今年は義母の二度の緊急入院もあり、

結局キムジャンをやりそこねた。

 

30ポギくらいなら、私一人でも出来る・・・と

畑に植えてある白菜を家の庭に持ってくるように

旦那に言うと、”オンマが退院するまで待て”

と言う。

 

入院するくらい体の弱った母親にキムジャンを

させるのか・・・と呆れたものの、各種ヤンニョムの

材料を準備したのは義母だし、下手に手を出して

不味い、失敗だのって言われるならもう良いやと

仕事に集中した。

 

 

それが、村の自治会長や養鶏場の社長、

従兄弟のお姉さん、私の仕事場のオバサン達から

沢山分けてもらって、キムチ冷蔵庫が結構うまった。

 

 

あんなに大変な思いして漬けたキムチを

こんなにも簡単にくれて有り難かった。

 

 

キムチをくれた仕事場のオバサンは、

いつも尻拭いをさせられるので

一言言おうと思っていたけれど、

今年はもう、このキムチを貰った事で

何も言えなくなってしまった(笑)

 

義母の一度目の入院は、食欲不振、熱、腹痛だったけど

散々検査をしても、これといった病名もつく事なく

二週間ほどで退院した。

 

年寄りが一日でも食事を摂れなくなったら

即入院させないと行けないと実感。

 

旦那が大学に行く土曜日に、私に病院に

連れて行くようにいうので、

 

”母親が死に目にあってるのに、大学に行くって、

 人なの?”

 

と言うと、そんな言い方するなよ・・・と言って

家を出たものの、義母を入院させるから

病院に同行して欲しいと帰ってきた。

 

ウベの小さな病院に入院させたものの
結局大きい病院に転院させろと病院の指示で
G市の病院に移動した。
 
入院付き添いは旦那がやる感じだったけど
聞いたら”病院になんて泊まれない、服も
着替えないと、今日は一旦帰る”
というのに驚いた。
 
こんな緊急時なのに帰るんだ・・・。
 
それで、私が一日くらいなら付き添おうかと
言うと、もうその気になってる。
 
取り敢えずご飯でも食べようと病院の外で
食べたあと、コンビニにコーヒーや簡単に
食べれる朝食でも買おうと入ったら
”そんなもの自分で買えよ”と言わんばかりに外で
待ってるので、結局直前になって
旦那と一緒に帰った。
 
旦那の落胆ぶりったら・・・
 
 
自分の母親の付きそいをやってくれるんだからさ。
 
病院では付き添いの食事出ないんだぜ?
 
コーヒーと朝食くらい買ってくれても
お釣り来るよね?
 
看病人雇ったら、15万ウォンはするし
食費は別途で支給だよ?
 
こんなんでも結局旦那、次の日から
家に居ると落ち着かないと、泊まりで
付き添いに行った。
 

”大変だろう?私だって、子供の入院付きそい

やったから分かるよ”とここぞとばかりに

言ってやった。

 

 

後で、俺一人で付きそいしたって兄弟に

怒り散らさないと良いね。

 

 

 

二度目の入院は、もう駄目かと思った。

 

老人会館に居た義母が倒れたとお婆さんが

家まで知らせに来てくれて

急いで救急車を呼んで緊急入院した。

 

呼ぶと目を開けるのだけれど、呼びかけに

答えない。

 

それで、その場にいた老人達が寝させないように

あちことつねって義母を起こそうとしてくれた。

 

弱々しくていつ逝くかもわからないお婆さん達が

この時ばかりは頼もしく見えた。

 

この時も旦那は大学で試験中。

何度電話しても取らなくて、救急車の中で

やっと繋がって試験を中断して駆けつけてくれた。

 

結局、脳梗塞だった。

ご飯と野菜しか食べない義母も内臓機能が弱ってるからか

高脂血症があった。

 

 

正直、使う事も無いだろう・・・と入院用具も置いて

救急車に乗り込んだ。

 

 

それが、

応急室から集中治療室に移り、二日目には

一般病棟に入って、すでに意識を回復したというので驚き。

 

脳梗塞で緊急入院して一週間で退院。

周りの看護婦さんも奇跡だと言ってた。

 

今回は、毎日家と病院を行ったり来たりする旦那に

看護婦さんからの禁止令が出て、看病人をやとった。

 

コロナ対策で。

 

一日15万ウォン、稼ぎの無い旦那がよく出したね。

 

 

搬送先の病院も決めていた大学病院だったので

本当に助かった・・・

 

中には小さな街の医療院につれてく救護隊員もいるから。

 

私もたまたま仕事が休みの日で家に居たから

良かったものの、もし家で一人で倒れていたら

そのまま逝ってしまった可能性もある。

 

急に寒い外に出て、血管が詰まったとも思えるものの、

老人会館で皆と一緒に居たからこそ、早く対応できた。

 

どうしたら良いのだろうか、今は寒くて老人会館に

出ていかれるのも困る。

 

養老院に入ってもらった方が安心できるのだけれど

言いにくいよね。

 

 

実は、義母は早く逝ってしまいたかったのではと

思って、余計な事をしたんだろうかとも考えた。

 

義母はしょっちゅう、”早く○ななきゃいけねぇ、とか

ころっと逝っちまえたらいいのに”と言っていたから。

 

それが、私に”お前が命を救ってくれた、有難う”

言ってくれたのだ。

 

私だったら、こんなに体が弱って、病気を抱えて自由が

きかない状態まで陥ってしまったら、生きる意味なんて

無いんじゃないかと考えてしまうんだけど、人って

それでもギリギリでも生きようと思うものなんだね。

 

私もそうなんだろうか。