元東方神起キム・ジュンス、SMエンタ離脱後の“TV出演不可”時期を語る…「やはり編集される」
かつて東方神起のメンバーとして一世を風靡し、現在はミュージカルをメインに活躍中のキム・ジュンスが、過去の辛かった時代を告白した。
キム・ジュンスは最近、歌手チョン・ジェヒョンのYouTubeチャンネルに出演し、ミュージカル活動を始めた当時を回想した。
この映像でキム・ジュンスは、「SMから出て1年ほど休息し、公式の場でファンに会ったのがミュージカル『モーツァルト』だった」として、「カーテンコールの時に泣いた記憶がある。歌手としてデビューした時は、それ以上の震えがあった」と過去を振り返った。
何よりも、東方神起を離れてJYJとして新たに活動を始めた際、番組への出演に苦労したキム・ジュンス。当時について、「この契約が全て終わった時、果たして幸せなのか?僕という人間が幸せなのか?と自問自答した瞬間、“これは違う”という気がした」と思ったという。
そして、「幸せを探そうと(SMを)出たが、実は歌手としての活動ができるという考えで出たわけではなかった」とし、「だいたい30代中盤~後半になると契約が終わるの。僕の人生のすべてを、一つに没頭するのが正しいと思った」として当時の考えを伝えた。
実際、キム・ジュンスはSM離脱後、番組出演に関して制約を多く経験してきたとされている。最近、SMとの契約終了から約6年目にして、EBS『スペース共感』という音楽番組で番組出演を果たしたと話した。
続いて、「EBS(韓国教育放送公社)は教養チャンネルだ。『スペース共感』は既存のアイドル歌手たちが出てくる番組ではないので、制約がなかったのでしょう?だから“構わない”という感じだった。番組のプロデューサーさん、作家さん、テレビ局、本当にありがとう」とし感謝の言葉を述べた。
それとともに、「芸能人サッカーチーム同士で大会をすれば、番組がインタビューをするし、僕も取り上げられる。でも、番組に出られないことを知っていた。真剣にインタビューに応じても、やはり編集される」と述べ、傷ついたエピソードも告白した。
また、「歌うことはもっと制約が多かった。ファンの方々も知らないはずだが、収録したのに放送されなかったケースがあまりにも多い。その時は諦めるかどうかとても悩んだが、行けるところまで行ってみようと決心した。番組に出られることが、とてもありがたかった」と吐露。難しい時期を経て、再び番組を通じてファンに顔を見せられるようになった状況に感謝の気持ちを伝えたりもした。
(記事提供=OSEN)
◇キム・ジュンス プロフィール
1986年12月15日生まれ。2003年から2010年までを東方神起のメンバーとして過ごし、以降はJYJ、そしてミュージカル俳優として活動。優れた歌唱力と完成度の高いパフォーマンスは圧巻で、ミュージカル界で確固たる地位を固めている。2019年には韓流文化の拡散や人気に貢献した者に与えられる「韓流文化大賞」を受賞し、その存在感をより大きなものにした。
遠回りをして
苦労して涙して
SM ENTERTAINMENTという大手をけって
自由を手にした今
干された時間は長かったけれど
今の年齢になって
ミュージカルで成功して
歌手としてもWeverseコンサートで
呼ばれるほどのアーティストとしての価値は
変わらず
結果的に彼は
自身の選んだ道が正しかったと言えるわけで
それはひとえに
彼が努力を止めなかったことに
あるでしょう
干されても諦めず
活動をし続けた
努力し続けた
出してくれたテレビ局や関係者への
感謝も忘れなかった
スキャンダルや不祥事を
ひとつも起こして来なかったのが
キム・ジュンスくんのイメージに
あります
彼は
真っすぐ芸能活動に
真摯に向き合ってきたアーティスト
だから
今
苦労時代を笑顔で語れるのでしょう
SM ENTERTAINMENTにいて
長い契約で縛られる
それが一番の安定だと思える人には
縛られている感がなく
幸せだと言えるアーティストもいれば
束縛されて
自由がない制限をされる
と
思えるタイプには
SMの契約はしんどいものでしかない
だから今も
EXOでは契約について
納得するメンバーと
納得できないメンバーと分かれているのでは
ないでしょうか
価値観の違いなんですよね
何を重要視するか
ジュンスくんは
未来の自分を思い描いて
自分のしたいこと
やりたいこと
年を重ねた自分が
どうなっているかを考え
SMに縛られることが不安になって
幸せだと思えず
ただ
ただ
幸せになりたくて
充実感を得たくて
SMを出たかったのでしょうし
苦労はしたけれど
Weverseコンに二年連続で呼ばれて
個人事務所を構えて
順調に公演を続けられるほど
実に安定した活動をされている彼は
今年38歳になるスターとして
成功したスターと言えるでしょう
同じく
ジェジュンくんもそうだし
東方神起の2人もそう
彼ら4人は
全員道は違えど
全員が成功したスターだと思います
一方で
ユチョンについては
こんな記事が
“デビュー20周年”も明暗クッキリのJYJ…ジュンス、ジェジュンの裏で浮上のきっかけを掴めないユチョン
キム・ジュンスとキム・ジェジュンがデビュー20周年の特別な活動を予告したが、その隣にパク・ユチョンの姿はないようだ。
6月12日、ニューシングル『Our Season』をリリースしたキム・ジュンス。同曲は、不完全な青春への応援と癒しのメッセージが含まれている。
ジュンスが自ら作詞した歌詞には、「再び迎えたこの季節にあなたを抱きしめてあげる」「吹いてくる風の前に全部溶け落ちるように」「良かった記憶だけを抱いて私たち再び始める」と希望に満ち溢れており、“未来”を再び訪れる“新しい季節”に比喩している。
これまでジュンスは、ミュージカル俳優として休む暇もなく活動してきた。そんな彼が久しぶりに歌手としてカムバックしただけに、新曲の広報に尽力している。
また、キム・ジェジュンもカムバックを予告。26日、2年ぶりとなるフルアルバム『FLOWER GARDEN』を発売する。11日には、去る1月のファンコンサートで披露したファンソング『I AM U』を先行公開している。
7月20、21日にはアルバム名と同名のコンサート「FLOWER GARDEN in SEOUL」を開催。ほかにもユーチューブ、地上波バラエティと熱心な活動を続けている。
明暗クッキリなユチョンの転落人生
このように、2人がデビュー20周年を特別なものにしようと活動している反面、パク・ユチョンは奈落でもがいている。
パク・ユチョンは2016年6月、性暴行疑惑で数回にわたりイシューの中心に立った。計4件の告訴に関しては全て嫌疑なしの処分を受けたが、2019年に違法薬物使用の疑いで起訴され、懲役10カ月、執行猶予2年を宣告された。
さらに当時、パク・ユチョンは緊急記者会見を開き、「決して麻薬をしていない。やったのであれば引退する」と進退を賭けて潔白を主張したが、残念ながら麻薬検査では陽性反応が検出。その結果、麻薬類管理法違反の疑いで懲役10カ月、執行猶予2年に加えて、保護観察、麻薬治療、追徴金140万ウォン(約16万円)を言い渡されることとなった。
その後、執行猶予で釈放されたパク・ユチョンは2021年、旧知のマネージャーとともに事務所を設立。事実上、韓国芸能界から締め出されていたため、活動は海外を中心に行ってきた。“引退宣言”はなかったことにしてしまったようだ。しかし、事務所とは紛争を経験し、既存の写真、映像などのパク・ユチョン関連コンテンツは全て削除されるなど、雑音が絶えなかった。
そして昨年12月には、韓国国税庁が公開した高額・常習滞納7900件、脱税犯31人、不誠実受領寄付金団体41カ所のリストに名を連ねるという不名誉な出来事も。国税庁によると、パク・ユチョンは2016年から譲渡所得税をはじめとする計5件の税金を滞納したという。その額はなんと、4億9000万ウォン(約5600万円)にも上る。
2016年から転落の一途を辿っているユチョンだが、近年は日本での活動に熱を入れている。今年2月には日本で高額のファンミーティング兼ディナーショーを、5月18、19日には横浜の象の鼻パークで開催された「2024横浜韓日にぎわい祭り」に出演。また、インスタグラムを開設し、弟のパク・ユファンと日本で過ごす様子を度々公開している。
キム・ジュンスとキム・ジェジュンはファンの熱烈な歓呼と拍手を受けながらカムバックの花道に入ったが、パク・ユチョンはその流れに乗れていないようだ。いや、もう不可能なのかもしれない。
(記事提供=OSEN)
◇パク・ユチョン プロフィール
1986年6月4日生まれ。小学校高学年からデビュー前までアメリカで生活。2004年に東方神起のメンバーとしてデビュー。グループ脱退後、ジュンス、ジェジュンとともにJYJを結成。歌手として活躍する一方で、ドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』『ミス・リプリー』『屋根部屋のプリンス』などを通じて俳優としても高く評価された。2019年7月、麻薬を使用した容疑で懲役10カ月、執行猶予2年の判決を受けた。
OSENの記者に
キム・ジュンスとキム・ジェジュンはファンの熱烈な歓呼と拍手を受けながらカムバックの花道に入ったが、パク・ユチョンはその流れに乗れていないようだ。いや、もう不可能なのかもしれない。
不可能かもしれない
なんて
書かれたユチョン
しかし
日本にはまだ
彼を応援する人がたくさんいる
その人たちがいる限り
不可能ではないのかもしれない
でも
ジュンスやジェジュンがいる世界で
同じステージに立つのは
不可能なのかもしれない