「川越まつり2014年10月18日初日」 | 「小江戸川越STYLE」

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2014年10月18日(土)川越まつり初日。



晴れ渡った朝の9時、本川越駅前にはすでに山車が留め置かれていた。

この地域は新富町一丁目。

家光の山車が青空の下、きらびやかに輝いていました。

「人形乗せよう!」

御祓いが済んだ家光公の人形は、梯子を使って山車の頂上に設置される。

山車の組立という先月から進められた祭りの準備は、

当日の朝に、人形を山車に乗せることで完結する。これで山車の完成となる。






人形は山車内の柱に固定され、紐を使って上げ下げされます。

山車の上部には屋根はありません。上から下まで吹き抜けの空洞になっています。

神様に降りてもらい、山車自体が神の依り代となるためです。


今年に懸ける町のみなさんの気持ちは強かった。

「土日が晴れるかどうかずっと天気予報を気にしていたんですよ。

土日の天気どうだどうだってみんなで話してた。晴れたからみんなうきうきしてます」

と新富町一丁目のみなさんは笑顔で話していました。


棟梁も、「晴れてよかったね。山車は自分がいるから心配いらないよ!」と家光を見上げます。




この日のために練習を重ねた榎会囃子連も気合十分。

「榎会は1年間練習をしているんです。今日は持てるすべての曲を披露します」

と語り、演奏する子どもたちも元気いっぱいです。


榎会は毎週土曜日に、クレアモール近くにある自治会館で練習しているそう。

火曜日の自主連も合わせて、熱心に練習している囃子連です。

大人が30人ほど、子どもも10人以上が入っていて、

川越まつりを一つの目標に、ここまで練習の日々があった。


山車運行の責任者、自治会長の宰領も

「去年の川越まつりは初日は午前が曇りで午後は雨、二日目は一日中雨。

それを考えたら今年は最高だよ!」

と嬉しそうに話しています。

宰領は、使い込んだ拍子木を見せてくれた。

新富町一丁目が12年前に自分たちの山車を持った時に作ったものだそう。

拍子木を打ち鳴らして合図とし、曳き手に指示を出します。



そして、今年の川越まつりの画期的な取り組みである

LIVE映像配信のための準備もすでに完了。

KAWAGOE〔マス〕MEDIAが新富町一丁目の山車にカメラを搭載し、

リアルタイムな街と祭りの様子を伝えようというものでした。

カメラは囃子台の柱に設置されることになった。

黄色い布で巻かれているので、一目見ては分からなかったと思います。



山車にはカメラやノートPCにWifiルーターを乗せ、

Ust配信によりPCやスマホで映像を見る事ができます。

さらに東洋大学が、山車の位置情報を把握するための検証実験も同時に行っていた。

そうなんです、家光の山車において、二つの取り組みが行われていたのです。


〔マス〕MEDIAの技術班ノリさんは、

「山車が動き始めたら手を出せないので準備が全てだった。うまくいってくれると思う」

と話し、川越まつりは二日間とも山車にぴったり付いて歩き、

モニタリングしていく予定です。

ちなみに前日の山車に機材搭載に続き、

この日も朝6時半に来て、7時から調整をし、映像配信までこぎつけました。


山車は本川越駅から中央通りへ進められ、新富町一丁目の会所前に留められた。

本川越駅前という場所柄、すでにたくさんの観光の方が家光の山車を取り囲み、写真を撮っている。

英語で山車のことを聞く外国の方もいました。



10時前。いよいよ道は交通規制となろうとしている。川越まつりが始まる。

「さあ、まもなく曳き始めるから綱出して!」

宰領の指示で張られていく綱は、40メートルはありそうな長さ。

これを町内200人ほどで曳いていく。

途中で参加する人も多く、曳行を進めていくごとに増えていくそう。


会所の前に続々と人が集まってくる。

山車の回りでは鳶、大工、電気といった職方が控え、

伸ばされた綱を手にし、今か今かと待ち構える町衆。

「あと2分だ!」

鳶頭による木遣りが始まり、続いて囃子が始まる。



宰領によって拍子木が打ち鳴らされると、

「ソーレ!!」

と声を合わせて町衆により山車が曳き始められた。

その瞬間、沿道からは自然と拍手が沸き起こりました。

山車曳き出しの感動的な瞬間。

これにて、川越まつり2014のスタートです。





「ソーレ!!」と響く声、ゆっくり進む山車、

耳を澄ませば遠くからも囃子の音色が聞こえてくる。

同じ川越で、同じ時間、一斉に21台の山車が動き始めているはずだった。

街中が、掛け声と囃子で染められていきます。

そしてもちろん、この瞬間も、LIVEカメラは現場の様子を伝えていた。

映像だけでなく、囃子の音色も聴いていただけたと思います。


曳き手が後ろを振り返りながら笑顔で話していました。

「今年は曳き手が多いですね。去年曳けなかった反動ですかね」


中央通りを進む家光の山車、午前中は町内曳きといって、

新富町一丁目内を中心に曳行します。

通りの途中にある居囃子が何ヶ所かあり、

通過する際には山車を留め、そちらに向けるのが本来ですが、

町内曳きの時は、

「ここは通過するだけにするね。午後にここで止まるのでよろしくお願いします」

と各所に挨拶して通過していきました。


連雀町交差点の手前から右折、すぐ近くに連雀町の道灌の山車が見える。

囃子の音色もよく聞こえてきます。

細い道を入っていって、かなめやさんがある辻からクレアモールに入り、

小江戸蔵里方面に向かって南下していきました。





蔵里まで来ると、ここから少し上り坂になっている。

緩やかな坂であっても、少しの角度が山車にとっては大変になる。

「ここ上り坂だからね!重いからみんな力出して!」

鳶頭の声が飛びます。

山車の周囲を囲む鳶の方が10人ほどが、路面や頭上の電線を確認している。


「ソーレ!!」ググっと進む山車。

広い場所に出ると、ここで山車はしばらく留められ、人形を掲げる準備に入る。

ここから先のクレアモールは空が開けるので、人形を掲げることができます。





そのまま道路を渡り商店街の間を進んでいく。

両側に屋台が立ち並び、人で埋まったクレアモール。

間を掻き分けるようにして、山車は進んでいきます。

「ソーレ!ソーレ!」

山車が動いている間は常に掛け声はやめない、

そして動いていない時でも囃子は続いていました。



途中、囃し手が高校生に交代しました。

榎会囃子連には、小学4年生から入ることができ、

そこから高校生までずっと続けている人も多い。

囃子連に入ることは、囃子を覚えるのが一番大事だけれど、

幅広い年代の中に入って一緒に練習することも大事なこと、と話す親御さん。


何世代もの人で集まった大家族のような雰囲気で、年上の人に教えてもらい、

子供たちは礼儀正しく育っていく。

「4年生になったら囃子やりたい」と言う子供も多いといいます。

練習を積み、5年生から山車に乗れるようになる。


全体としては、川越まつりは川越を挙げてのお祭りだけれど、

各町内では、自分たちの山車を町内を曳き廻すことにも大きな意味があります。


山車の曳行には地域の人がたくさん参加する、

普段あまり顔を合わせる機会のない人ともここで再会できる。

山車を曳く綱の内側が、町のコミュニティの役割にもなっています。


町内を山車で挨拶して廻ることは、川越まつりの大事な部分です。

初日の午前中は、川越のお祭りというより地域のお祭りといえるでしょう。

先ほど居囃子で止まらなかったのは、午前という限られた時間の中で

広い地域の町内曳きを終わらせたいという判断があったのでした。


町内でお世話になているお店などで山車は留められ、回り舞台を回転させて正面を向ける。





綱を曳く町の方もみんな楽しそう。

「山車の曳行には5、6年参加しています。川越に引越して来てから毎年参加しています。

それまでは川越とは縁がなかったのですが、

初めて川越まつりに参加した時は嬉しかったです」

と話す町の方。


「それまでは川越市内の別の場所に住んでいたのですが、

新富町一丁目に引っ越して来て初めて、川越まつりが見るものから参加するものになりました」

と語る方。


「4年前に川越に引っ越して来て毎年参加しています。

立派な山車を曳けるのは、子どもたちにとっても貴重な体験だと思います」



山車が進むごとに参加する子どもたちが増えていく。

思い思いの着物を着て、参加していました。


本川越駅前にマンションがいくつも建つ新富町一丁目らしい、

新しい家族が多い地域です。

もちろん、現在でいうクレアモールという大商店街がある地域なので、

もともとは商人の街でもある。

昔から住んでいる方も多く参加していて、
「小さい頃自分も手古舞で参加していた」という方に、

「20年前に川越に来た時は、自分達の山車もなく寂しかった。

家光の山車を持てた時は、川越まつりが新鮮に見えました」と話す方もいました。


新富町一丁目が家光の山車を持つ前は、

上広谷(鶴ヶ島駅近くの地域)から屋台を借りて川越まつりで曳いていたそう。

それも、毎年ではなく一年おきくらいの参加だった。

だから、自分達の山車、家光の山車を持てた時の気持ちは忘れれらないという。

毎年曳き手として参加されている方が数多くいました。


クレアモールを掻き分けるように山車は進み、

まるひろ百貨店まで来ると、慎重な曳行になっていった。

クレアモールの人混みの中、この角を曲がって細道を入っていかなければなりません。





ここで人形は降ろされ、電線に注意しながら進んでいく。

鳶頭は頭上を気にかけ、「ここはゆっくり!」など指示を出している。

まるひろの駐車場に出ると、空が広くなり開放的になった。

囃子の曲もテンポ良い「屋台」に変わっていた。





山車曳行の裏で、LIVE映像の調子はというと、

技術班ノリさんがもちろん、

手元で映像をモニタリングし、ヘッドホンで音を確認しながら山車に帯同しています。



「ここまでは途切れずに配信できてる。

山車が動いている最中の映像も思ったより綺麗。

囃子のすぐ近くにマイクがあるので音がひずんじゃうかも心してたけどクリアに聴こえる。

この調子なら無事にいきそうだね。映像は常時100人の人が見ているよ」とのこと。


クリックして見始め、見終わる人がページを閉じても次々と映像を見ている人がいる、

それで常時100という数字が続いているようです。

午前中でどのくらいのアクセスがあるでしょうか。


川越街道に出ると南進し、川越八幡宮の入口で留められました。

囃子の演奏も止まり、静かな時間となる。

新富町一丁目の氏神様は川越八幡宮です。ここで御祓いしてもらいます。



ここを氏神様としているのは、他には新富町二丁目、南通町、脇田町など

それぞれの町内がこうして八幡宮にお参りに来ていました。

川越街道を南へ進み、三番町の交差点近くまで来るとUターン。



途中、新富町二丁目の鏡獅子の山車とすれ違うタイミングがあるも、ここでも通過するのみ。

相手も初日の午前中は町内曳きの時間なので、お互いそちらを優先し、

通り過ぎる時に町衆同士で挨拶を交わし、見送っていきます。


途中の休憩の時には、新富町一丁目の方に

カメラ搭載のことを話してみました。

自治会長の宰領をはじめ、多くの方の協力で実現したLVE映像配信。


町の人で知らない方もいたようで、カメラを位置を指差し話すと

「え!この山車にカメラが乗ってるんですか!」と驚きの声が聞かれました。

そして、川越まつりの公式サイトに大きなバナーがあり、

そこをクリックすると家光の山車のカメラが映し出す映像が流れますよ、

そう説明し、スマホを操作してもらうと

「えええ!凄ーい!自分が映ってる!!」と大感激していました。



中には、「ロンドンに友達がいるから教えてあげよう」と話す方もいました。

ネットにさえ繋がれば、

世界中どこでも川越まつりの雰囲気を楽しめるのがこのLIVE映像です。


休憩後に再び曳行が再開される。まるひろ百貨店まで戻ると、

今度はクレアモールではなく八幡通りを北に進められる山車。

町内をくまなく進もうとするのが分かります。




道の先に通町の鍾馗の山車が見えた。

新富町一丁目の先触(さきぶれ)役が走り出していきます。

そして、


「ここに新富町一丁目が来るので、山車を向けてご挨拶させていただいてもよろしいですか?」


と相手町内と打ち合わせをしています。

山車は町そのものが動いているようなもので、

他の町の山車が遠くの視界に見えれば、

走って行って、お互いの山車をどう通行させるか、

通過する時には山車を合わせるのか合わせないのか、一回一回確認します。

通町の方も、「分かりました。こちらの山車はそのままの位置でいいですね」と返し、

これで二つの山車、二つの町による通過の仕方が決まりました。



新富町一丁目の先触が山車に走り戻って来て、宰領に伝える。

「通町とは、こちらが山車を相手に向けて挨拶することで決まりました」

「こっちが相手に向ければいいんだね?」と宰領が確認し、

「そうです」と先触が答えると、宰領が山車の進行を指示する。


そして、八幡通りを進んだ先で拍子木が打たれ、家光の山車は止められた。

通町の鍾馗の山車に向きを変え、挨拶を行いました。



本川越駅前まで戻ると、午前の町内曳きは終了です。

家光の山車を、新富町一丁目内を曳行させました。





「よし!上げていいよ!」

という声とともに、家光の人形を上げ始める。




昼休憩となり、山車は午後の曳行までここに留め置かれることになります。

山車の周囲に集まる大勢の人。

川越まつりには、西武新宿線を使って都心含め沿線からたくさんの方が来られていたと思います。

本川越駅に下りると、最初に見る山車が家光、というパターンも多いはず。


見渡すと、通りを埋め尽くす人、今年の人出は凄いことがすぐに分かった。

去年雨で来られなかった反動もあるのでしょう。

発表では川越まつり初日は47万人の人出でした。

午後に備えます。





昼休憩の間に新富町一丁目の詰所では、

一角にKAWAGOE[マス]MEDIAによるモニタリングルームが設営され、

スタッフがモニターに向かっています。
山車に搭載されたカメラが映し出す映像をここでも常にチェックし、
山車に付いて歩くスタッフと連携しながら、配信を続けていました。



午後は13時半にスタート。
「綱引きますので道空けてください!」通りに二本の綱が伸ばされていく。

町の人がグッと手にし、囃子の演奏に続いて拍子木が打ちな鳴らされ、


「ソーレ!!」


家光の山車がゆっくりと動き出した。
町内曳きに続き、午後の曳行で向かうのは、喜多院だった。


本川越駅から東へ進み、交差点を越えて東照宮中院通りへ。
細い道を囃子と「ソーレ!」と掛け声で進んでいきます。


やはり、家光の山車が東照宮や喜多院へお参りするのは欠かせない曳行です。
ただ、そこに向かうまでが大変な行程だった。

大小の電線が張り巡らされているので、人形はしまい、ゆっくりと慎重に山車を進めていく。

細い一本の電線でも、頂上にある人形が引っかかると大変なので、

その都度山車を止めて電線を確認しながら越えていきます。




もともと城内の数々の門をくぐるために考案された山車の二重鉾ですが、
現代の川越まつりでは電線を越えるのに打ってつけな仕組みです。


辻を左折し、仙波東照宮の前で拍子木が鳴らされ、山車が留められました。
今まで綱を曳いていた町衆が、綱から離れ

東照宮の随身門に続く参道両側に静かに立ちました。

厳かな雰囲気が漂う。
山車は回転され、門の正面に向けられた。

囃子の曲は落ち着いた鎌倉へと変わりました。


東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮が有名ですが、

日本各地数多くの東照宮があれど、

川越には日本三大東照宮の一つ、仙波東照宮がある。


1616年駿府で徳川家康公が没し、
その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、
天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、1633年建立された。
それから5年後の1638年、「寛永の大火」と呼ばれる大火事でよって、
喜多院山門を残し、焼け落ちたが、
徳川家光より喜多院復興の命令がが下ると、
まず東照宮の再建が行われ1640年に完成した。


この時の移築・再建のための運搬に使われたのが、新河岸川の舟運です。
そしてこの舟運が整備され、やがて江戸と川越を結ぶ物流の大動脈となり、川越は栄えていきます。
舟に揺られてやって来る江戸の物や文化、

その中に川越まつりに連なるものもたくさんあったでしょう。
新河岸川は川越の母なる川、川越の発展の源流ともいえる。


拝殿前の入口扉には立派な三つ葉葵の御紋がかけられていて、

内部には家康公の像が祀られ、

拝殿内欄間に徳川家光が奉納した岩佐又兵衛勝以筆「三十六歌仙絵額」があります。




そして、さらに喜多院へと進み、

山門前に山車をぴったり寄せ、お参りを済ませました。





喜多院にやって来る山車はほとんどないため、

たまたま喜多院に来られていたであろう観光の方は、

突如現れた山車に
「え!山車が来てる!」と山門に集まり大喜び。



このあとは来た道を戻り、東照宮中院通りを進んでいる最中、

山車から数十メートルの綱先にいた先触が

いよいよ勢いよく駆け出していきました。




この先は西小仙波町になる。通りを右折し、西小仙波町の会所に向かっていった。
他の町に入る前には先触が相手の町内の会所へ赴き、

町の中を山車を通行する許可を得る口上を述べます。




それに対し相手の町内が、

「本日はおめでとうございます。会所までご案内します」と共に歩いてきて、

西小仙波町境にて待ち構える。


町境に新富町一丁目の山車の綱先が入ったら、西小仙波町の会所まで先導して案内していきます。



そして、また別の町内に入る時には同様のやり取りがあり、

こういう形が今に残り続いているのが川越まつりです。


家光の山車は西小仙波町の方の先導で町へ入り、会所へ挨拶に向かいました。



こうして街を曳行していった川越まつり初日。
天候に恵まれ、山車の曳き手も祭りを見に来られている方も大勢いて、

去年の鬱憤を晴らすような賑わいでした。

LIVE映像配信も多少のトラブルかありつつも、

最後まで配信でき川越まつりを楽しんでもらえたと思います。
外国から映像を見ていたという話しには、とても嬉しく思いました。


初日の午前中は、新富町一丁目だけでなく、

他の町内でも町内曳きが行われ、

「ソーレ!ソーレ!」と町の人が声を出し、

地域の発展を願って山車が曳行されていました。


南通町 納曾利の山車



大手町 鈿女の山車


通町 鍾馗の山車


そして、山車同士が近づこうとする時には、

事前に先触が走って打ち合わせを重ね、宰領が判断を下し、

頭(かしら)が山車を動かす指示を出して、曳き手が山車を寄せ合っていく。


多くの人の関わりで山車が動き、寄せ合っているのは、

もちろんどの町内でも変わりはありません。



数多くの人が走り回って、数多くの山車が曳かれ向き合った初日。


続いて迎えた川越まつり最終日夜、

川越人によって、川越まつりの新たな伝説が作られたのでした。

続く。