家族や友達、自宅や仕事を失った方、今も避難生活を続けている方、放射能の恐怖と闘いながら暮らす方、長い長い2年だったことと思います。
私も、父の故郷仙台に住む親戚が大勢。皆無事でしたが、ここ遠く離れたアルゼンチンで、東北でまた地震!のニュースを見る度心配すると同時に、未だに対応の遅い日本政府にイライラ。
当時私が勤務していたところは、毎週金曜に3時のおやつがあるところで(いい職場だったわ)、そろそろコーヒーでもいれようかな、なんて思ってた時でした。
最初私が、「あ、揺れてる」って言った時は誰も信じてなくて、そのうち揺れが長く強くなってきて、ヤバイかも、って皆で外に出たんだけど、うちの部署だけ緊急避難袋もヘルメットも用意がなく

そしたら大きな余震が来て、向かいの40数階建てのビルの上の方が左右に物凄く振れて、そのうちポキッと折れるんじゃないかと心配になった。地下鉄も電車も全部止まって、職場に泊まった同僚もいたし、私は、家まで約1時間ちょいの道のりを、8センチのヒールで歩きました。東北の実家とは連絡取れないし、そうこうしてるうちに、フランスやドイツの大使館が、放射能の影響で関東圏の在住自国民に即刻の退去命令を出し始めて、周りの外国人が脱出開始。
日本は大好きだけど、地震がきっかけで、自分の国に戻ったり他の国に移動した友達も多くいます。
世界も終わりかもと思ったけど、被災地の人々の経験に比べたら東京の被害なんて全然大したことなくて、今思い返すと、世界の終わりなんて考えてた自分がバカに思えるのですが。
アルゼンチンでは、今日が二年目だという事すらニュースになってないけど、今日は生きている事に感謝する一日。
一日も早く被災地が復興して、避難されている方々が自分の家に戻る事が出来、原発問題が収束する事を、地球の裏側にて、心から願っています。