6/2放映のザ・ノンフィクション後半部分だけ見ることができたのだが、番組があること自体を知らなかったので、前半部分は見過ごしたし、慌てて(こっそり)録画セットしたのだが、ダンナが「こういう番組は見ない方がいい」というので、一緒に見るのは絶対無理だ。

 

番組の内容は、子宮頸がんになって治療を頑張ったのだが、病勢が勝り、全身に転移した女性が家族と相談の上、スイスで安楽死することを決断した、というもの。

 

全部視聴していない状況でいうのもなんだが、ちょっと共感はできなかった。

まあ、人それぞれ考え方は違うので、自分の信念に従って行動するのは悪いことではないのだが。

 

ザ・ノンフィクションは以前にも安楽死についてのドキュメンタリを放映していて、やはりスイスの施設なのだが、当時とゃとなった患者さん三名の安楽死を選ぶ理由には共感できるものがあった(一人は結局安楽死直前で翻意した。)

 

何が共感できたか、というとこのままだと結構長生きできそうな人たちだったのだ。

ただし、身体の不自由であるとか、コントロール不可能な絶え間ない痛みを訴えていて、この状態で生き続けることが苦痛なので安楽死させてほしい、という内容だった。

 

私は日本人でかつ日本語以外話せないので、英語で手続してスイスまで行って現地の医師にカウンセリング受けてという一連の作業を行う自信が無いのだが、ヨーロッパで生れていて、この方たちと同じ状態になったら安楽死を検討したかもしれない、とは思った。

 

今回の女性は、末期がんなので遠からず死を迎えることはわかっているのに、なんでスイスまで行って安楽死を選択したのか、というのが今一つ共感できなかったのだ。

 

消化不良のまま考え込んでいたのだが、マノンさんのブログで「セデーション」という言葉を聞いて、私だったらこれがいい、と思った次第。

 

セデーションとは要はモルヒネ等の薬物で意識レベルを低下させることである。

何が良いって「合法」なので国内で信頼できる医師にお願いできる。

 

意識レベルを下げてしまうので、お話とかはできないと思うが、痛みとか苦しみからは解放される。

 

うん。痛くないならこれがいい。

この状態が10年も続くのはダメだと思うけれど、最後の最後だったら、痛みだけ取ってもらって安らかに逝きたい。

 

ただ、家族とよく話し合って、合意の上、医療機関にお願いしなきゃならないそうで、うちのダンナと話し合いが出来なさそうで困った感じはある。

 

それに、ダンナは

「(私に)もしものことがあったら、お義母さんに何を言われるかわからない。」

と言っており、それはまあ言われるだろうな。

 

胃ガンで若くして亡くなった「アイちゃん」の御主人がブログでつづっておられるが、アイちゃんは御主人と子供2人の生活を変えずに、近くの病院で闘病することを選択した。

 

ただ、アイちゃんの実母さんは考えられる限りの治療を望んで、遠くの病院で治療しなかったのがいけない、と亡くなってしまった後も言い続けているらしい。

 

母親ってそんなものかもしれないけれど、言われる方はたまらんわ。

 

うちの母親にはガンになったこと自体言ってないけれど(今後も言わずに済むなら言わない)、もし知ったら、「何故ガンになったのか」を詮索しまくって、ダンナが悪いことになったんだろうな。

 

私は幸い、手術で取ってしまって今のところは経過観察で済んでいるけれど、もし治療が必要、ということになれば、〇〇水とか、何とかキノコとか、誰それが試したところガンが生えたとかいう健康食品がどっさり送られてくるだろう。

 

で私やダンナが決めたことにケチつけてくるだろうな。

 

とりあえずダンナの為にも母より先には死なないことにした。

でも長生きしそうなんだよね。