川越style「宵の市」最後で新たなスタートの宵の市 | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真


第一土曜日の一番街は、各お店の軒下に、

伊勢型紙の絵を木枠に貼って作られた行灯が下がる日でした。

行灯と蔵造りの建物の組み合わせが素敵で、それを楽しむだけでも来たいと思わせるものだった。

行灯は宵の市の象徴で、行灯が下がって宵の市が始まり、行灯がしまわれて終わる、

それは最後の宵の市でも同じで、

行灯が出されて最後の宵の市が始まり、行灯が下げられて最後の宵の市の幕は閉じられました。

 

2015年3月7日、一番街で続いてきた毎月のイベント「宵の市」が、今の形の開催として最後を迎えました。
今後は毎月ではなく、不定期に開催されていく予定。
宵の市というイベントは2年間、25回という開催の中で、数多くの喜怒哀楽からドラマが生まれ、

 

宵の市を起点とした展開を含めると、計り知れないほどの影響を川越にもたらしました。
近年の川越のイベントで、これだけ周囲に波及していったものは宵の市以外にありません。

 

今、川越の生活の中で普通に受け入れていることが、

 

遡ると実は宵の市から始まっていた、ということがいくつもあって、
そのことを川越市民が悲しいかな知らなかったりする現実がある。
このイベントはリアルタイムよりも後々になってから

「あの宵の市があったから」ときちんと再評価されるはずですが、
その時の参考として
これまでの宵の市を振り返りながら、最後の宵の市を伝えます。

なぜ、宵の市はそこまでの影響力があったのか?
それはもう、会場が一番街だったから、という一言に尽きると思う。
川越でもっとも注目を集める、川越の代名詞ともいえる一番街という場所で、

雑貨マーケットを開き、移動販売者が並ぶ光景が広がり、DJがあり、ストリートライブが行われた。

考えてみれば、一番街でこれ一つが行われるだけでも画期的なのに、

これら「全てが集まって」、しかも「毎月」、賑やかなイベントをここで開催してきた。

今まで一番街は、古い町並みの風情、落ち着き、という方向で進んできて、

まるで逆行するようだったけれど、しかし、

宵の市の日だけは、町並みに活気が生まれて、なんだか若返ったような、熱い青春のような、

生き生きとしたものが感じられた。

今後このようなの形(規模・頻度)で一番街でイベントが開催されるのは、

自分たちが生きている時代にはおそらくないのでは?とさえ思う。

それだけのことをやっていた宵の市でした。


何をするにしても川越の中で特別な意味を持つ一番街。
そうして、宵の市で行われる全てのことが、一番街という名の下で、特別なものになっていった。
出店者にとっても、単にイベントに出店するという以上に、

「一番街に出店できるなんて」と感慨に浸り、宵の市に出店する意味は大きかったと思う。

 

ああすればよかった、もっとこうしたかった、こうして欲しかったという思いは

 

宵の市に関わった全ての人、出店者、出演者、お客さんにあると思いますが、

(もちろん、思いをなんとか実現しようと動いていた商店街の人たちの姿があったことも事実)

川越で特別な一番街で、それぞれできることは表現したのではないかと思います。

 

振り返れば、山のようにいろんなことがあった宵の市。

 

2015年3月。最後の、開催に向かいました。





この日も宵の市らしく、一番街の各所で催しが用意され、

幸町駐車場には、グルメ屋台村とぶらぶらマーケット、タロット&占星術のセッション、

埼玉りそな銀行前ポケットパークではストリートライブ、

鍛冶町広場では川越CLEAR'S(クリアーズ)ライブ、

亀屋栄泉では、宵の市では6回目となる「小江戸川越端唄の会」主催の端唄交流会。

最後ということで、出店者もいつも以上に多かった。

幸町駐車場に足を踏み入れると、心地よい音楽が流れる中、美味しそうな香りが漂ってくる。

グルメ屋台村には、

・タコスのカランコロン、
・焼き立てのピザがその場で食べられるアドベンチャーパーティー、
・コーヒー、スープ、お弁当やサンドイッチ、
冬にはフォーなど毎回いろんなメニューで出店してくれたプースカフェ。






タコスのカランコロンさんは、第一回の宵の市から参加しています。

川越では宵の市と共に歩んできたようなもの。

「川越で出店したいと思っていたので、宵の市が貴重な機会でした。

それに一番街が移動販売者を受け入れてくれてありがたかった」

と話すカランコロンさん。

そして、宵の市のグルメ屋台村で外せない話しが、MilesAwayの存在です。

ハンバーガーのMilesAwayも1回目の宵の市から出店していて、

この二つは宵の市の歴史そのもの。

川越style

(MilesAway、2013年3月第一回宵の市出店)

宵の市に毎月出店することで、川越で存在が知られるようになり、展開を広げていったMilesAway。

川越織物市場のアートクラフト手づくり市、氷川神社のご縁市、

そして今は入間に実店舗を構えるまでになりました。

 

お隣のぶらぶらマーケットは、最後ということで特に出店者が多かった。

 


・Japanese original design 蒼雷さん(日本の古来から伝わる歴史的遺産や文化を現代に。
サムライや日本刀など様々な独自文化を現代風にアレンジして描き上げ、
スマホシートやステッカー、パネルやフォトグラフにしました)

・百果店ひぐらしストア(これからの暮らしと遊び心に適う、誠実な手仕事・おもちゃ・日用雑貨)
・nest(古道具)
・花布糸 -かふぃ-(古布を使ったアクセサリー)
・工房千代(着物の生地を使ったアクセサリーやお洋服)
・長野志織(陶器)
・荻野善史(陶器)
・はるりkinumo(雑貨)
・きものリサイクル右左(きもの)
・ベトナム小粋雑貨サニーサイドテラス



花布糸さんは、宵の市3回目の出店。

この前の「もっこ館」でのはんどめいど☆フェスタにも出店していました。

宵の市出店を振り返り、「一番街に出店できたのは貴重な体験でした」と話していました。

 


百果店ひぐらしストアさんは宵の市初期から出店していたお店。秩父からやって来ていました。

 



nestさんも宵の市ではお馴染みの出店でした。



陶器の長野志織さんは、昨年川越織物市場で開催されたアートクラフト手づくり市にも出店していました。



一番街商店街から、はるりKINNUMOさん



一番街商店街から、サニーサイドテラスさん。

 

ぶらぶらマーケットには、一番街商店街のお店も毎回のように出店していて、

 

マーケットまとめ役の右左さんは、

「2年間宵の市を続けたことは大変だったけれど楽しかった」と振り返りつつ、
思い出深い場面として、

真夏の暑い日、あるいは雨の日、寒い日の宵の市にも

出店者さんが出てくれた時のことを挙げていました。
本当に雨に祟られた宵の市。
この2年間で何度雨に降られただろう、という印象ですが、
それでも、雨で中止にすることは一度もなかったことも忘れてはならない。
そこに一番街商店街と出店者の意地を垣間見ました。

雨の中テントを張り、宵の市を途切れさせないよう強行した姿、
まさに戦友のような出店者同士は、さらに繋がりが深くなっていった。
出店者同士の交流が活発だったのも宵の市ならでは。

(2014年3月宵の市。雨の中、サニーサイドテラス出店)

 

最後の宵の市も出店者である花布糸さんが、合間に右左さんの着物を見に行っていた。
「今日着てるのも右左さんで買った着物を自分でアレンジしたものなんです」と話していました。
出店者それぞれが他の出店者を見て回り、話しをしたりするのも楽しみのようだった。
また、このマーケットで知った縁から、

 

はるりKINUMOさんが+buttonsさんの陶器をお店で扱うようになる、という展開も実はありました。

(宵の市出店時の+buttonsさん)

「宵の市には一年くらい出店していましたが、外に出て出店することが楽しかった」
と話すはるりKINUMOさん。


サニーサイドテラスさんとはるりKINUMOさんは、宵の市を振り返って印象に残る場面として、
夜の一番街に人がたくさんいる光景を挙げていました。
普段の一番街は夕方になると通りに人の姿が見えなくなりますが、
宵の市の日だけは、19時までのイベントに合わせて商店街のお店も19時まで営業していた。
夜の一番街に活気が生まれたことが嬉しかったと振り返る。

(2014年5月宵の市)

 

グルメ屋台村とぶらぶらマーケットの開場に音楽を満たしていた川越SUNSETのDJ。

 

宵の市には3回目から参加し、これまでたくさんの曲を一番街に届けてきました。

一番街でDJが行われたというのは、宵の市の中でも特に特筆すべきこと。

ギャップがあるからこそ、新しい何かが生まれる予感もして、

DJ陣は毎回、この一番街にどんな音楽をかけたらいいか悩み、考え、合わせつつ、新たな提案をし、

一枚一枚のレコードに想いを込めてきました。

彼らはDJという特質上、場と音のいろんな組み合わせを試し、

場の「価値の提案」をもっとも発信していたと言えます。

 

 

 

宵の市の音楽といえば、川越CLEAR'S(クリアーズ)も宵の市と共に歩んで育っていった存在。

 

最後の宵の市では、鍛冶町広場で2回のライブを行いました。

班長の伊織さんは、なんとこの日が200回目のライブだったといいます。



取り囲むファンの数、応援の熱気に圧倒される。

川越のご当地アイドル川越CLEAR'Sは、2013年9月にお披露目ライブを市内で行い、

宵の市には2013年11月に登場してから、このイベントで数多くのライブを行ってきた。
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(2013年11月宵の市、川越CLEAR'S時の鐘の下でライブ)

あの時と今では見違えるように成長しているのを感じます。

歌もダンスも上手くなり、MCで盛り上げるのも慣れたもの。

2014年9月にはメジャーデビューし(デビュー曲はオリコン週間ランキング8位獲得)、

着実に階段を上がっていっています。

 

この日の宵の市は3ヶ所で音楽ライブが行われていました。

 

定番となったもう一つの会場が、埼玉りそな銀行前ポケットパーク。

高田虎太郎さんが登場。じゃりんこサンシャインさんと合わせて2組が出演していました。

ライブ運営の漢那さんは、

「いい音楽やっていても聴いてもらえないと意味がない。そういう意味でこの場所でライブができたことは

貴重な体験でした」と話す。

宵の市が起点となったことに、ミュージシャンの発掘というのは大きくあったと思う。

川越にこれだけアコースティックの弾き語りミュージシャンがいたことを教えてくれたのが宵の市で、

ミュージシャンに演奏する場を提供し、ミュージシャン同士の交流を生んだのもこのイベントでした。

「一番街で演奏できたことは幸せ」と、出演したどのミュージシャンも口にしていました。

 

この日はMUGEN LIFEの杵渕さんも会場に来ていたのですが、

 

MUGEN LIFEも宵の市とは縁の深いミュージシャン。

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(2013年5月の宵の市、札の辻交差点で演奏)

 

また、忘れてはならないのは、2013年4月の宵の市、第2回目開催でのことでした。

 

彼らが埼玉りそな銀行前で演奏しようとしていた時に・・・ドラマが生まれた。

あの日は朝からぐつついた天気で、
いつ降るか、降らないでくれ、祈りながらMUFEN LIFEはライブの準備をしていました。
夕方から開始予定でしたが、
スタート時間が迫るごとに天候が崩れ、とうとう本降りの雨になってきた。
これじゃライブはできない。
ライブ中止にします・・・と、決断しようとしたその時に、
ポケットパーク横の甘味茶房かすがさんの方が、「うちでライブやればいいよ!」と

声を掛けてくれたのだった。
そして急きょ楽器を運び込み始まった、かすがさん店内でのMUGEN LIFEライブ。
外は降りしきる雨。
かすがさんのスタッフが外で「MUGEN LIFEのライブやってます!」とチラシを配っていました。
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(2013年4月の宵の市、かすが店内ライブ)

 

この時のことがあってから、MUGEN LIFEとかすがさんは親しくなり、
MUGEN LIFEは、いつか正式な形で店内でライブをやらせてもらいたい、と気持ちを膨らませ、
ぜひ店内を使ってください、とかすがさんに快く返事をもらって決まった2014年3月のライブ。

 

(2014年3月宵の市、再びかすが店内ライブ)
このライブの裏には、そういうエピソードがあったんです。
ここにも雨が生んだドラマがあった。

雨で残念な気持ちになることが多かった宵の市ですが、
だからこそドラマがあちこちに生まれていたようだった。

一番街で行われるイベントに出演することは、誰もが特別な気持ちを抱き、熱くなるし、

さらに、宵の市は数多くの人を受け入れて開催していたので

(ミュージシャンという切り口で見ただけで数えきれないほど登場した)、そのグルーブ感が凄かった。

MUGEN LIFEの杵渕さんとは、宵の市の会場で意気投合し、

川越収穫祭というイベント開催へ繋がっていったのもあります。

 

さらに、宵の市に頻繁に出演していたTAKE COLORSの一人タツさんも、

 

名残惜しそうに最後の宵の市を楽しんでいた。

「蔵造りの町並みで野外ライブをするのは、宵の市じゃなかったらできなかったこと」と話し、

貴重な体験をさせて頂いたと振り返っていました。

宵の市で一番の思い出は?と訊ねると、

「宵の市に登場した時に、ケーブルテレビの

『ちょっ蔵お出かけ!まちかど情報局』の取材を受けたことが印象に残っています」

と笑顔で話していました。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


一番街の毎月第一土曜開催の「宵の市」は、2013年3月に第一回を華々しくスタートしました。

ちょうど2年前の3月というと、東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転が始まり、

横浜市と川越市が一本で繋がって、横浜方面からの観光客がどっと押し寄せた時。

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(2013年3月は札の辻交差点に出店していたJack'sMart。お店は本川越駅近く)

 

宵の市を振り返ってみると、これは音楽の祭典でもあると思わせるくらい、
音楽に溢れたイベントでした。それも全て野外演奏という実験的な試み。

 

一番街各所で、多い時で4ヶ所くらいが演奏会場となっていました。

通りを歩いていると常にどこかから音楽が聞こえてくるような状況が作られていた。

この2年間で一体何組の音楽家が一番街で演奏したでしょう。

このようなことは、冒頭にも言いましたが、今後いつあるか分からないくらい画期的だったのです。

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(2013年5月、埼玉りそな銀行前、尚美学園大学企画によるライブ)

 

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(2013年5月、小江戸横丁前、川越総合高校吹奏楽部による演奏。

この場所は新しい建物が建てられて今はもうありません)

 

 

(2014年2月鍛冶町広場、MUGEN LIFE登場)

 

 

(2014年2月、埼玉りそな銀行前ポケットパーク、尚美学園大学企画ライブ)

 

そして、雑貨のぶらぶらマーケットで振り返りたい出店者がいます。

 

革のTФK(テフカ)は、最後の宵の市には出店していませんでしたが、

宵の市には毎回のように出店していて、マーケットに行くといつも立ち寄るのがTФKでした。

そのくらいお馴染みの出店者だったんです。

TФKの二人は、川越で新たに始まるイベントとして宵の市のことを知り、

このイベントを盛り上げたいと、毎月川越に来て出店していました。

穏やかな二人の雰囲気そのままの優しい風合いの革製品。

宵の市を語る上で欠かせない出店者です。

 

それから宵の市初期を盛り上げていたのが、D&Yマーケット。

 

フランスやイギリスなどで買い付けてきた落ち着いた大人の古雑貨、道具たち。

川越の雰囲気にぴったりで印象的な出店者でした。

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D&Yマーケット。

 

雑貨の出店が多かったマーケットで、植物を出店していたkitokusaのことも忘れられません。

 

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kitokusa。

 

そうそう、アジアン雑貨のKIRIC(キリク)には、いろんな話しを聞かせてもらいました。

 

タイなどに買い付けに行った時の話しや、

ラオスのルアンパパンでは、
夜になると通りに毎日のようにナイトマーケットが開かれ、
モン族の人が手づくりしたものが、たくさん並ぶそう。
KIRICがよく買い付けに行くのが、このナイトマーケット。
「夜になると道が、出店専用みたいなって賑やかになるんですよ」

現地に行った者にしか分からない話しが刺激的で、楽しかった。

KIRICは、その後蔵里で開催した2014年のKOEDOアジアフェスにも出店してくれました。

今は、鶴ヶ島に実店舗と構えています。

 

宵の市からの展開という意味では、KIKONOは一番飛躍したかもしれない。

 

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(2013年7月、KIKONO宵の市出店)

KIKONOさんは宵の市に出店後、チャレンジショップに一年挑戦し、今は実店舗を構えています。

そのお店の様子はまた後日。。。


そして、個人的に印象に残っているのは野菜のキレドの出店。

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(2013年7月宵の市からキレド)

西洋野菜から東洋や日本の珍しい野菜まで

年間150種類以上を生産しているキレドさんは、

野菜販売と移動販売車でピタパンサンドを販売していました。

野菜ブースを見ると、

「スティックセニョール」
「インカルージュ」

と変わった名前の野菜が並んでいた。

スティックセニュールはブロッコリー、
インカルージュはジャガイモ、
試食したらすごく甘くて濃い味だったのを覚えています。
キレドは千葉からやって来た農家さん。四街道に畑があります。

 

もう一つ鮮明な記憶となっているのは、長屋BAR。

 

 

 

(2014年5月宵の市の日に行われた長屋BAR)

長屋の入口を開放して、夜風にあたりながら呑み、語り、楽しい時間だった。

 

宵の市では、ねこまんま焼きおにぎりの中市本店さんに登場する、ミケさんもお馴染みだった。
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(2013年11月宵の市から)

当初はミケさん一匹でしたが、クロミも登場するようになり、

その後川越のマスコットキャラクター「ときも」との共演も果たします。

ミケ&クロミも宵の市で大きく育ったといえるでしょう。


川越高校応援部の演技を初めて見たのも宵の市でのことだった。

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(2013年11月宵の市から)

この時に応援部を知り、繋がっていって、、

今年は浦和高校で開催された六校応援団連盟による「日輪の下に」にも取材に行きました。

 

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

 

 

と、本当にいろんなことがあった2年間の宵の市。

 

毎月宵の市が開催される間に、一番街自体の姿も変容し、

新しいお店が続々とオープンしています。

 

 


わずか2年であったけれど、濃密な2年で、

宵の市があったから今がある、という事が街に数多くあって、

これだけ多くの川越の人材を登用し、輩出したイベントは、今後そうそうないでしょう。

この2年間が正しく評価されるのは、まだ先のことかもしれません。

最後の宵の市にも、新たな種が蒔かれ、

(2015年3月最後の宵の市、グルメ屋台村でのパフォーマンス)

これから川越の街と繋がっていくだろう予感がいくつもありました。

 

今後の宵の市は毎月という形ではなく、不定期で開催されていくかもしれません。

 

 

最後の宵の市。

 

そして新たなスタート。

一番街商店街の皆様、出店者さん、出演者さん、お客さん、お疲れ様でした。


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