芸能人は公人ではない

 

公人

 
公人(こうじん)とは、公務員や議員などのように公務についている者や、社会的な立場を持った人、社会的な影響力を持った人物を指して用いられる言葉。対義語は私人。
 

公人の定義

公人について言及した法令は存在しておらず、裁判所の判決等で言及される際にも明確な定義はおこなわれず、幅がある状態となる。一般に私人に対してはそのプライバシー権が強く保護されるが、公人は社会的に及ぼす影響が大きいため、私生活であっても『公共の利害』に及ぼす影響が大きい公人の場合にはその保護が行われないことがある。

準公人

公人に、社会的に影響力のある経済人、有名人を含むとする広義にとらえる考え方も存在する。1981年(昭和56年)4月16日の最高裁判所第一小法廷判決において、私人であっても社会的に一定の影響力を持つ者に対する批判は事実の公共性が持つことがあるとされており(月間ペン事件)、このような私人は準公人・みなし公人とよばれる。写真週刊誌等でタレントやその家族のプライベートが報道されるのはこの理論によるものである。

 

 

 

 

 

 

私が昨年

 

スターに対して

「〇〇(芸能人)は公人」

芸能人は公人として

それなりの行動をすべき

 

というような主旨の内容を書きました

 

 

正確に法的に従っていえば

芸能人は「私人」であります

 

 

しかし

 

上の議論を見れば分かるように

芸能人は「みなし公人」と呼ばれることが

社会であるのも事実です

 

しかも

人気や影響力が大きい芸能人ほど

公人論が出てくるものです

 

 

 

法的な私人でも

世間一般の私人と同じ「私人」とは

言えないのではという議論があるのです

 

 

 

 

 

そこで韓国ではどうなのか

 

 

私は長年韓国メディアの報道を見てきて

芸能人は公人としてあるべき姿を

見せるべきという表現が多々あったので

 

自然と芸能人は公人のようだという

考え方が自身に定着していて

昨年

そのように書いたのですが

 

 

言葉足らずで間違った表現だけが

一人歩きをしていました

 

 

 

そこで

 

こんな例があります

 

 

かつて

海外賭博で司法のお世話になった

人気MCタレントがいました

 

<シン・ジョンファンssi>

 

2011年5月

海外常習賭博容疑の初公判が開かれ

常習賭博容疑で懲役1年を求刑

 

最終陳述で彼はこう述べました

 

「社会的物議をかもしたことを深く後悔し

公人として心配をかけ

過ちを犯した点を深く悔いている」

 

 

 

 

 

 

彼はタレントです

 

しかし自身で「自分は公人」と

述べられました

 

法的に公人ではないにも関わらず

公人と言われました

 

 

 

 

そこで

 

韓国の「芸能人公人論」について

見てみましょう

 

 

https://namu.wiki/w/%EC%97%B0%EC%98%88%EC%9D%B8%20%EA%B3%B5%EC%9D%B8%EB%A1%A0

 

 

 

「芸能人は公人だから、その責任も公認が負う責任と同じだ」という韓国社会で使われる論理を意味する。

 

この場合、多くの人々が通常考える公人ないし法律による意思と相関した公人かどうかは問わない。

 

 

 

 

 

韓国でもスターが問題を起こすたび

「芸能人は公人なのか?」という問題提起を

なされてきました

 

 

 

 
 

 

プロ意識を問うメディアの記事には

常に

芸能人も公人のように

大衆の関心を集めて生きているのだから

 

プロ意識をもって

お手本となる生き方をすべき

問題提起がなされます

 

 

その流れで私は人気スターも公人と

似たような立場にある存在だから

誤解をされやすい言動はすべきではない

書いたわけです

 

 

ただ法的に芸能人が公人だと

間違ったことを書いたわけではないのですが

 

ただ言葉足らずでしたね

 

 

 

 

私の考え方は

 

公務員や政治家は

国民の税金を収入として得ているため

公人らしく生きろと言われます

 

それが「公人」ならば

 

 

ファンのお金と愛と信頼で

収入を得ている芸能人は

人の信頼を買って稼いでいるだけに

公人のように生きるべき

とも思います

 

 

ファンを裏切ることなく

誤解を与えることなく

真面目に

ただただ誠実に活動すべきだと

 

 

 

 

「芸能人は公人ではありません」

 

 

だからこそ

 

公人のような世間的な批判を受けなくてもいい

ということではないと私は思うのです

 

 

 

本来

公人じゃないからという理由で

許されることはないでしょう?

素人でも有名人でも

何かがあれば批判や議論の対象に

挙がります

 

 

さらにスターは

人気商売なのだから

それなりに彼らは何かをすれば

公人と同じほどにそれ以上に

世間から批判をされてしまいます

 

 

 

 

シン・ジョンファンというタレントさんが

自身を政治家でも公務員でもないのに

自らを「公人として心配をかけ

過ちを犯した点を深く悔いている」

述べられた言葉が

 

今でもずっと頭に残っています

 

 

 

 

また

中央日報が

草彅君の泥酔事件で

彼が謝罪を重ねてしたのが

彼が公人だったからだと書いています

 

 

 

スポンサーに影響を与え

日本中に影響を与えた

 

「私人」扱いの一人が犯した罪で

そこまで社会的な影響が拡がれば

もはや

その辺の政治家や公務員より

影響がある「公人」と言われても

誰も否定をしないという話です

 

 

 

そういう意味で

 

人気スターは誰より有名で影響力があるとの

主旨を伝えるがため

 

「スターも公人」という

言葉を使いました

 

 

 

<法的に公人でなない>

 

大前提はそこだったんですが

それを書かなかったのが

私の落ち度でした

 

 

 

 

韓国では芸能人も公人という考え方があり

議論され続けてきたのは確かです

 

 

 

 

 

 

結果的に

 

私はベテラン大御所俳優

イ・スンジェ先生が述べられた言葉に

 

一番

共感しています

 

 

 

 

 

「私たちは正式に公人ではありませんが

公人の性格を持っています

なぜでしょうか?

私たちがしている行為が観客や青少年に

影響を与える可能性があるからです」


<2019年「ハッピートゥゲザー」にて>

 

 

 

 

 

「芸能人は公人ではないが、行為自体が伝播性があり、公人の役割と概念がある


出処 : 스포츠Q(큐)(http://www.sportsq.co.kr)

 

 

 

 

 

「よく"芸能人は公人ではない"というが、公人のようなものだ。われわれの一挙手一投足が社会に影響を及ぼし、特に若い芸能人は世間に及ぼす影響が大きいから、法規のようなものをちゃんと守らなければならない」

 

 

 

 

 

 

 

イ・スンジェは「特権意識は意識にかかっている。芸能人には結局人気が必要だ。しかし最近はこれを錯覚している。芸能人は行動自体が伝播性と影響力がある。公人ではなくとも公人性があるから、行動を自制しなければならない」

 

 

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

 

イ・スンジェ「芸能人は公人だ。それほど気をつけて犠牲精神が必要」 2009-09-25


イ・スンジェは当時の放送で「最近、若い後輩たちはファンに感謝することができない。マネージャーにさせて全部追い出して一人で告白したふりをする」とし「ファンに感謝することを知らず、告白したふりはやりながら視聴率はなぜ見ているのか」と恥ずかしく叱責した。続いて「俳優たちの地位が変わった。昔は男性芸能人は財閥の酒相手であり、女性芸能人は酒座の花だった」とし「今芸能人は広報大使になって社会に資することができる」と変わった芸能人の位置について話した。


イ・スンジェは、昔から芸能人を公人のカテゴリーに入れ、芸能人が法を破るたびに、より注意して犠牲にする精神が必要だと主張してきた。学歴偽造論争があった2007年にもイ・スンジェはあるメディアとインタビューで「今は芸能人の人気が過去とは大きく変わった。だから可能なこと」とし「それならそれにふさわしい行動をしなければならない。人気があると、お金が多いからといって脱法しても良いということは言えない」とし、「権力を持つ人々、特権者たちはさらに一生懸命に法を守らなければならない。だから公人というのが難しいこと」とし「公人は自分の利益を後ろに回す意識と犠牲精神が必要だ。公人という身分は人々に仕えろという命令であり、良くなったと与えるものではない」と公人として芸能人の態度を強調した。

 

 

 

 

 

イ・スンジェ先生は

かつて国会議員を1期

経験されたことから本当の公人としての

立場で生きて来られた過去があられます

 

しかし

今現在まで

ずっと俳優としてご活躍されています

 

だからこそ言える芸能人と公人の

関係性

 

法的に公人ではないけれど

公人のようなものだ

おっしゃる言葉に

 

誰よりも

とても説得力があるように

思えました