本当は、前回のブログ1回でまとめるつもりだったんだが、病院での待ち時間についてだらだらと書いていたら、そっちが本題になってしまった。

 

内科主治医の「近視だから眼内レンズを入れようと思う」という発言に、ちょっと違和感と言うか座りの悪さを覚えた理由についてつらつらと考えてみる。

 

私も白内障の手術はしたわけで、眼内にレンズを入れるという手技だけ考えれば似たような手術である。


なのに、近視矯正目的での眼内レンズ手術には何となく抵抗があるわけである。

 

なぜかと考えれば、白内障治療には手術以外の代替がない。また、白内障は放っておけば確実に視力を下げ、見えなくなる。


白内障の手術は普通の生活を維持するために必要不可欠である。

 

一方で近視はどうか、と言うと、割合とありふれた障害である。

 

眼鏡屋さんは多いし、眼鏡をかけている人も多い。

 

眼鏡をかけていなくてもコンタクトで矯正している人もいることを考えれば、日本人の成人の半数以上が眼鏡等の使用者なのではないか。

 

内科の主治医は「今後コンタクトに費やす費用対効果を考えたら眼内レンズにするのも悪くない」と言っていたが、目の手術をするまでのメリットがあるんだろうか、とつい思ってしまう次第。

 

以前読んだ、千葉敦子さんと箙田鶴子(えびら たづこ)産の往復書籍があるんだが、千葉敦子さんは乳がんで乳房を切除した後、再建手術をなさった方。箙さんは脳性麻痺で体がかなり不自由な作家兼画家の方。

 

このお二方の往復書籍は、なんていうか、お互い言いにくいことをズバズバ書いて読者がどちらにも共感できない境地に置いて行かれるという不思議な読後感の本なんだが、その中で、箙さんが「乳房の再建」にちょっとしつこく絡むところがある。

 

今でこそ、乳がん手術と同時に再建のためのエキスパンダーを入れることが選択肢に入るくらい、再建は知られているが、千葉さんが乳がんなった当時は、「命がかかっているからまずは取ってしまおう。」手術して再発しなければ「よかったねぇ」で終了、みたいな感じで再建に関してはそこまで浸透していなかった(らしい)。

 

千葉さんは持ち前のジャーナリスト魂もあるし、失ったものを再建するのは当たり前の感情、という考えもあって再建を考えていたわけだが、箙さんからすると、乳が一つなくても見た目の問題だけで生活に不自由はないのに、どうして再建にこだわるのか、が理解しがたかった。

 

どうにもすれ違う意見交換だったのだが、千葉さんの「片方の乳がないと、バランスが取れない」という言葉で箙さんは納得。

 

こうなってくると価値観の相違と言うか、不自由な手足で気の遠くなるような時間をかけて繊細な日本画を書く箙さんが乳一つでも元通りにしたいという千葉さんに感じる違和感をそのままぶつけるある意味気骨のようなものを感じてしまう。

 

まあ、私の場合は、「目の手術なんて怖いからよっぽどじゃないとするもんじゃない」っていうのが根底にあるわけだが。

 

だって、失敗したら失うものが大きすぎないか。

 

片目ずつ手術したので右目が先だったんだが、手術の翌日、眼帯を取って、はっきりとは言わないまでもちゃんと見えることが分かったときは、「もし左目が失敗しても片目の視力は確保できた」と思ったもんね。

 

もちろん、白内障の手術で失明する人なんてほとんどいないわけで、かなり安全な手術ではあるのだが。

 

ロシア語の同時通訳家で後にエッセイスト、小説家に転身した米原万里さんは若い頃ロシア語を生かしてツアーコンダクター的な仕事もしていたが、その中に「ロシアでレーシック手術を受けたい人のためのツアーの通訳」の仕事もしたらしい。

 

私からするとまだ評価が定まっていないレーシック、しかもロシアでの手術なんて恐ろしいこと考える人もいるもんだと思うのだが、やはりロシアについてから恐れおののいて手術をしたくないと言い出す方も結構いたようだ。

 

目に直接切り込み入れたら近視が矯正できるなんて発想自体がぶっ飛んでいる。

 

これに比べたら、国内で眼内レンズで近視矯正なんてなんてことないのか。

 

でも内科の先生、

「目の手術は手術中も見えるってのがなんか怖いんだよね」

って最後に言ってた。

 

そう。血圧上がっちゃうくらい怖いのよ。