いかん!幽体離脱するのだ。
心に差し迫ったことを言われそうになったら、
なんとかその状況を俯瞰してやろうとヤッキになります。
なぜだか。
漫画のネームみたいな感じで、自分を俯瞰しているのだ。
単なる読みすぎという説も。
ここ最近は勉強に目覚めたと思ったらまた
振り返ってきてあてどもなく街をさまよってみたり。
自分に勉学って果たして向いているのかな?
自分探しの旅なんていう恐ろしい旅路には繰り出したくないものの、
私の戦記はこれからも章を重ねていきそうな気配が濃厚です。
最近もののけ姫、紅の豚などジブリ作品を久しぶりに見ました。なんといってよいのか。
もののけ姫、は感動できるというよりかは命の営みそのものをまざまざと見せ付けられている
印象を受けました。
(紅の豚はポルコ鬼シブ、ジーナ激マブ、フィオはいかように見てもナミ。
でもののけですが、こんなこというと21世紀われわれの命の営みが希薄なようですが、
現に私たちは生んだり死んだり一命を取り留めたり、
無辜の命を本屋で奪ったり奪われたりと、なにかを営んではいるようです。
昔、17歳が騒がれていたけどいまは30代が病む時代なのですか。
家族に大きな期待を寄せるからそういうことになるのだ。
自分が家族にとって波紋を呼ぶ存在になりたいと思うのはなぜなの。
もし家族を本当に嫌悪していて、縁を切り新たな個人として生活したいなら
家族を困らせたいなんて思うはずない。
何かを期待していたのかな。頭の中で、自分を哀れむ父母の図を描く。
自分の葬式をシュミレーションして悦に入る感じと似てるよね。
ってか、殺されても殺しても卒業文集が流出してしまうことが本当に怖い。
誰が流出させるの?
なんのためなの?
もし、なにかの弾みでそういうことになったら、私の声とはまったく異なるアナウンサーの声で、
「私の小学校でのいちばんの想い出は、六年生のときの組体操です」
とか、戯れに書いた
「スチュワーデスになりたいな ○○子」
みたいなの読まれるのね。
特に犯罪者の文集の場合、幼きころから異常性が認められるということを
主張するために持ってきたりだとか、
掲載されている文章がまともだった場合は家庭環境もしくはその他人間関係なんかに
犯罪者に変質したことの責任がアルデンテ!!みたいな口ぶり。
文集に書いてあることなんてどれだけの意味があるのか知らん。
