一週間くらい前、フジテレビで「千鳥の鬼レンチャン」のスペシャル歌謡祭が放映されていて、とてもよかったのだが、演歌の方たちの情熱、というか、何とか生き残ろうという心意気には感動するしかなかった。

 

鬼レンチャン、はざっくりいうとカラオケ番組なのだが、テレ東のカラオケバトルと異なるのは、挑戦する人たちが皆様すでにデビューしているプロ歌手で、歌唱力はすでに折り紙付きの方たちなのだ。

 

とはいえ、ただ歌わせてもらえるだけの番組ではなく、お笑い芸人の千鳥とかまいたちに4人がかりでいじり倒されるので、なんていうかこれから名前を売っていきたい新人さんとか、昔は売れたけれど最近はちょっと、なんて歌手の方はいいかもしれないけれど、大御所の方とかにはあまりメリットの少ない番組なような気もする。

 

ところが、演歌勢は頑張るのである。

 

水森かおりさんは紅白のパロディでドミノ倒しをバックに歌ったし、坂本冬美さんは、物まね芸人の坂本冬休みさんとデュエットしてるし、細川たかしは外見をいじられまくってどう考えても失礼な演出なのに、お弟子さんに三味線ひかせて堂々と唸り上げた。

 

歌っているとき芸人が4人がかりで茶々を入れるのがこの番組のお決まりなのだが、さすがに細川さんの望郷じょんがらには茶々が入れられず、黙って聞くしかない。

 

いやあ、演歌はあまり好きじゃないけれど、久しぶりの望郷じょんがらは良かったわ。

演歌というより、民謡に寄っているのでは。

 

こんな番組、と言っては失礼なんだが、歌い手を茶化すような番組に大御所自ら出馬したのは、若手の演歌歌手の援護もあるだろうし、細川さんだけではなく、坂本さんも水森さんも「演歌」というジャンルの危機を感じているのではないか。

 

石川さゆりさんが紅白で「津軽海峡冬景色」「天城越え」の二曲を交互に歌い続けていることからもわかるのだが、演歌歌手の多くは、過去の遺産で食っている。

 

歌番組はそこそこ増えてきたとはいえ、演歌勢が「新曲を披露する」番組は皆無。

細川さんや坂本さんのように、既に複数のヒット曲がある大御所はいいだろうが、これから演歌でデビューしたいという若者は歌がうまくてもテレビにおいては活躍の場すらない。

 

歌手が活躍する場はテレビだけではないとはいえ、地方でコンサートを開くにしてもまずは名前を知られてなければ集客かできないし、歌手という以上、自分のオリジナル曲を披露できなければコンサートにもならない。

 

結構「演歌」の将来って詰んでいるような気もする。

 

素人のオーディション番組とかで瀬川瑛子さんが審査員を務めていたのを見たのだが、10代の女の子が振り袖を着て演歌で出場しただけで、既に瀬川さんが涙ぐんでいる。

 

「こんな若いお嬢さんが演歌を好きで歌ってくださるだけで私、うれしくて(おろろんおろろん)」と講評というより、感激の感想になってるし。

 

まあ、このあたりの精神は細川さん、坂本さん、水森さんにも通じるものかあるのでは。

 

だって、松田聖子とかユーミンとかサザンが鬼レンチャンでそっくりさんと一緒に歌ったり、かぶりものつけて踊ったりするとは到底思えない。あ、郷ひろみはほいけんたと歌ってたか。

 

現代に「演歌」が今一つなじまないのはやはり「歌詞」「世界観」に共感できないこともあるのかもしれない。

 

都はるみの大ヒット曲「北の宿」にしても、片思いなんだか不倫なんだかよくわからないけれど、今一つ乗り気じゃない男のために、涙こらえながら「着ては貰えぬセーターを編んでいる」不幸な女である。

 

昭和うまれの私でも、着てもらえないセーターなんて普通編まないだろう。労力かけて手作りしたならそれ相応の対価、というか、貰った相手が大感激して毎日着てくれる、くらいの期待はする。

 

細川たかし師匠の望郷じょんがらでも、「本当は故郷で家族と一緒に暮らしたかったのに、生活のために都会に出てこざるを得ず、帰りたい、会いたい」男性の信条を歌いあげていて、その歌唱力には陶然とするのだが、うちのダンナは自分で望んで都会に出て来て、そのまま働いているので、別に帰りたいわけでもない。

 

まあ、別に若い人だけの心情に寄せなくてもいいんだが、40代50代の心にも響かないとなると、わざわざ演歌を買って聞く人少なくなる一方なんだろう。

 

それでも細川たかしが歌うなら聞きたい、という層を確保し保つためにお弟子さんも引き連れ、千鳥からいじられたおしつつも一曲歌い上げねというのは、なかなか見上げた心意気だ。

 

いや「演歌」の枠に入るかどうかは不明だが、マツケンサンバなんて歌詞に意味は全くないしサンバでもないし、オレ!って何なんだ、思うが老若男女に受けている。歌詞じゃないのか?

 

たかし師匠、踊れば行けるのかも?