長くなりましたが、つづき、、
毒親育ち自覚事件が起きたのは帰省3日目。
息子が英語の宿題をしたくないと
ダラダラしてた時だった。
私の母が全力で、全力で、
私の息子に英語を教え 始めた。
息子は泣いてた、、、
それに私の姉も加担し
息子は泣いてた、、
それを私が止めたら
姉は私の頭を、叩いてきた。
「出来ひんままやったらかわいそうやろ!」
と怒鳴って。
怒鳴り声と教える大声の渦になった
その中に背中を丸めて泣く息子がいた。
私の身長超えてる息子が小さく泣いてた。
あれだけ
彼は書字障害あって困ってるんだ
って5年近く言ってたのに、、、
母はずっと私に対して
「勉強の教え方が悪い」
「楽な子育てしてんなぁ」
「頑張りが足りないんじゃない?」
「勉強教えながら絶対怒ったらあかん」
と言っていた。
そして自分が勉強見たら、そのあり様。
息子がかわいそうで仕方なかった。
その後、タイミングをみて
「お風呂入り!」って 息子を風呂に行かせた。
その夜、母に書字障害の事をもう一度説明した。
そしたら納得したようだったが
家に戻ってからは
「心配です」「元気ですか」
「手書きについてテレビでやってる」 など
ラインがたくさん届くようになった。
親だって、何が正解かは分からない。
私のように、出来ないことを出来ない
と受け取りすぎるのも正解ではないだろう。
でも一つ分かる事は ある。
怒鳴り声のする家は嫌だ ということ。
兄が統合失調症似なる前、なった後、
私は高校〜大学だった。
毎晩のように響く怒鳴り声
物の壊れる音。
それは生きるだけで精一杯だった。
過食症になりトイレで吐いていた。
親はそれに気づいていた
「あんた吐いてるん?」と言われて
それだけだった。
なんのフォローもなかった。
大学まで片道1時間半だった。
一人暮らししたかったが
兄の面倒を一人で出来ない母は
それを許してくれなかった。
その代わり、
実家のすぐ近くに部屋は借りてくれた。
片道1時間半は何も変わってないが、
逃げる場所があるのは助かった。
お金だけはある家だった。
そんな記憶がフラッシュバックした年始でした。
何が正解かは分からないけれど
本人が伸びる方へ伸びれるだけ
育っていける、
そんな安心できる場所作りが
私の仕事だと思いました。
子どもが、植物なら
私は土。
枝の伸び方に困ってたら、
たまに添え木も付けるくらいの距離感
ふかふかのあったかい土を目指して
母親やっていこうと思いました。