涙がこぼれそうになっても。 -2ページ目

涙がこぼれそうになっても。

10歳でSLEを発症。いろんなことがありここまで来ました。
発症から現在までの自分の軌跡を綴っていきたいと思います。

新しい病院に転院、そして養護学校へ転校。
このY病院にはわたしのような病気の子どもたちがたくさん入院しており、小児病棟と養護学校が繋がっています。
小学部、中学部、高等部とあり病気は腎炎やネフローゼ、喘息など長期療養が必要な子どもたちが中心です。

今日は写真も載せてみますね。



フィルムで撮ったふる~い写真をデジカメで撮りました 笑
向かって右がわたしです。
病気になる直前。
中央の赤ちゃんが弟です。このとき1歳。
他の女子二人は従妹たちです。



入院直後。
病室で撮りました。
向かって左がわたしです。
このとき10歳。
他の二人は同級生です。

治療を始めたばかりのわたしはまだプレドニンの副作用が強く出ておらずムーンフェイスは目立ちません。

小学生の女の子たちが、家族と離れて病気と闘いながら共同生活をしています。
いろんな子がいます。
入ってきたばかりの気が弱い「新米」のわたしはちょっとしたことでイジられることがありました。

いじめ…とまではいきませんがその「からかい」が辛くて、キレたことがあります。
「わたしが何したっていうのよ!!」
友人たちは驚いていましたが、本人は大したことをしていないつもり…
また同じようなことが続きました。

ある夜、寂しくて辛くて、家に帰りたくて病院を脱走しました。
本当に家に帰れるなんて思ってはいませんでしたがとにかくここを出たかった。

少し歩いていたところでタクシーとすれ違いました。
しばらくしてそのタクシーが戻ってきて「こんなところで何してるの」と声をかけられました。
一人で歩いていることに疲れと怖さを感じていたのでわたしは泣き出してしまいました。
とりあえず乗れ、とタクシーに乗せられ近くの警察署に運ばれました。
そこでわたしは事情を説明し病院のスタッフが警察まで迎えに来てくれました。

このことは他の子どもたちには知らされず、ドクターからは少し叱られたような気がするけどあまり大事にならずに終わりました。

自分にとっては。

本当はきっと、病院のスタッフたちは大騒ぎしたでしょうしもしかしたらこの日の担当看護師さんは何かしらの処分を受けたかもしれません。
あのときは、わたしのバカな行動でご迷惑おかけしました…ごめんなさい。

親切なタクシーの運転手さんにも感謝です。
この人がいなかったら何か事故が起こっていたかもしれません。

周りの大人たちがわたしを責めないことで、逆にわたしは反省しました。
この日から、「強くなろう」って思いました。

この病院に入院しておよそ3か月。

いまの時期になるとそこで年を越したことを思い出します。
誰もいない病院のプレイルームで、母と二人で紅白歌合戦を観ました。

この日ばかりは病院のスタッフも夜更かしに目を瞑ってくれました。

お正月が過ぎたある日、母から遠慮がちにこんなことを言われました。

「Y町にある病院に、移る話があるんだけど…。
そこは養護学校があるから学校に行けるよ。ただ、家からはもっと遠くなるんだ。」

いまの病院は自宅から60kmほど。
転院を勧められた病院はさらに遠く、100kmほど離れたところにあります。

片道車で2時間ほどの距離です。
母は、今よりさらに遠い病院に移るのをわたしが嫌がると思ったようです。

プレドニンの投与により体調がだいぶ良くなっていたわたしは、
このままこの病院に一人でいるより学校が併設されているところへ移るほうがいいと思いました。

母の心配をよそに、わたしは転院を快諾しました。

そして、それから4年とちょっとを過ごすことなるY病院へ移ることになったのです。
わたしは病気になるまで、ものすごく食の細い子どもでした。
好き嫌いはほとんどありません。
肉、魚、野菜、何でも食べられました。

父がたまに買ってくる馬刺しや、庭のプランターで育てているパセリが好物でした。

唯一苦手だったのが「白米」です。

食事のときはまずおかずをたいらげ、最後にご飯をやっつける
という、いま健康やダイエットの主流になっているような食べ方をしていました。

食事の時間が苦痛で、給食を食べ終わるのはいつも一番最後でした。

それが…

SLEと診断され、まずはプレドニンの大量投与での治療が始まりました。
それに伴い副作用で食欲がものすごく出るようになりました。

プレドニンの使い方として、はじめに大量に服用し症状を抑え、
その後はゆっくり、少しずつ量を減らしていくという手法がとられます。

とにかくお腹が空きます。
病院の食事の他に、家で作ったお好み焼きやおにぎりを持ってきてもらっていました。
生のピーマンを千切りにしたものを山盛りにしてマヨネーズをかけて食べたりもしました。。

そんなふうにして、SLEの治療が始まりました。
もし、こどものときのまま成長が止まり、顔が丸くなる薬を飲まないと死ぬ って言われたらどうしますか?

生きることと引き換えに、醜い外見で生きなければならなかったら…
わたしは、何度も、こんな思いをしながら生きなければならないんだったら死んだ方がましだった って思いました。

検査入院して2か月。
病名がわかり、大量のステロイド剤での治療が始まりました。

この薬が「プレドニン」もしくは「プレドニゾロン」。
わたしにとっては命を救ってくれたものでもあり、その副作用で死にたくもなる諸刃の剣ともいえるものです。

炎症をしずめたり、免疫系を抑える作用があります。
体内の副腎からは多様なホルモンが分泌されますがその作用を強めてやることで、病気に効く作用を発します。
短期間の服用でしたら止めることも可能ですが、長期にわたって服用すると、自分で副腎皮質ホルモンを生成することができなくなるので一生飲み続けなければならない薬です。

そしてわたしの場合、病気が一生治らないわけですから、この薬も一生飲み続けなければなりません。

副作用は

・成長抑制
・満月顔様(ムーンフェイス)、肩や腹に脂肪がつく
・食欲昂進
・白内障、緑内障の発症
・にきび、肌荒れ、毛深くなる、頭髪の脱毛
・骨粗しょう症
・血栓症
・不眠、不安、鬱症状…etc

こうして書くだけで落ち込んできます。
わたしはこれに、ほぼ全部あてはまっているので。

病弱な人のイメージって痩せて儚げなものじゃないですか。

プレドニンを飲んでいると、顔はまんまるで体もふくよかになったりするから、
「健康そうに見えるのにね」ってよく言われます。

健康そうに見えるのはいいことなのかもしれませんが、「健康そうに見えるのに何さぼってんの?」とも思われがちです。
普通の人と同じことを要求されます。

自分でも、普通の人と同じようにやれない、要求に応えられないというジレンマに悩まされます。

この病気を発症してから30年近く経ちますがいまだに病気を受け入れられません。
健康だったら… 本来の自分の姿で生きられたら… って常に思っています。

わたしは欠陥品。 こんな命、なくなったっていい。


SLE(全身性エリテマトーデス) という病気を知っている人はどれくらいいるでしょうか。

『多数の臓器が同時に障害され、どの臓器が病変の中心であるのかを特定する事が出来ない病気
全身の「結合組織」が病変の主座であり、しかも「フィブリノイド変性」という病理組織学的変化が共通して見られる
このような疾患群を「膠原病」(Collagen Disease)と命名した』 *京大付属病院HPより

SLEとはこの膠原病に含まれる病名です。
systemic lupus erythematosusの頭文字をとっています。
systemicは全身の、lupus erythematosusは皮膚に出来る発疹が、狼に噛まれた痕のような赤い紅斑であることから命名されました。(lupus、ループス:ラテン語で狼の意味)

症状としては

・倦怠感
・関節痛、筋痛、表皮や粘膜の痛み
・発熱
・腎臓などの臓器症状
・蝶形紅斑、頬部紅斑、ディスコイド疹

などなど…

簡単に言うと自己免疫疾患。
抗原抗体反応で抗体が自分の組織に対して攻撃をする という仕組みです。

原因不明、治療もステロイドや免疫抑制剤で症状を抑えるということしかできません。

身体が怠いというのは代表的な症状ですが、うっかりこれを口にすると
「わたしだってだるいときあるよ」等と言われるので要注意です。

はぁ? あんたみたいな健康体と一緒にしないでほしいんですけど。
わたしから言わせれば薬を飲まずに生きていける人間は全員健康体なんだよ!!

と言いたくなります。


治療の中心となるステロイド剤というのが先日記事に書いた「プレドニン」です。
いろんな病気に効きますし特効薬ですが 副作用のデパート と言われるほど副作用が多いです。
このプレドニンが開発される前までは、膠原病発症からの3年生存率は半数以下でした。

次回はこのプレドニンについて書きたいと思います。