前回の続きから
まず霊的にある程度進歩している人は、多かれ少なかれ未来を色々な形で見ます。こういう人は実は普通に世の中で信じられているよりもずっとたくさんいて、大抵は自分に自信がないから黙っているか、妄想やただの夢と思い込んでいます。
ごく稀に邪神の奸計に上手く使われて自動書記と言いつつも自分で書いていたり、あるいは本当に邪神に自動書記させられて自分でもそれを真の神からのお告げと信じて世の中を引っかき回す人もいます。
現実に今もいますし、これからも出てくるはずです。
ひふみ神示にもそういう連中がたくさん現れて世の中を引っかき回すけれど、それもしばらくの狂言と述べられていますが、霊的なことを物欲の達成に利用する人、霊的なことを娯楽として扱う人、霊的に未熟な人は結構簡単にコロっと騙されたりします。
審神者は実際問題難しく、微妙な例もたくさん存在します。欲がなくても、損得がなくても、単に人をからかって楽しむ人や霊がいますし、ひふみ神示にも「例へば霊光の如きものも強く大きくて中々にサニワ出来ないぞ。」や「或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参って了ふぞ。」とあり、まさに参ってしまいます。
やっかいなのが悪意からでなく、「或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるもの」で自分こそがイエスキリストの生まれ変わりだとか、日本の○○の神が地上に生まれてきたと信じ込んでいるタイプや懸かってきた霊が真正の高い霊や神だと誤認することです。
また間違ったことを自分では正しいと思い込んで善意として人間に懸かる霊や人も悪意がないという意味や無能・有害な味方という意味でやっかいです。
もちろんわかりやすい狐や狸の類いもいますが、詐欺師みたいな微妙な例もあり、悪意の無い無能も判断に困ります。
私などが審神者について述べるのは正直自分でも何を言っているんだと思いますが、審神者はまず中身を常識で判断した上で、神様によくお願いするか、自分の霊眼でその背後にいる霊を見て見ることです。それで大体判断付きますが、なかなか難しいケースもあります。審神者について勉強しておくのも大切です。
霊的なことを物欲の達成に利用する人、霊的なことを娯楽として扱う人は特に邪神にとっての分かりやすい隙となります。
霊的な能力はほかの運動や芸術の能力同様に肉体の条件に左右される部分もあって、純粋に才能みたいな部分があります。つまり人格としては破綻していても、霊的能力は優れている人がいるということです。
こういう人(そうでない人でも)が上手くつけ込まれて自動書記したという「自称○○神示っぽい何か」は現にたくさんありますし、それに飛びつくミーハーな人もいますし、欲や好奇心を土台に物質的な知識だけで霊的なことに取り組むと簡単に騙されることが多くあります。
予言に限定するなら、個人的には悪い予言は人心を改心させるために言っているのであって、そのまま起ったらとんでもないことになることが多いですし、外れることも多いのであまりアテにしないことをお勧めします。
そんなことより私たちが毎日をちゃんと生きることが大切です。
1999年も2012年も予言で人類滅亡だとか、アセンションだとか、岩戸開きだとか、フォトンベルトとか、たくさん言われてきました。ひふみ神示をネタにして本を書いて○○年に○○が起こる!みたいなのは書店で見かけたりしますが、そういった予言が散々なされて現時点でどうなっているかは周知の通りです。
例えば「新しき御代のはじめの【たつ】の年、あれ出でましぬ かくれゐし神。かくり世も うつし御国の一筋の光りの国とさきそめにけり。」という一文がひふみ神示あって、辰年は2012年ということもあり、岩戸開きは2012年だ!と騒いでいる人たちもいました。
実際に2012年に岩戸が開いたかどうかは正直かなり疑問であり、少なくとも地上世界では天災・人災は多数あるものの、ひふみ神示にあるような夢のような時代が到来しているとはとても思えません。
いつの時代もこんな感じではありますが、そんな予言なんかよりも日々、世の中のために一生懸命働き、人に親切にし、自分の悪い癖を直し、ひふみ神示風に言うなら身魂磨きや掃除洗濯をするべきだと思います。
これがちゃんと出来ていれば予言なんかどうでも良いはずです。
どうしても未来が知りたければちゃんと自己研鑽を積み、その段階に応じて必要な未来を担当の神霊に見せてもらえるのではないかと思います。
見せてもらっても霊的なことですから黙っている人もいるでしょうし、そもそも言っても信じてもらません。
またあくまで段階に応じて、という条件付きであり、低い段階であれば間違ってしまうこともあり、予言好きという好奇心が先行して霊的なことが未熟な場合は邪霊の餌食になり、間違った未来を見せられて、それを自分では絶対に正しいと思い込む人もいます。
一度や二度は詐欺に引っ掛かって痛い目を見て勉強するのも大切なので、騙されるのもありですが、自分で絶対に正しいとカルト化してしまっていれば他人の意見は聞かないこともあり、可哀想ですが難しい問題と言えます。
私自身も騙されている可能性は多々あり、相当厳重に、少なくとも自分で出来る限りは審神者します。
怪しいのは霊眼で書いている人を見て判断することもあれば、単純に波長云々(直感)で判断することもあります。霊眼の方はまるきりアテになりませんが…。
また最も重要なのは人間としての倫理観や道徳性や常識的な判断です。おかしいことを言っている人は大抵おかしいです。
ただそれが少なくとも自分がそう感じるだけであって、絶対に正しいかどうかは自信がありません。ひふみ神示などを始めとしてスピリチュアル系で本など書いている人はよくそこまで自分に自信が持てるなと逆に関心することもあるくらいです。間違っていたら責任取れるのかと思いますが、間違っていても言い逃げの人はたくさんいます。
神や霊が人に懸かるメカニズムを知っていれば、そんなに簡単に慢心も確信も出来るはずがなく、また予言のメカニズムも地上にどういう風に移されるかは結局のところ神様次第、人間次第であって、予言の段階で見た霊界や幽界での映像がそのまま同じ形で地上に映るとは限りません。むしろ映らないことの方が多い気がします。
最後に今後の地球に関してですが、現実的にはたしかにこのまま行けば人類がとんでもないことになるのは目に見えています。昔と違って悪人が棍棒や石ころから核爆弾や水素爆弾を使うようになったので破壊の規模もずっと大きくなりました。
またひふみ神示や出口王仁三郎やヒトラーの予言のように、徐々に成就されつつある予言もあります。それでなくても大地震、大洪水、大津波、大寒波、大熱波、火の災い(原発事故や火山噴火や大火災など)、わけのわからん病気などは多くの人が身近に感じる異常気象であり、年々強烈になっています。
これらは全部「借銭済まし」であり、それを通して人類は成長していくしかないので致し方ないこととはいえ、神様に大難を小難に祀り変えて下さいとお願いし、身魂磨きをするしか人間には術がありません。
何をしようと既にやったことがチャラになるわけではないので、人類が蒔いた種はどれほどキツイものでも人類が刈り取るしかありません。
しかし相当量を小難に祀り変えて下さっているように個人的には感じます。
年代が2041年付近がどうこういうことは私にはわかりませんが、このままならいつかは人類が滅びるようなことになるか、ひふみ神示やヒトラーの予言のように二極分化して神と獣(やロボットみたいな低級人間)に別れるかのどちらかだと思っています。
人間を助けるという視点では予言も最初に厳しめに脅しておいて、それで少しでも人間の心が改まれば価値あるものになりますし、準備や覚悟の余地を与えるという意味でも意味があるはずです。
個人的にはあまり拘らずに軽く準備だけはしておいて、無駄になったらそれはそれで仕方ないくらいの気持ちでいれば良いのではないか思っています。
「辛酉の年」は60年スパンですので、次回とも限らないです。
2041年の次は2101年、2161年、2221年、2281年、2341年、2401年、2461年、2521年、2581年、2641年、2701年、2761年、2821年、2881年、2941年とたくさんありますし、ひふみ神示を重視するなら、2041年だとは何処にも書いてありませんので、もっと先の可能性もあるわけです。