お互い譲れない大きな決断の際、最後はダンナの意見に合わせていた私。
私が折れた結果、すごい負担を強いられている姿を見れば、今後自分の意見が通りやすくなるんじゃないか。。
私が我慢した分、この貸しはいつか自分のタイミングで返してもらおう。。
などと、打算的極りない考えで
結果どうなったか。
確かに私はかなり負担を強いられていますが、それを交渉のカードとして使ったことはなく

ダンナは相変わらず自分の意見を曲げるつもりはなく(過去記事:下の子問題再燃参照)



あれれ?なんか思ってたのと違う
?
もしかしてダンナは、私に借りがあるって思ってない

??
強いて言えば、やりたいことや行きたいところがあれば、できる範囲で(←あくまでできる範囲で)だけど行動してるけど。。そして、それを許容してくれるダンナに感謝はしてるけど。。
それはダンナだってそうだし
確かに、貸しをつくったと思ってるのは私の主観だもんなー
人の感情というものは、相手がそれを認めないと相互間で成立しない
→ダンナが借りを作ったと認めない限り、私の負担はただの自己犠牲
以上終わり
ナンテコッタイ
小賢しい打算で今まで頑張ってきたけど、確かにそうでも思わないとやってこれなかった、それくらい負担なんだけど、でも!!
相手に伝わってないのではという疑惑
まぁ、これからもダンナに貸しを作ったと私の中で落とし込んでそれをスポ少を乗り切る糧にすることはできる
でも、それ以前に。。。
私はもっとそもそもなことに気付いたのです。
それが何か。続きは、また明日。