涙がこぼれそうになっても。

涙がこぼれそうになっても。

10歳でSLEを発症。いろんなことがありここまで来ました。
発症から現在までの自分の軌跡を綴っていきたいと思います。

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今思えば、私の精神年齢が一番大人だったのは中学生の頃だったかもしれません。

中学に入ると毎週面会に来ていた家族も隔週、隔々週と頻度が減っていきました。
入院生活にも慣れ、寂しくないと言えば嘘になるけどそんなに家が恋しいとも思わなくなりました。

「病気になったのは自分への試練だ」
「こういう環境で、自分は人として成長していくんだ。これは神様からのプレゼントだ」

と、いうようなことを思って生活していました。

そんなある日、わたしは一人で洗濯をしていました。
病院はいわば「寮」みたいなところだったので、小学生のときから洗濯は自分でしていました。

洗濯物を干していると、見たことがないオバサンがやってきました。

「あなた、何年生?」
「中2です」
「ふーん… 小学生だと思ったわ

それだけ言うと、オバサンは去って行きました。

ことのきわたしは身長141cm。プレドニンを飲み始めてから1cmも伸びていません。
わたしがいた病棟は、幼い頃からプレドニンを飲んでいる子がたくさんいたので
わたしだけが飛びぬけて小さい訳ではありませんでした。
腎不全の同級生の男の子は120cmちょっとしかなく、そんな子はわたしも含めたくさんいました。
こういう発言をするということは入院患者の保護者ではなさそうです。

今考えても不思議です。

外部の人でしょうか。
何かストレスでもあって子供に対して傷つくことを言い、それを発散させたかったのでしょうか。
更年期でイライラしてたんでしょうか。
わかりません…

これがわたしの身長コンプレックスを形作る最初のトラウマとなりました。

その後、外泊して地元に帰っていたとき、中学生なので大人料金でバスに乗ったら
運転手に「あんた中学生なの?小学生かと思った
と言われたこともあります。

大人でもちゃんとしてない人はたくさんいて、子供という弱者に(というか弱者だからこそ)
攻撃し自分の鬱憤を晴らす人がいるんだな って学びました。

低能な人種ですがそんなクズに傷つけられる自分も嫌でした。
病状がものすごく悪化した中学生時代。
プレドニンの増量に合わせておこなった治療が「血漿交換」と「パルス治療」です。

血漿交換はこの一時期に行っただけです。たぶん、あまり効果がなかったのかも。
病棟には腎不全の患者が人工透析をおこなうための「透析室」があります。

血漿交換はこの透析室でおこないました。
両腕に針を刺し、片方の腕から血液を抜きます。
抜いた血液から血漿だけを分離し、その後きれいな血漿を加えた血液をもう片方の腕から戻してあげます。

どのくらいの時間をかけていたかは覚えていませんが、数時間はかかっていたと思います。

次に「パルス治療」。
簡単に言うと、ふだん服用しているプレドニンを濃くした液剤を点滴で注入する治療法です。
大量のステロイド剤を一気に体内へ入れるのでこの間は絶対安静が必要です。

プレドニンはすごく苦い薬で、うっかり口の中にひっかかると苦くて大変なことになります。
なので、パルスをしている間も口の中が苦くなります。
プレドニンの副作用であるムーンフェイスも短期間で出ます。
わたしの場合はパルス後数日後に顔が丸くなり、1週間ほどで元に戻っていきます。

このパルス治療はよくおこないました。

飲み薬であるプレドニンを極力増やしたくなかったので、
体調が悪くなるとパルスをし様子を見る、というケースが多かったです。
病院を脱走してから強くなろうと決意したわたし。
友達からイジられることもなくなり、入院生活にも慣れてきました。



体調が良ければ、GW、夏休み、お正月など1週間ほど外泊許可が出ます。
上の写真は外泊中の様子。向かって右がわたし、隣は2歳下の従妹です。
彼女の身長はいま169cmです。

この頃は落ち着いていましたが中学生になりSLEが再燃しました。

体中が痛くて、動くのもやっとです。
38度以上の熱が毎日出ます。

まずはプレドニン増量。どれくらい増やしたかは覚えていません。
それに合わせてパルス治療、血漿交換などもしました。
その頃の写真がこちら。



手前で編み物をしているのがわたしです。
SLEの症状のひとつですが、顔中に発疹ができ、さらにそれが固くなり甘納豆を潰して貼り付けたように変化します。
プレドニンが増えたのでムーンフェイスの副作用で顔がパンパンです。


ひどくないですか?
皆さん、こんな顔で生きていけますか?
1週間で顔が様変わりしたわたしを見て、父がショックを受けていたのをよく覚えています。

この頃自分ではわりと楽観的でした。
病院という環境にいたからかもしれませんが、長くは続かないと思っていました。

プレドニンの副作用とはこういうものです。
勝手に服用を止めて死んでしまうケースが多いというのもわかりますよね。

なので、主治医や看護師からは耳にタコができるほど薬を勝手に止めないこと、と言われてきました。
勝手に止めて死んでしまいたいと思ったことも何度もあります。
でも、すぐには死ねません。
周りを巻き込み大騒ぎになって、結局またプレドニンが増えるのがオチです。
そんなことは目に見えてわかっています。

鏡から目を背けながら、必死で生きる毎日です。
Y病院に入院してすぐ、腎生検を受けました。

腎臓の組織を一部採り、検査するというものです。
局所麻酔で背中側から針を刺し、組織を抜き取ります。

この針の太さは鉛筆の芯くらい…と、聞いたことがあります。見たことはないなぁ。

今はもう違いますが当時は座位で処置をしました。
背もたれのある椅子に後ろ向きで座って背中を出す、というようなイメージです。

このときもまた…麻酔が痛くて痛くて…

麻酔も痛かったですが、その後実際に組織を取るときの感覚がなんとも気持ち悪かったです。
腎臓をズドン!って刺されるような。(実際刺しているんですが)

20年後再び腎生検を受けることになりますが、相当なトラウマになりました。



養護学校の教室で。
小6の頃だと思います。
プレドニンの副作用で顔が少しふっくらしてきましたがこんなもんじゃなくなります。
比較的症状が安定しているときの平常の一日はこんな感じです。

7:00 検温、起床、洗面、着替え
     普通の日は学校に行くので病衣から普段着に着替えます。

8:00 朝食
     各病棟にひとつずつ食堂があり基本的に食事はそこで摂ります。
     わたしのいた病棟は腎系の患者が中心。
     わたしは蛋白質と塩分を控えたメニューを食べていました。

8:30 登校
     病棟と繋がっている養護学校へ登校します。

10:15 床上安静時間
      病棟に戻ってきて30分間横になります。
      でもこの時間は軽い検査をしたり処置をしたりするので
      ベッドに横になることはほとんどありません。

10:45 再び登校

12:00 昼食
      病棟へもどり昼食を摂ります。

13:00 絶対安静時間、検温、血圧測定など
      この時間は病衣に着替え本格的に寝ます。
      本当は読書などもせず寝なければいけないのですが小学高学年以上の子は
      ほとんど横になって読書をします。

15:00 再び登校
      午後からの授業を受けます。

16:30 下校
      病棟に戻り自由時間 勉強をしたり友達と遊んだり音楽を聴いたり。

18:00 夕食
      この後も消灯まで自由時間。適当に洗面、着替えなども済ませます。

21:00 消灯
      すぐには眠れないのでヘッドホンで音楽やラジオを聴いたり
      隣のベッドの子とおしゃべりしたりします。
      看護師さんが見回りに来ると「寝たふり」をします。
      すごく騒がなければ叱られることはあまりありません。

だいたいこんな感じです。
食堂にテレビもありますし友達が持っているマンガや本、CDなどを借りられるので退屈することはありません。

「今日の準夜は○○さんかー。やだねー」とか「深夜は〇〇さん?やったー」とかよく言ってました。
お風呂は体調によりますがだいたい週に3日くらい。「足洗い」は毎日。

面会は週に1回。
わたしも含め遠方から来ている子も多かったのでだいたい皆週に1回の面会でした。
日曜日が楽しみで楽しみで、病室のドアが開くたび「お母さんたちが来た!」って期待しては違ってガッカリ…ということがよくありました。