20日は春分の日。

 その前に、日南の墓に、母を連れ行ってきた。

少し雨が降っていたので母は実家に帰り、

私一人で墓の掃除と線香や焼酎、菊の花を上げて

実家に戻る。近所の母の友人が見えていて、病気のことや

宮崎のことなど話は尽きず、田舎の近所の絆は強いものがある。

みんな心配してくださる。我が家が集会所のようになっていて、

毎日誰かがみえていた。宮崎にしばらくいるので

みんなが集まるところがなく、寂しいとのこと。

また元気になったら、日南に帰り、宮崎と行ったり来たりの

生活ができるだろうか、一人でいるのは難しいだろう。

もう89歳だからなあ!、認知症はなく頭はしっかりしているのだが

心臓が少し弱ってきた。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・下矢印小松山・・・・・・・・・・・・・・下矢印黒山 

 

 

 日南では有名な小松山(こまつやま)、飫肥小学校の校歌にも出てくる。

小さいころ我が家からいつも見上げていた。