるいは、共産党に入党したものの、疑問を感じて共産党をやめようとしたが、いく先々に共産党がおしかけてきてやめるなとおどされ、精神を病み、廃人になったり、自殺した人がたくさんいる。このような人たちの総数は、統計がないのではっきりとはわからないが、一万人近くいると考えられる。この数字は誇張でもなんでもない。たとえば、元共産党愛知県委員会で働いていた宮地健一さんの研究によると、「愛知県委員会の約半分のスタッフを抱える名古屋中北地区委員会は、専従の党員が53名いた。そのうち、22名が病気になり、さらにそのうちの12名がノイローゼになった」という。宮地健一さんのホームページは共産党研究として定評がある。アドレスは、http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htm である。興味のある人は、閲覧して欲しい。また、共産党系医療団体である全日本民主医療機関連合会の職員の死因で一位を占めるのは自殺であるという事実がある。 


 もともと、共産主義が生命や平和を大切にすると言うのは嘘である。たとえば、共産党の青年組織である民主青年同盟の同盟員に人気のある歌に「ケセラ」という歌があるが、三番の歌詞には「いつも思い出すのは 自由のために死を選んだ グェンバンチョイ、ジョーヒル、ビクトルハラを 決して忘れはしないさ」とある。このような歌を自分の子供が口ずさむのを聞いて親はぎょっとする。共産党は青年組織に革命のために奉仕し生命を捧げるように教育する危険な団体である。それがために、共産党員の中には党活動に一生懸命になりすぎて過労死する人が出てくるのである。有名な例としては、平成十年二月に日本共産党の青年組織である日本民主青年同盟中央地委員会の森実一広委員長が過労死した事件がある。なお、彼の友人であった宮本たけし前日本共産党参議院議員のホームページには、「彼が最初風邪であったがむりをしてこじらせてしまった」とある。ちなみに、グェンバンチョイとは、ベトナム戦争のときにアメリカ軍に無実の爆弾事件をでっち上げられ処刑された人物であると共産党は主張し、ジョーヒルはアメリカで労働運動を指導したがでっち上げの罪でアメリカ政府により処刑された人物であると共産党は主張し、ビクトルハラはチリで1970年に成立したアジェンデ共産主義政権を支持していたがアメリカの後押しで軍部がクーデターを起こした時、虐殺された人物であると共産党は主張している。 


 それから、日本共産党を批判したために除名になるなどして、不審な死を遂げた人もいる。除名にはならなかったが、党の最高幹部会議による戦略の失敗を個人の責任になすりつけられて処分された「アカハタ」の編集局長の聴濤(きくなみ)克己氏は、もんもんと苦悩するうちに死んだ。また、彼の長男で中国の人民大学出身の聴濤学氏は親中国共産党派であったので反党分子として除名され、これまた悶々とするうちに死んだが、その死因や死亡経過には不審な点がある。

 どうか、読者のみなさん、日本共産党によって殺された、あるいは死に追い込まれた人の話しを知っている人がいたら、私にまでご一報をお願いしたい。そうして、日本共産党による犯罪の実態を明らかにしていこうではないか。それは、日本共産党によって殺された人の無念を晴らすためにも、ぜひ、必要である。
 



 また、私をふくめて、日本共産党を批判したために日本共産党により代々木病院の精神科に連れて行かれるなどして精神医療を悪用した人権弾圧を受けた三人の事例も明記される必要がある。三人とは、私と兵本達吉さんと宮地健一さんである。


 まったく共産主義は許せない。健康で全然病気でない人を共産主義を批判するなどという理由で精神病院に強制収容するとは。しかも政治的偏執狂などという民主主義国家では認められない病名をでっちあげて。元共産党の国会議員の秘書であった兵本達吉さんは、1990年、信頼のおける友人3人への年賀状に「宮本独裁30年」と書いた。そうしたら、密告により、共産党本部の書記局から呼び出しがあり、「兵本氏は一連の東欧の社会主義の崩壊を目撃して非常にショックを受けたために、年賀状を書いた時は精神が動揺して精神的にも不安定だった」とされ、共産党系病院の総本山である代々木病院の精神科での診察、精神鑑定を強要されたのである。 





 私は東京の日本共産党の中野地区委員会の専従だった時に日本共産党を批判するなどしたところ日本共産党の中央委員会の指示により代々木病院の精神科に連れて行かれた。1989年1月31日のことである。その後、共産党の犯罪を告発しようとする私に対して、共産党は私を自殺の常習者や不倫の常習者、変質者にでっち上げ(もちろん私は自殺未遂はなく、不倫とは無縁で、変質者とは正反対のまじめな人間である)、精神科に連れていかれて当然の人間にでっちあげたのである。そして、私の出入りする先々、たとえば、東京青山の国連大学や霞ヶ関の国会図書館に共産党系医療団体である全日本民主医療機関連合会の職員とともにおしかけたのである。あるいは、東京新宿にある東京医大病院に私が歯の治療で手術をしている時に病院内の共産党員らが私をそのまま精神科に入院させろと押しかけてきたこともある。詳しくは私の著書『日本共産党に強制収容所』を読んでいただきたい。 


 共産党系の病院は宮本顕治や不破哲三など共産党の指導者にたてついた共産党幹部の収容先となっていて、志井和夫委員長も2005年に「かぜ」を理由に静養という名のもとに長期間入院させられた。その他にもたくさんの共産党の幹部が代々木病院に収容された。

 いろいろなことを考えると、日本共産党による犠牲者は約一万人であると推定される。この他にも、過激派による死者、社会党による死者などについても研究されなければならない。社会党系の教員が学校で校長先生などの管理職をつるし上げ、たびたび自殺に追い込んだことはよく知られている。
 



 また、大東亜戦争は、共産主義者の陰謀により引き起こされたことが、最近の研究で明白になっている。共産主義者にとって、大規模な戦争が起これば、戦争を内乱に転化させ、共産主義国を増やすことができるのである。それは、レーニンの有名なテーゼである。日中戦争の発端となった1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋(ろこうきょう)事件は、長い間、中国を侵略するために日本軍が仕組んだ事件であるとされてきたが、実際は、中国共産党が大東亜戦争を起こすために仕組んだ事件であることが明らかになっている。この小さな事件を事変に、さらに戦争へと拡大するのに日本政府に潜む共産主義者たちが一役買った。また、共産主義者の陰謀として、「ハル・ノート」も有名である。アメリカ政府に巣くっていた政府高官の共産主義者グループは、ルーズベルト大統領に実行することが不可能な要求を日本に提示させ、日本に戦争させたのである。となると、大東亜戦争、太平洋戦争の犠牲者も共産主義の犠牲者として、共産主義犠牲者博物館に展示する必要がある。大東亜戦争を起こした共産主義者の陰謀については、たくさんのすぐれた研究書が出版されているので、どうか読んでいただきたい。


 残念なことに、日本共産党と日本の左翼の犯罪は、世界中の共産主義博物館に記されていない。これではいけない。みんなで世界中の共産主義博物館に手紙を書いて、日本共産党の犯罪を共産主義の犯罪に加えてもらおう。みんなで日本共産党と日本の左翼の犯罪を広めよう。 












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