今日の父の波動
緑(改善前) と ピンク(改善後)

もともとは施設に入っていた父が、最初はただの風邪だったのに(検査の結果コロナでもなければインフルエンザでもなかったらしい)、すぐに肺炎になり、

その後色々あってから救急車🚑で神奈川県内の病院に搬送になり、(父の場合、もともとワクチンを2回接種しその後遺症で重い貧血なので、コロナや肺炎になるとすぐに酸素が足りなくなるため酸素マスクをしながらの搬送が必要でした)

病院で良質の抗生剤を投与してもらったお陰で幸い肺炎はあっという間に治ったのですが、また誤嚥性肺炎になるリスクがあるという理由でその後2週間あまり口からの食事を一切させてもらえず、退院までにガリガリに痩せ細ってしまいました。

他に栄養の入れ方としては迷ったすえ、経鼻胃管(けいびいかん)をやってもらうことになり、病院では菅から一日に3回栄養を入れてもらっていたようなのですが、父の衰弱ぶりが酷かったので、本当に心配しました。(最後はほとんどしゃべる力もなく寝てばかりでしたので、医師からはもう寿命だからと何度も言われました。)

急性期の病院には2週間くらいしかいられないことになっているのでまた別の病院を探して今度は初めての介護タクシーで移り、(酸素吸入は外せるまで回復したので)

そこでも口からの食事(液体にとろみをつけた流動食)を食べさせてもらえるよう、また嚥下のリハビリをしてもらえるよう懇願したのですが、
 病院側としては口から食べさせた結果、父が誤嚥性肺炎になっても、万一窒息してもかまわないならやってもいいという条件で、ようやく口からの食事を提供してもらえることになりました。

しかし、せっかく肺炎がなおったにもかかわらず父はここの病院でもまた発熱してしまい、タンが多すぎてヨーグルト2口ですら胃まで通らず、結局その後大量のタンの吸引時に一緒に吸い出されてしまうというようなことを繰り返していました。だから私としても、もう口から食べさせるのは無理かも知れないと半ば諦めかけていました。

ここまでの父の絶食期間、先月に発熱してからゆうに1ヶ月を数日超えてしまい、どんどん衰弱して赤血球もヘモグロビン値も危険なレベルが続き、内蔵の各臓器も弱って何度も危険な状態になりました。(以前にも書いた通り、私は輸血はしないと決めているので)



その度に必死に波動改善してたのでなんとか持ちこたえましたが、最後には私も覚悟を決めざるを得ませんでした。ぐすん
 
しかし、つくずく父は運が強いというのか、なんとかもちなおしたようなのですね~、これが。(以前は運が悪かったのですが、最近は父方の先祖供養を毎日するようになったので持ち直しました。具体的にはお祖母さん(父の母親)の顔が毎日浮かぶようになりました。)

つい昨日と一昨日のことなのですが、父が拘束されていなかった手で胃管を2回も引っこ抜いてしまい(拘束はできない終末期の病院なので)、病院には大変ご迷惑をおかけしてしまったようなのですが、その結果今日はタンも減ったようで1ヶ月ぶりに食事ができたのです!!☺️
 (だからといってけしてこれをお勧めしているわけではありません。危険なのでマネしないで下さいね)

驚いたことに、一昨日には何にも胃までは落とし込めなかった父が、今日はむせることもなく、とろみをつけたエンシュアリキッド(たんぱく質も入った栄養のある飲み物)一杯とヨーグルトを2カップも食べれたのです。

看護士さんに聞けば、昨日もヨーグルトやとろみをつけたお茶を飲むことができたそうで、顔色もよく意識もはっきりして20 ~30 分ぐらい上半身を起こして話をすることもできました。

もちろん1ヶ月も食事をとっていなかったので、小腸や大腸など消化器官の波動が悪くなっており、また改善してもすぐに悪化するなど不安定だったので、ほぼすべての臓器を人体図に書き出して毎日丹念に改善していたことが役に立ったのだと思います。

また鼻から胃まで細い管を通していたので食道の波動も悪くなっていて、タンがすごく多く喉の奥に溜まっていたのでここの改善も必須でした。

久しぶりに食事をした後には、食物を分解できなかったのか脾臓や肝臓、胆嚢、腎臓の波動も悪くなったのでこれも改善して正常な右回りに戻しました。


ここまで振り返って自分のことを自慢するわけではありませんが、こうして大切な家族が危機に陥ったとき、波動改善(波動を測定してそれを改善すること)をしてやることができ、その結果寿命をいくらかでも伸ばすことができて本当によかったと思いました。にっこり

父はもう96 歳なので今後いつまで生きれるか分かりませんが、願わくは最後の日まで口から食べ、母親に迎えられて幸せな気持ちで最期を迎えてほしいなと思っております。✨✨