義母さんに送った6000円分のお菓子は良い買い物だったが、これは衝動買い。

どなたかのブログで「カルディのメロンソーダの素」がアップされていて、無性にほしくなって、買いに行ってしまった。

600円ちょっと。

勢いで「いちごみるくの素」も購入。

実は「ももミルクの素」もあったので、3本買っちゃえー、と思ったのだが、そこは大人なので堪えた(?)

 

メロンソーダの素はさっそく炭酸で割って、バニラアイスを入れて飲んでみた。

 

お上品なメロンソーダ

 

色もうっすらグリーンで毒毒しくないし、甘味も少ない。

メロンの味がほんのり。

美味しかったけどさ、メロンソーダってあの色とあの味だよねー。

 

 

 

さて、他人様のブログ、と言えば、八木重吉の詩が好き、と書かれている方がいらっしゃった。

 

八木重吉、と言えば、大昔にちょっと読んだことがある。

いや、「詩」を読んだことがあるんじゃなくて、彼の詩が世に出てくるエピソードの話だ。

 

八木重吉は早くに亡くなったのだが、彼の奥様が再婚なさるときに、彼が書きためた詩をトランクにいっぱい持っていて、新しいご主人がそれを読んで、出版したのがきっかけだったって話。

 

若くして亡くなった夫の詩を再婚する際も大事に持っていく奥様も素敵だが、その詩を読んで、「良い詩だから世に出そう」って尽力する新しいダンナさんも度量がある、というか、立派な方だなあ、なんて、まだ学生だった私はぽわわんと夢想していたのだ。

 

ちょっと懐かしくなったので、調べてみることにした。

調べてみるといったって、昔と違ってネットでぱぱっと調べられる。

 

で、調べてみてちょっと愕然とした。全然ぽわわん、とした愛情物語ではなかった。

 

まず八木重吉だが, 

 

1898年に町田市に生まれている。

そこそこ大きな農家の次男で、師範学校に入学する。

23歳の時に受験勉強を手伝った御縁で17歳の島田とみと出会い、恋愛関係に。

 

1922年 島田とみと結婚。

1923年 長女 桃子誕生

1924年 長男 陽二誕生

1926年 結核になる

1927年 死去

 

これを妻トミ側から見ると、

 

17歳で出会い

18才で結婚

19才で長女出産

20才で長男出産

23才で夫を亡くす

 

という早回し人生だ。

 

 

どうも、八木重吉夫妻の結婚は両家から歓迎されていなかったらしく、夫亡きあと、とみは洋裁やデパートの店員として働いて子供を育てることになる。

 

が、遺族年金とか、保育園とかなかった時代なので、かなりの苦労をしたのではないだろうか。

しかもとみの悲劇はこれだけじゃない。

 

1937年 長女 桃子 結核で病死 14才

1940年 長男 陽二 結核で病死 16才

 

夫だけじゃなく、2人の子供も結核で失うことになる。

 

36才くらいの時には、すべてを失って一人になるわけだ。

 

最初の夫と死別した後、身一つで再婚したのかと思っていたら、子供2人も結核で失くしていたとは知らなかった。

 

次の夫である吉野英雄と再婚したのは1947年の話なので、とみは数年間は一人で働いて生活していたことになる。

 

で、次の夫となる吉野英雄なんだが、

 

1902年生まれ。のちに結婚するとみとは1歳違いである。

この方も病弱で、療養のため親元から離れて祖父母に養育される。

で、

 

1924年 22才で肺結核を患う。

療養のため、慶応大学を中退する。療養所に入る。

1926年 最初の結婚

1929年 肺炎で死にかける

1944年 妻が胃がんで亡くなる。(子供4人か残される)

 

正直、この経歴だけだと、どうやって生活費を稼いでいたのかが不明だ。

文筆活動はしていて詩も書いていたようだが、どうも定職はなさそう。

ただ、その状態でも結婚してるし、奥様が亡くなった時には4人の子供が残されていたので、少子化ってお金とか手助けじゃないような気もしてきたな。

 

で、ここでとみが出てくるのである。

 

1944年に吉野の前妻が亡くなったとき、子供4人抱えた病弱なシングルファザーはとても困ったに違いない。

周囲の人が動いて、夫と子供を亡くした未亡人であるトミが紹介され、手伝いとして吉野宅に入ったのだ。

 

このあたり現代の感覚だとよくわからないのだが、同年代の独身男女が恋愛関係でもないのに住み込みで同居って何なんだろう?

しかも、吉野氏、生涯を通して貧乏だった、とあるので、4人の子供の養育に加えて住み込みの家政婦さんを雇う余裕があったとも思えない。

 

最初から「後妻」としての手伝いだったのだろうか?

ともあれ、1947年には45才と44才て吉野とトミは再婚している。

 

トミの最初の夫である重吉が亡くなったのはトミが23才の時なので、重吉の書いた詩をトミは20年以上大事に持ち歩いていたことになる。

 

私だったら、20年間の間に捨てちゃってるかもしれん。

 

私は詩には造詣が深くないのだが、吉野は自身もものを書く人間なので、重吉の詩の素晴らしさがわかったのだろうか。

それ以前に、妻が前夫の詩を再婚の際も大事に持ってきて、それを読んで「いい詩だ」と評価できるのはやっぱり人間としていい人なんだろうな。

 

なんとなくなんだが、吉野は自身も結核で大学を中退せざるを得ず、生涯を通じて病気がちであったし、最初の奥様も病気で失っている。トミは若い身空で夫も子供も結核で失ってしまった。

 

病気で人生が変わってしまった2人がお互いのかけたところを補うように寄り添った再婚、って感じなのか。

 

とにかく、吉野英雄の協力もあって、重吉の詩は世に出たのだ。

 

1967年 吉野英雄 死去 65才

 

トミはまた未亡人になった。

 

トミ自身は文学者ではないので、夫亡きあと何をしていたのか記録はないのだが、トミの死去は1999年である。

 

八木重吉との年齢差などからトミの生まれ年を推定すると1903年。

 

え、トミが亡くなったのは96才(!)

 

ご長寿だったのね。

 

吉野英雄は生前に「トミのお骨は前夫の墓にも分骨してあげて欲しい」と言っていたとのことで、73年経ってから重吉と子供たちのもとに帰ったことになる。

 

しかし、結核って国民病だったのね。夫2人も、子供2人も結核。

でも一緒に住んでて、看病もしたであろうトミは罹患せず96歳まで長生き。