7月18日 土曜日

父が介護付きのアパートへ引っ越した。


9時の荷物の積み込みに合わせて次兄が実家へ行くと、父は何も準備をしておらず困ったとLINEが来た。



予定の時間より早くテキパキと動き準備をする父に、まだ時間あるんだからゆっくりやってと促していた頃の以前の父を頼もしく懐かしく思う。


いつも小綺麗にしていたのに着るものにも無頓着、汚れていてもそのまま。父の変化を感じたのは今年の1月に帰った時だった。


2025年の11月に帰省した時は、どこへ行くにもジャケットを着てまだパリッとしていたのに、わずか2ヶ月足らずでの急激な衰えに驚き、悲しくなったのだった。


あの時は母の容態が思わしくなくなり、父に精神的に大きなショックを与えてしまったのかもしれない。



父は多くは語らないし、言葉がうまく出ないようになってからはさらにコミュニケーションが難しくなっている。


自分から施設へ移ると決めたとはいえ、どんな気持ちでガランとした家で一人、生活していたのだろうか。





昭和52年(1977年) 7月 ある土曜日

私は小学二年生でその日はプール開きの日だった。


私たちは新築の家へ引っ越した。


私の小学校から歩いて15分ほどの場所に新しい我が家は建っていた。


あの当時、土曜日はまだ午前授業があり、母からまっすぐ新しい家へ帰るように言われていた。


プールに入りたかった私は恨めしそうにプールから聞こえる楽しそうな声を聞きながら学校を後にした。プール開きの日は子供達にとっても特別嬉しい日だったから。




あれから49年。


父の転勤で他人に貸した数年はあったものの、長いこと私たち家族を守ってくれた唯一無二の我が家。

たくさんの思い出が詰まっている。



家は豪邸でもないのに、母の広い玄関が欲しいという希望通りに家に入るとちょっとした上がり場があり、私たちはホールと呼んでいた。


裏庭でバーベキューをしたり、父の植えた野菜を夏には収穫したり。ある時はとうもろこしもあった。


娘達が子供の頃は裸で家の中を駆け回ったり、おじいちゃんの座る椅子が好きだったり。次女が初めて歩いたのは実家に帰省していた時だった。(夫氏は不在)



こうやって書いていると、今でもその場面場面がはっきり脳裏に蘇ってくる。





父の引越し前夜、電話で父に

頑張って家を建ててくれてありがとうと伝えた。



父もまた自分が建てた家で過ごした日々を思い出していただろうか…



ありがとう、我が実家。