おはようございます、こりんです。
仕事をしていると、絶えず新しい知識や概念に出会えます。
ただしそれをひとつひとつ正確に把握し、位置付けていくことは、結構大変です。
まず、予備知識の無さがあります。
他の人より狭い視野で生きているため、予備知識が少なく聞く内容自体の予測がしにくい(妥当性の判断がしにくい)ことが挙げられます。
それから仕事上のほとんどの知識は(ほとんどの人にとっては簡単な)音声言語で為されますが、私は「135、メモでの補填」でも述べているように、聞くことが少し苦手です。
また正確な記憶も苦手なので、何度も見返せるメールやメモの方が有り難いです。
それから注意力が散漫なため周りの状況に気付かないことに加え、一度正しいと思うとそれをもとにすぐ行動を起こしてしまうことがあり、普段から得ている情報をブラッシュアップする機会に恵まれることが少ないことが挙げられます。
あとは情報を新しく取得するのと整理することが同時にできないため、メモをとったりノートを取ったりしながら、整理しないと、頭の中がかなり混乱します。
以前はまず知識自体が少なかったり、発言の内容がうまく聞き取れなかったり、いったん認識してしまうとその内容に固執してしまったりで、なかなかうまく行かなかったのですが、最近自分の失敗パターンの分析が少しずつできるようになってからは致命的な失敗を避けるようになりました。
なるべく知識を増やしたり、いろんな人に同じことを解説してもらったり、早めにいったん仮決定をして、誰かに確認してから発信したり。
それでも自分の脳内システム上多少の欠陥はあるので、ミスは出ます。
あえて多少の不遜を承知で言わせてもらうなら、最新の技術を持たないのに、超高層ビルが建ってるようなもんです。
ビルが高いから(学歴がいい)からといって完璧なわけではありません。使途(できる仕事)も限られますし、地盤(職場環境)が悪かったり地震(トラブル)が多かったりすれば、ビル自体の倒壊も有り得ます。
それでもビルの価値(私の人柄や共生的観点)に重きを置いてくださる人ならば、ビルを取り壊そう(私を職場から辞めさせよう)とは思わず、多少の欠陥を承知で、どうやったら利点を生かせるかということに視点を移してくださると信じたいのです。
もちろん、いろんな人が居ます。迷惑そうな人、腫れ物にさわるような人、努力中の人、うまく使ってくれようとしてくれる人、利害関係なく仲良くしてくれる人。
生産性にとらわれがちなとき、純粋にそれだけでは存在価値のない私を、救ってくれる存在があるから、こうして生きていられるのです。
以前の仕事は、自分しか把握できないこと(その場で生まれるもの)を即時に判断して、すぐさま対応しなければなりませんでした。しかも失敗したときにカバーしてもらうのは人(医師や看護士)で、命に関わることなので、気が付くのが遅いと手遅れになることもあります。
私は物事を単一的に処理すること(決まりに沿って動くだけ、間違いをみつけるなら見つけるだけ、理解するなら理解だけ、記憶するなら記憶するだけ)に関してはかなり処理速度も速く長けていますが、それらを同時にする能力に少し難があります。
とはいえ、全く何にも同時にできないのでは当然日常生活に支障をきたします。
なのでなるべく普段から自動化できるものは順番に無意識へ落とし込んでから処理しています。
例でいうと、車の運転はマルチタスクです。
①車の操作(アクセル、ブレーキ、ハンドル、ウインカー)
②自分の車の走る軌跡(道順)、
③他車、歩行者の動きや信号
を同時に処理できないと運転できません。しかも運転中は車が進んでしまうので、そのスピードに合わせて瞬時に判断していかねばなりません。
教習所内は道や他の車の動きをあまり気にすることがないので、ほとんど①だけで走れます。
一般道は一気に②③が加わるので、判断することが圧倒的に増えます。最初は一般道を20キロくらいの速度でしか走行(判断)できませんでした。大混乱です。
そこでどうしたかというと、③はどうしてもその場で判断しなきゃしょうがないことなので、①を徹底的に練習し、②を徹底的に予習することにしました。
これで運転時はほとんど③に集中できます。
そうして何とか免許を取った私ですが、今度は実際に駐車する段階で
④車両感覚が分からない
⑤バックが苦手
という壁にぶち当たっています。
よく人は「運転してたら慣れるよ」と言いますが、私にとっては④と⑤を同時にできるようになる可能性はほとんどないので、また別々に細かく練習しなければなりません。
田舎なら駐車場が広いので楽なのですが、いまはもう少し大きい市に住んでいるため、駐車ができないことは車が運転できないと同義なので、いまは自粛しています。
これは感覚的に分かってもらえないことが多く、結構大変てす。
次回も気分更新。
仕事をしていると、絶えず新しい知識や概念に出会えます。
ただしそれをひとつひとつ正確に把握し、位置付けていくことは、結構大変です。
まず、予備知識の無さがあります。
他の人より狭い視野で生きているため、予備知識が少なく聞く内容自体の予測がしにくい(妥当性の判断がしにくい)ことが挙げられます。
それから仕事上のほとんどの知識は(ほとんどの人にとっては簡単な)音声言語で為されますが、私は「135、メモでの補填」でも述べているように、聞くことが少し苦手です。
また正確な記憶も苦手なので、何度も見返せるメールやメモの方が有り難いです。
それから注意力が散漫なため周りの状況に気付かないことに加え、一度正しいと思うとそれをもとにすぐ行動を起こしてしまうことがあり、普段から得ている情報をブラッシュアップする機会に恵まれることが少ないことが挙げられます。
あとは情報を新しく取得するのと整理することが同時にできないため、メモをとったりノートを取ったりしながら、整理しないと、頭の中がかなり混乱します。
以前はまず知識自体が少なかったり、発言の内容がうまく聞き取れなかったり、いったん認識してしまうとその内容に固執してしまったりで、なかなかうまく行かなかったのですが、最近自分の失敗パターンの分析が少しずつできるようになってからは致命的な失敗を避けるようになりました。
なるべく知識を増やしたり、いろんな人に同じことを解説してもらったり、早めにいったん仮決定をして、誰かに確認してから発信したり。
それでも自分の脳内システム上多少の欠陥はあるので、ミスは出ます。
あえて多少の不遜を承知で言わせてもらうなら、最新の技術を持たないのに、超高層ビルが建ってるようなもんです。
ビルが高いから(学歴がいい)からといって完璧なわけではありません。使途(できる仕事)も限られますし、地盤(職場環境)が悪かったり地震(トラブル)が多かったりすれば、ビル自体の倒壊も有り得ます。
それでもビルの価値(私の人柄や共生的観点)に重きを置いてくださる人ならば、ビルを取り壊そう(私を職場から辞めさせよう)とは思わず、多少の欠陥を承知で、どうやったら利点を生かせるかということに視点を移してくださると信じたいのです。
もちろん、いろんな人が居ます。迷惑そうな人、腫れ物にさわるような人、努力中の人、うまく使ってくれようとしてくれる人、利害関係なく仲良くしてくれる人。
生産性にとらわれがちなとき、純粋にそれだけでは存在価値のない私を、救ってくれる存在があるから、こうして生きていられるのです。
以前の仕事は、自分しか把握できないこと(その場で生まれるもの)を即時に判断して、すぐさま対応しなければなりませんでした。しかも失敗したときにカバーしてもらうのは人(医師や看護士)で、命に関わることなので、気が付くのが遅いと手遅れになることもあります。
私は物事を単一的に処理すること(決まりに沿って動くだけ、間違いをみつけるなら見つけるだけ、理解するなら理解だけ、記憶するなら記憶するだけ)に関してはかなり処理速度も速く長けていますが、それらを同時にする能力に少し難があります。
とはいえ、全く何にも同時にできないのでは当然日常生活に支障をきたします。
なのでなるべく普段から自動化できるものは順番に無意識へ落とし込んでから処理しています。
例でいうと、車の運転はマルチタスクです。
①車の操作(アクセル、ブレーキ、ハンドル、ウインカー)
②自分の車の走る軌跡(道順)、
③他車、歩行者の動きや信号
を同時に処理できないと運転できません。しかも運転中は車が進んでしまうので、そのスピードに合わせて瞬時に判断していかねばなりません。
教習所内は道や他の車の動きをあまり気にすることがないので、ほとんど①だけで走れます。
一般道は一気に②③が加わるので、判断することが圧倒的に増えます。最初は一般道を20キロくらいの速度でしか走行(判断)できませんでした。大混乱です。
そこでどうしたかというと、③はどうしてもその場で判断しなきゃしょうがないことなので、①を徹底的に練習し、②を徹底的に予習することにしました。
これで運転時はほとんど③に集中できます。
そうして何とか免許を取った私ですが、今度は実際に駐車する段階で
④車両感覚が分からない
⑤バックが苦手
という壁にぶち当たっています。
よく人は「運転してたら慣れるよ」と言いますが、私にとっては④と⑤を同時にできるようになる可能性はほとんどないので、また別々に細かく練習しなければなりません。
田舎なら駐車場が広いので楽なのですが、いまはもう少し大きい市に住んでいるため、駐車ができないことは車が運転できないと同義なので、いまは自粛しています。
これは感覚的に分かってもらえないことが多く、結構大変てす。
次回も気分更新。