田中真紀子さんの目白御殿が火災にあったので、実家の線香立ての網を送った話を先日ブログで書いたのだが、無事届いて、手持ちの線香立てにピッタリだったと母親から電話が来た。

 

お礼に何か送ろうか、いるものはないか、と言われたのだが、年寄にわざわざ買い物に行かせてまで欲しいものはない。

 

強いて言えばみかんなのだが、みかんは母親の知り合いがみかん農家なので、お願いすれば直送で送ってくれるらしい。

 

12月の頭に一箱送ってもらったのだが、これが当たりみかん。

 

農家の方も「今年はいいのができた。」と自信たっぷりだったそうだが、去年は「あまり出来が良くない」と正直に申告してくれたので、今期のみかんは当たり年なのだろう。

 

ダンナが職場にちょっと持って行ったので、すでに無いので、また欲しいと言えば欲しいのだが、先日ふるさと納税で頼んだ三ケ日みかんが届いたのだ。

 

これが無くなるまでは残念だが、みかんはもらえない。

 

「まあ、何か思いついたらいつでも送るから」と電話は切れた。
 

と、実母とは割とビジネスライクに交渉可能なのだが、これが義母ともなると食い違いが大きい。

 

そもそも、義母さんは実息子である私のダンナや実娘である義妹ちゃんとの関係が良くないので、接点は最小限。

 

実子と仲が悪いのに、嫁とうまくいくはずもないので、私はよほどのことがないと表に出ないことにしている。

 

それでも毎年、お年賀代わりに近所の和菓子店からお菓子を送っていたのだが、このお菓子は干支の絵馬の箱に入っていて、ちょっとお高いが一度送ったら「正月にふさわしい品をありがとう」と珍しく大喜びのメールがダンナに入ってきたので、「気に入ったんだったら、毎年これでいいや」と毎年ほぼ同じお菓子を送っていた(干支の箱やお菓子は毎年変わる。

 

ウサギ年の時はかわいい饅頭で良かったけれど、来年は蛇年。蛇の饅頭なんだろうか?)

 

3年前に義父が亡くなって、おめでたいお菓子は一回やめていたが、去年から復活して送っていた。

 

ただ、今年は、「白内障の手術に近所の叔母の手を借りるからお礼の電話をかけてほしい」と面倒なお願いをしてきたので、年末に同じお菓子を叔母の分も2つ送った。ダンナに聞いたら、年賀のお菓子は送らなくていいだろう、ということで送ってなかった。

 

そのこと自体はいいんだが、正月休みも一段落してふと、気づいたのだが、義父が亡くなったのは1月13日。

 

特にお寺さんを呼ぶこともないと思うが、命日なので、ご仏前に何か送っておいた方がいいのでは、と思い、いつもの和菓子店で、ご仏前に良さそうな(包装が地味な)お菓子を一折宅配の手続きをして、とりあえず義理は果たせた、とほっとしていたところ、間髪入れずに、義母さんからお礼の品が届いてしまった。

 

あー、こういうとこがダメなのよ。と思わずつぶやく。

 

実は年末にも荷物は届いていて、結局私が何か送ると何かが帰ってきてしまうんである。

 

それでも今回はお菓子がつくや否やスーパーとかで購入して送ってくれた、って感じで早すぎる。

 

で、ものを貰って文句を言うのも何なので、他人様には言えないのだが、ブログで吐き出すことにする。

 

一応、私が何か送るときは、デパートとか和菓子店で購入したものを送ることにしているが、義母さんの場合は、自宅にとっておいたもの、スーパーで購入したものを送ってくる。

 

この「自宅にとっておいたもの」というのが曲者で、要はお中元などの頂き物を回してくれるわけなんだが、往々にして賞味期限ぎりぎりか、たまに切れている。別にいらないものを回してくるわけでもないと思うので、多分だが、「いいものを貰ったから自宅で食べるのはもったいない、何かあったときのために取っておこう」と取ってあるんだろう。

 

賞味期限が切れたものは仕方ないのでゴミ箱行きである。

 

スーパーで買ってくれたものも微妙で、今回はプリンが入っていた。普通の「要冷蔵」のスーパーで売ってる100円~150円のプリンである。なぜ?

 

一応、冬ではあるのだが、普通の宅急便でプリンを送られても困る。

 

義妹ちゃんが義母の近くに住んでいてまだ仲が良かったころは、こういうものは送られてこなかったので、多分、いただきものとかは義妹が貰ってくれていたんだろうし、もしかすると「プリンを宅急便で送るな」と意見してくれていたのかもしれない。

 

ああ、義妹ちゃん、なんで義母から離れちゃったの?(ある程度理由はわかってる)

 

その他、必ず入っていて私を悩ませるのが「干し餅」である。後巨大な「落雁」。

 

落雁、というのは私の地元ではお彼岸の時とかにご仏壇にお供えする色鮮やかな砂糖の塊である。

 

長野の栗落雁、とか四国の和三盆で作った落雁はお茶うけに美味しいお菓子なのだが、それとどう違うのかというと、大きさと食感だ。

 

仏事用の落雁は子供の手のひらくらいの大きさがあり、一人で食べる量じゃない。その大きさを固める必要性からか、なんかねっとりしている。歯が立たないし、包丁も入らない。崩して砂糖として使うこともできない。

 

和菓子の落雁は、小指の爪くらいの大きさで、飴のように口に入れると口内ですっと溶ける。

そこに濃いお茶を飲めば至福である。

 

巨大な落雁を貰っても食べないので、捨てることになる。

 

後、何回断っても復活してしまうのが、「干し餅」だ。

お餅を薄く切ってひもで結わえて干した保存食なのだが、とにかく固い。

 

最初は何かの食材かと思って食べ方をネットで検索したのだが、基本的にこのまま食べるものらしい。

 

あまりおいしい、という話は出てこず、「壁の味がした」と書いてあるサイトもあって、私は壁を食べたことはないんだが、感覚的に一番近いような気がする。

 

油で揚げてから糖蜜を絡める、食べ方も紹介されていたが、揚げたところで硬さは変わらないらしく、歯を痛めた、なんてことも書いてある。

 

義母さんが制作しているとか、いただき物だったらまだ仕方ないのだが、わざわざスーパーで購入して送ってくれるので申し訳ないというかもったいないというか。

 

これまで何回かダンナ経由で「干し餅はいらないし食べない」と言ってもどうしても送りたいらしいので、ダンナが「もう放っておけ」と匙を投げてしまった。

 

ダンナによれば子供の頃も食べたことがない、らしく、地元でも人気のお菓子というわけではなさそうだ。

 

まあ、子供から何か貰ってもらいっぱなしというのは居心地が悪いんだろう。そういう意味では自立した婆さんである。

 

別にお返しを貰おうと思ってお菓子とか送っているわけじゃないので、いろいろ送ってくれなくてもいいんだが、そのあたりは親の矜持なんだろうか。

 

私の実母の方も貰いっぱなし、ということはないのだが、くれるものはある程度固定されてきているし、こちらが何か送ったからと言ってすぐに送り返してくることはない。

 

どうしようもないので、受け取り続けるしかないのだが、届いた、という報告は全部ダンナがしている。