全国的にも稀有な洋菓子家族物語。
半世紀近く続く洋菓子店を移転、新規オープン。
新たに地元客に愛されるお店を目指していく。
祖父、父、自分、三代にわたる洋菓子職人の、家族ストーリーが詰まったお店。
最初の創業から数えると、50年になる洋菓子店。
上質なお菓子の上質な時間。
2021年8月にオープンしたパティスリーが、「モンペリエ洋菓子店」さん。
お店があるのは、川越市山城(やましろ)。
国道16号、武蔵野総合病院がある大袋新田交差点を北に県道川越生越線を進み、大東西小学校入口交差点にあります。以前、小僧寿しがあった場所です。
県道沿いで各地からアクセスしやすく、川越の中心市街地なら国道16号から県道川越越生線、狭山方面からも同じ。
県道は川越北西部に繋がり、日高市・鶴ヶ島市からも来やすい。
お店の前には駐車場があります。
最寄り駅としては西武新宿線南大塚駅。駅から徒歩16分ほどです。
「モンペリエ洋菓子店」
川越市山城103-7
10:00~18:00
定休日 火曜日・水曜日(不定休)
TEL 049-256-7798
駐車場4台分あり
西武新宿線大塚駅から徒歩16分ほど
HP:
https://montpellier-kawagoe.com/
Instagram:
https://www.instagram.com/patisserie.montpellier1972/
Facebook:
https://www.facebook.com/patisserie.montpellier1972
『地元の素材を活かし、素材の味を楽しむスイーツ作りをめざしております。
皆様の楽しいひとときに、また大切な方への贈り物にモンペリエのお菓子をご利用ください。
モンペリエ洋菓子店とは。
創業は1972年に東京都小平市にて創業し、昭和の繁忙期に営み、子供から大人まで愛されるお店でした。
2代目の私は、この愛されたお店を地元の埼玉県に移動し2021年に新たなスタートを踏み切りました。
今後とも皆様に愛される、また笑顔の溢れる店作りを考えております。
これからも、末永く宜しくお願い致します。』
オーナーシェフ:森田 賢二
1972年 埼玉県狭山市生まれ。高校卒業後、”駒込アルプス洋菓子店”でお菓子を学ぶ。その後”成城アルプス”で学び、28歳で渡仏。
リヨン、ル・マンで生活しフランス各地研修し約3年に渡って修行。
ル・マンでは、”Chocolatier Beline”(現Chocolatier Bellanger)にてジャック・ベランジェ氏を師事し、チョコレートのノウハウを学ぶ。
帰国後、六本木ヒルズクラブにてスー・シェフを務め、五十嵐 宏氏を師事し
ホテル・レストラン事業を手掛ける。世界に通用する芸術性、創造性、
感性を学ぶ。
2007年 ㈱ひらまつに入社後、開発事業部にてコンランレストラン・シェフパティシエに就任。カフェ事業、六本木Botanica、銀座ICONICオープンに携わる。
2015年大阪ラ・フェットひらまつ オープンに携わり、関西エリア 統括シェフ・パティシエになり、長谷川 幸太郎氏と共にホテル事業・レストラン事業など幅広く活動する。関西エリア拡大に貢献する。
2019年 京都・ひらまつ高台寺 シェフ・パティシエに就任
2021年8月に自身がオーナーパティシエとなる「モンペリエ洋菓子店」をオープン。
川越で新しいお菓子屋さん。
お菓子の街、川越。
川越には個性溢れる多種多様な個人のお菓子屋さんがありますが、新たに仲間入りしたのが、ルミエールさん。
川越は、昔から続く老舗和菓子店に、新しい時代の洋菓子店、さらに近年は個性溢れる多彩な個人店の和菓子店・洋菓子店が増え、お菓子文化の裾野が広がっています。
お菓子の中でもジャンルに特化したお菓子店も増え、焼き菓子専門店、シフォンケーキ専門店などのお店もある川越。
さらに、中心市街地だけでなく、市内各地域に地域密着のお菓子屋さんがあり、地域に親しまれています。
モンペリエ洋菓子店さんがある大東地区は、南大塚周辺にはお店が多いですが、少し離れるとお店が減り、地域にとっても待望のお店。
モンペリエ洋菓子店さんは、店頭は全面ガラスで、木を使った店内は明るく温かみのある雰囲気。
売り場正面に洋生菓子のショーケース、左右に焼き菓子とギフト商品の陳列棚、入口脇に陳列台があり、売り場の奥が厨房になっています。
お店は、地域の近隣からのお客さんを中心にした地域密着店。
男女問わず、年代問わず、幅広い層に支持され、それこそ、徒歩圏内の人たちがリピーターとなってお店を利用している。
自宅用だけでなく、人に贈るためのお菓子を買えるお店ができたことも喜ばれています。
地域の人にとっても、川越市山城の大東地区では待望の飲食店で、さらに、こんなに良いお店が出来たと、自分たちの地域の自慢のお店として応援している人が多い。
また、質の高いお菓子は口コミやSNSで広がっていて、遠方からわざわざやって来る人も多くいます。
駐車場があることで、市内・市外問わずお店に訪れています。
「お客様の90%が車客です。多くの方が『ここにケーキ屋を作ってくれてありがとう』と言ってくれます。それだけ求めてくれていたというのはありがたいです。昔は何かを買う時には商店街に行くという時代でしたが、今は地域の中で車で行けるような店が必要とされているのかと思いました」
店内のショーケースには、様々なケーキが並んでいます。
商品は約15種類のプチガトーと焼き菓子類をラインナップし、選ぶ楽しさを提供。
ショーケースにはショートケーキなどの定番商品がずらり。
お店で一番人気はモンブラン。
モンブランのバリエーションとして、週末限定で用意している和栗のモンブランも定番人気です。
他にも、ロールケーキやプリンといった定番商品を揃え、そして、よりディープなお菓子として、「オペラ・ノワゼット」などのフランスの伝統菓子、ピスタチオとチェリーのムースを組み合わせた「ピスタチオ」などのオリジナル商品が用意しています。
お菓子はもちろん、全て手作り。
モンペリエ洋菓子店のオーナーパティシエ森田さんが一つ一つ手作りしています。
まるで芸術品のようなケーキたち。
見ているだけでうっとりするようなケーキの魅力。
見ているだけで、パティシエの力量の高さが伝わってくる。
「ケーキは特に口溶けにはこだわっています。「おいしいものを出すのは当たり前ですが、お客様がそれを必要としているのか、お客様の話を聞きながら、一つひとつ確認していかなければいけないと思っています。旬のフルーツを使った季節感のあるものも出したいですし、ベランジェさんに教わったボンボン・ショコラも出したい。バレンタインには、こういうものもあるというところを見せたいと思います」
フルーツなどは季節の旬を意識して、その時ごとの素材を活かしています。
冬から春はイチゴや洋ナシ、春には桃、夏にはマンゴー、柑橘類、秋には栗などと変化していきます。
素材の仕入れは、お店の前の県道から繋がっている目と鼻の先にある「川越総合卸売市場」へ。
市場とダイレクトに繋がり、市場からこんなに近い飲食店というのも珍しい。
お菓子に使う素材は、モンペリエの森田さん自身が自ら仕入れに行っている。
市場を利用することで新鮮な素材が手に入りやすく、自分が納得した仕入れを行うことができる。
スペインの伝統菓子「ポルボロ」は先代からの人気商品。地名の「川越」をつけて提供している
お客さんの反応、声を聞きながら商品構成をブラッシュアップしていきたいと話す。
他に、お店では、バースデーケーキやクリスマスケーキなどのオーダーも受け付けており、こちらも想像以上の注文が寄せられている。
普段のケーキが美味しいと思っているからこその、バースデーケーキやクリスマスケーキに繋がると考えれば、特別な日のケーキはモンペリエ洋菓子店、と既に地域では評価が浸透して、モンペリエ洋菓子店のケーキが地域の食卓をケーキで彩っています。
また、生菓子のみならず、焼菓子も広く展開しており、焼菓子コーナーも充実。
贈り物用にセット販売も用意しています。
モンペリエ洋菓子店では、店内のショーケースの後ろの壁に窓をつけていることに気付くでしょう。
そこから厨房の中が見えるようにしているのが特徴。
厨房を広く作った理由を森田さんは語ります。
「お客様目線で、売り場を広くして商品をたくさん置いた方がいいという考え方もあるかもしれませんが、自分はずっと作り手の方できているので、作る方が充実していないと商品もいいものはできないと考えて、厨房をちょっとゆったりとしたスペースにしました」
ショーケースの後ろに大きな窓があり、厨房の中が見えるようになっている。窓は大きくしたかったのです。せっかくケーキ屋さんに来たのですから、作っている姿を見たり、こういうふうに作っているんだと知ってもらえれば『来てよかったね』となると思いますし、何も見えないと、どこで作っているんだろうと思われてしまいます。お子さん連れのお客様が多いのですが、お子さんを持ち上げてショーケース越しに中を見てくれている姿がよく見られます」
で生み出される華麗なケーキの数々。
モンペリエ洋菓子店のケーキを手作りしているパティシエとは。
そこにある、親子三代にわたる洋菓子物語とは。
2021年8月、川越市にオープンした「モンペリエ洋菓子店」。
そして実は、モンペリエ洋菓子店は1972年、東京・小平で創業した洋菓子店でもあります。
小平市のモンペリエ洋菓子店は父の靖彦さんが創業。
現オーナーで後継者である森田賢二さんがお店を移転し、新規オープンしたのが今の川越のモンペリエ洋菓子店です。
森田氏の祖父、森田忍さんは、帝国ホテルのチーフなどを経て1952年、赤坂や六本木などに店舗展開した「ロクシーベーカリー」を創業。戦後のウエディングケーキの第一人者として日本の洋菓子史に名を残している。
父の靖彦さんは東京・神田の「エス・ワイル」で大谷長吉氏のもとで修業し、賢二さんが生まれた1972年に「モンペリエ洋菓子店」を創業した。
森田賢二さんは三代目の洋菓子職人ということになる。
小さい頃から、クリスマスなどの繁忙期にはお店の手伝いをしていたという。
ただ、当時はお店を継ぐことはまだ考えていなかった。
「父からはお菓子屋は大変だからやらない方がいいと言われました。親としては一般職に就いた方が安泰という気持ちがあったのでしょう。自分の中では、小さい頃からクリスマスを手伝ったりしていたので、(洋菓子業界に)すんなり入ったというわけではありませんが、割り切っていたというか、この仕事をするんだというけじめは持っていました」
森田賢二さんは、高校生の頃には洋菓子職人になると進路を定めた。
当初、19歳の時に住み込みで働いたのが「駒込アルプス洋菓子店」(閉店)、「成城アルプス」。
10年ほどいたのち、本場フランスで修行しようと28歳の時に渡仏し、M.O.F.のジャック・ベランジェ氏が経営するル・マンの現「ショコラティエ・ベランジェ」などで約2年ほどお菓子の修業しました。
ジャック・ベランジェさんとは家族ぐるみの付き合いで、フランスの伝統文化などを教えてくれ親しくしてもらったと振り返ります。
フランスに修行に行くパティシエは多くいますが、フランスのお菓子作りのみならず、伝統・文化・歴史までを教えられるコミュニケーションを取るパティシエというのは少ない。
ジャック・ベランジェとの関係、そしてフランス時代の経験は、森田さんの中で人生の大きな財産となりました。
ちなみにジャック・ベランジェさんは、親日家としても知られ、日本にも何度も洋菓子講習でやって来ています。
森田さんは帰国後、縁があって請われ、いきなり飛び抜けたポジションに就くことになる。
2003年にオープンした六本木ヒルズ。オープン直後に「六本木ヒルズクラブ」に入社し、五十嵐宏氏(現 パティスリー ラ・ローズ・ジャポネ)のもとでスー・シェフを務めました。
毎日大勢の人が詰めかけ、追われるような忙しさの中でお菓子作りに従事。
その後、2007年に株式会社ひらまつに入社し、事業開発に携わり、同社が展開する「コンランレストラン」のシェフ・パティシエに就任。
2007年に開業した「東京ミッドタウン」内にオープンした「コンラン」ブランドのレストラン「BOTANICA(ボタニカ)」の開発などに関わりました。他にも、国立新美術館や銀座にあったアイコニック内の店舗の開発などにも携わりました。
ひらまつ関西では、エリア統括シェフ・パティシエなどを務め、大阪にある中之島フェスティバルタワー内の店舗などに関わっていました。そして、満を持して独立。
川越市に「モンペリエ洋菓子店」をオープン。
実家のお店をこの地で引き継ぎました。
「モンペリエという名前にこだわりはなかったのですが、親が一生懸命やってきた店の名前を消すのはもったいないので、自分でやるんだったらモンペリエを使おうと思いました。(店名の下に)“depuis 1972”と入れたのは、自分の生まれた年でもあるし、そうした親への恩返しの気持ちでもあります」
1972年の創業から数えると、もう50年になる実家の洋菓子店の店名を引き継ぐことを決意。
『自身のモンペリエ洋菓子店』をオープンさせる場所を探している中で考えたのが、車で来れる便利な場所の物件を探すということ。
「実家が狭山市なので、その周辺で車で行きやすい、駐車場付きの物件を探しました。ここは、この先に川越総合卸売市場があって車通りも多く、16号という大きい道路があって、川越インターチェンジもあってと、車で来る人にとっては便利な場所かなと思いました」
そして、2021年8月にオープンしたのが、「モンペリエ洋菓子店」。
「両親の姿を見てきたので、地元中心で、地元に愛される店が一番いいと思います。これまで自分なりにやりたいことをやってきたので、今後は地元の人に貢献できたらと思っています」
祖父、父、自分、三代にわたる洋菓子職人の系譜を引き継ぎ、川越から上質な洋菓子を発信しています。
「モンペリエ洋菓子店」
川越市山城103-7
10:00~18:00
定休日 火曜日・水曜日(不定休)
TEL 049-256-7798
駐車場4台分あり
西武新宿線大塚駅から徒歩16分ほど
HP:
https://montpellier-kawagoe.com/
Instagram:
https://www.instagram.com/patisserie.montpellier1972/
Facebook:
https://www.facebook.com/patisserie.montpellier1972