昨日のブログを読んでくれた方が、「Ⅰaでも全摘手術なんですね」と書かれていたが、そうなの。

 

 

ほかのガンはよく知らないけれど

 

子宮体癌は基本手術で全摘 Ⓒ小豆(主治医)

 

もっとも子供を産みたいお若い方は何としても子宮を残したい、ということで、ほかの治療方法を選択されるのかもしれないが、子宮体癌って基本的に50代~60代で発症する病。

 

もう子供は産めませんがな。

 

実感を込めて言えば、消化器とかとは異なり、子宮を取ったところでなんの支障も後遺症もない。

 

卵巣は女性ホルモンを出してくれる関係で、取っちゃうと急に更年期がきて大変、ってのもあるみたいだが、私の場合、卵巣ももう仕事を終えていたらしく取ってもなんともない。

 

後は、ココロモチの問題で、入院中お世話してくれた看護助手さんが同じく子宮体癌の手術をしたそうなんだが、「女じゃなくなっちゃうような気がして」手術はとても嫌でごねたらしい。

 

いやいやもう子供産まないんだったら(産めない)子宮なんてあってもなくても他人からはわからないよ!

 

お腹に大きな傷は残るけれど、1年半たった現在、私の腹の傷はほとんど目立たない。

 

真面目にアトファインを貼ったからかもしれない。

 

術後も「女」であり続けたいなら、化粧とか、ヘアスタイルとか洋服とか、見た目を磨くだけでいいのでは。(それもサボっているが)

 

さて、タイトル回収。

 

私の子宮体癌は結果的にステージⅠaだったのだけれど、術前検査ではステージⅡだった。

その時の患者用説明文書には

 

「子宮体癌Ⅱ(疑い)で手術」

と書いてある。

 

と、言うのも、正確なステージとかは術後の病理検査じゃないとわからないそうで、子宮体部の組織検査でガンが決定され、MRIで内部の腫瘍の大きさ等を推し量り、PET検査で子宮以外に転移していないかどうか確認した結果、私のガンは子宮体部から頸部まで浸潤している結構大きなガンだが、転移はしていない、ということでステージⅡ(疑い)だったのだ。

 

で、子宮(及び卵巣)を全摘して、病理医が切り刻んで精査した結果、腫瘍が大きい割には、子宮壁の浸潤は深くなく、かつ、子宮頸部まで広がっている、と予測されたのに、頸部にはつながってなかった。

 

つまり樺太(サハリン)は「島」だった、のだ。

 

日本が領有権を主張している樺太だが、形状から大陸にくっついた「半島」と思われていた時期もあったらしく、間宮林蔵という江戸時代の探検家が実際に赴き(鎖国中なのに)島だと確認したのだ。

 

わたしのガンも大きさの割には浸食は少なく、頸部とつながっているかと想定していたら浮いていたのと、腹水にもリンパ節への浸潤が認められなかったため、ステージⅠaという結果に落ち着いたのだった。

 

まさに、術前主治医と確認したとおり、

「開けてみないとわからん」

ってことであった。

 

Ⅱ疑いだったので、術後は抗がん剤予定で入院を継続する予定(コロナの関係で入退院するとPCR検査からやり直しになりめんどくさい感じに)でのんびり構えていたら、いきなり「明後日くらいに退院する?」と言われてええっ!となった。

 

そうだよね。

用がなければとっとと出てけって話だよね。

 

8月1日に入院して8月26日に退院だったので、限度額の「月跨ぎ」は避けられ何よりだった。