次女のバイト先では、次女と同世代の日本人が数人働いている。
ほとんど英語で会話する次女だが、彼らとは日本語で話す時もある、らしい。
先日、次女が日本語で話していたら、彼女の同僚に
お母さんの話し方が丁寧なの?と聞かれたと言う。
次女は、全然〜‼️と、全力で否定はしなかったものの(笑)、いたって普通だと言っておいた、と。
次女は海外で生まれ育った割には、あまり外国ナマリの無い日本語を話すと思う。
むしろ、関西弁が大好きな次女は時々、関西弁もどき、いや次女オリジナル関西弁が入る。
やっぱり娘達には、英語の通じない私の両親とコミュニケーションが取れるように、日本語を話して欲しいという気持ちがあったし、汚い言葉は極力使わないようにしようと気をつけてはいた。
娘達は、日本のイマドキの若者の言葉に触れることなく育ってきたので、彼女達の日本語は家で聞く私の日本語が染み付いてしまったのだと思う。
日本語以外だと、どうしても娘達の世界は友達中心で、若者の言葉使いにどっぷり浸かるため、イマドキの若者言葉になる。
家(私の前)では、娘達がこちらの悪い言葉を使わないように気をつけたり、うっかり友達との会話でそれが飛び出した時は、急いで、あーー違う違う!間違えた!なんて弁明していた。
普段、外では使っているのはもちろんお見通しだったけど。
次女の丁寧な日本語は、私よりもずっと美しい。
日本語検定の試験を受けたり、自分でもよく勉強しているから、今となっては、次女の日本語は私から引き継いだものばかりではない。
たまに間違った使い方をするのもキュートだし
(「焼きたて」を「たて焼き」とか)
聞いていて癒される。
ただ、本人はいたって真面目。
ちょっと前に「舞妓さんちのまかないさん」というドラマを見た時に、なんて綺麗な日本語なんだろうと、すっかり京都弁が好きになった。
松坂慶子さんの品の良さも見ていて心地良く、ドラマも面白かった。
私自身の日本語は、滑らかに柔らかく出てこないのが正直なところ。
会話が苦手なのもあるだろうか。
外国暮らしが長くなると、こちらの言葉も日本語も中途半端な感じで、ぎこちないなと思うこともある。
何を言いたかったかというと、
美しい日本語って、
耳にとても心地良いということと、
次女の日本語が丁寧だ、と、
同僚の方が感じてくれたことが大変嬉しゅうございました、ということでございます。