私は昨日、そして今日の朝に、

ようやく、唐突ではあったけれども、

タイトルにもあるが、

 

「現実逃避という言葉がまさに私がこれまで送って来た人生か」

 

ととても痛感した。

 

何故友達ができないのだろうかととても悩んだ。

友達がまず理解できなかったからだ。

友達という人間関係が、全然理解できなかったからだ。

 

物心がついたという年は分からない。

 

気が付いたら私はいろいろなものを失っていたからだ。

 

 

例えば、小学校。

5年生の時、当時仲良く遊んでいた子がいて、

その子とは部活で知り合い、意気投合したから仲良くなり、

部活でも一緒だったので、

ただその時、練習中に、目の前でフィールドホッケーのスティックが、

 

その後は右頬の激痛で、あまり事態は分からないが、

私はその後、1か月程、右頬にとでかでかと湿布を貼ってでの小学校生活を過ごした。

今でも触れば分かるが、

私の右頬の中の筋肉だかよく分からないが、

上と下の間に断裂痕のようなものが目には見えないが残っていて、

原因はその子が何気なく目の前でスティックを振り上げた時に、

後ろにいた私の右頬をそのスティックが直撃して打撲、

その結果が今もまだ触れば分かる。

 

それと右足の膝から下、中間部分にくぼみがあり、

それも同じような理由でできた、

部活でよくあるあるなこと、

フィールドホッケーはスティックでボールを撃つ、

その前にも戦術を思考し、チームワークを発揮して、

みんなで勝利を、という前に、結構危険なスポーツとしては有名だろうか。

スティックは木でできているし、硬さもすごい。

ボールも持てば重く、それを力の限り撃つとなれば、

もはやそれは暴力行為の中でのスポーツではなかろうか。

 

顧問の先生がいないという時のことで私も後々から知ったのだが、

私がかなり後ろに吹っ飛ばされて意識消失したとか、

その後1か月はばりばりに腫れあがった右頬は何なのと誰もが思う程だったそうだが、

私はその子と中学が別々にとなっても遊んでいた。

 

その子とは中学生のある日以来、逢うことはない。

 

誰かに聞いたけれど、その子は小学生時代ずっと同じクラスにといた女子と、

同じ中学、同じ高校、同じ短大にと進み、

短大時代は住むアパートというのも隣の部屋同士で、

それ以降は知らないが、

私はその彼女の仲良しの女子のことを見たことがある。

私は2人でとその子とよく遊んでいたのは週末で、

そこで知ったのが、ドラゴンクエスト5だ。

その当時、スーパーファミコンが出たという時代で、

私はその子の隣でとすごいなと思って見ていた。

その子はおもむろに私に「やってみる?」とコントローラーを渡してきたので、

とても嬉しかったが、

「このお城の周りで戦ってレベル上げておいて」

とだけ言われて、私は夢中でとレベル上げをした。

 

昔、私は4つ上にと兄がいたので、

その兄がドラクエ3をやっていたのを隣で見ていたので、

それとファイアーエムブレム、これはもっと前の話なので、

ファミリーコンピューター時代。

カセットを差し込むときに、ふーふーと息をというのは、

かなりのレトロさを感じさせる懐かしい表現になるだろうけれど、

幼いながらに、勇者たちが4人でレベルを上げ、それがやがて世界に平和をもたらす光となり、

ロトの紋章の偉大さを思い知り、

オルテガの死を無駄にはしないとか、

宿敵バラモス撃破、

その後は、いろいろ改良を加えられたが、

ドラクエ3はとても素晴らしいゲームだとわくわくして見ていた。

ファイアーエムブレムも同じで、

マルスが仲間たちと力を合わせながら、

それぞれの特性、シーダならペガサスナイトなので移動力ではすごい、

ただ弓には弱い欠点がある、

カインとアベルはパラディンになると強い仲間になるけれど、

そもそもマルスがあんな小さな島にといたことで、

シーダがいきなり自分の城が敵にと告げたことで、

致し方なくと敵を倒さねばと立ち上がったのが始まりで、

でもその時裏でいろいろな策略が動いていて、

まさか世界を滅ぼすラスボスとまでマルスが死闘を繰り広げなければいけないのかとか、

それに至るまでどれだけ人生を苦難として悲しんでいた方たちがいたか、

それでも家のためにと、

そして何よりも大切な相手のためを思えばと身を引きながらも、

何とかその人を陰ながら支えられるように頑張っても、

やはり上からの指示に従わなければ、家のためにと動かなければと、

そういう方たちの犠牲の上でマルスが世界征服をもくろむ敵と戦い、

平和な世界にするという一助となるゲームとして、

素晴らしいと見ていた。

 

そういう経緯があったので、私はとことんレベル上げをするという日々を、

週末限定だが、かなり熱心にと過ごした。

ドラクエ5は馬車があるので、これはドラクエ4から出た新たな設定なので、

仲間がいつも共にいてくれる、

この城周辺の敵ではこれ以上レベル上げは不可能だと考え、

私は勇者の父という主人公と、やがて戦力筆頭だけれどやはり2番手という息子の勇者、

そして主人公はモンスターを仲間にできるという能力に長けている、

スライムナイトを1人、そしてもう1人は主人公が幼き日に今の妻と助けた小さかった猛獣、

その4人でと戦いに明け暮れ、

とうとう私は単独でとドラクエ5を終わらせてしまった。

気が付くとそういう週末、平日は学校という生活で、

次はどこで戦えばレベルは上がるのだろうかとその子に聞きにいけば、

その子は次はあっちだこっちだと指示をくれる、

ただ、その子はその時隣のその女子とアニメを見ていて、

面倒そうな表情でと私を見ていたなあと、今さらながらに思う。

中学時代のある日、私はその2人と共に『創作活動』というものをしており、

そこで私は『二次創作』という世界もあるのかと感動したけれど、

ペンネームを自分につけられるとか、それを自分で考えられるというのも斬新で、

ちょうどその頃読んでいた本の影響もあって、

この名前にする、と意気揚々と目の前の2人に伝えようと思ったけれど、

もうその2人はいなかった。

 

その2人と遊び始めたのは小学校6年の時で、

自転車でそこら辺を散策するというだけだったけれど、

この道の先にはこんな場所が、と新たな発見の毎日で嬉しかったけれど、

ある日、私の乗っていた自転車がたまたま車とぶつかり、

今で言うならばあれは当て逃げというものになるけれど、

私の自転車は大破、形は一応あるけれども押して帰らなければという状態になり、

2人の自転車は普通なので、

「先に帰っていて」と私は2人を先にその子の家まで帰らせ、

とぼとぼとかなりの長い距離を私は孤独にと自転車を押しながら歩き、

(この時実はすごいことがあった)

その子の家にとたどり着けば2人は不在、

その子のお母さんにと聞いてみると、

「あれ?今日は2人だけで遊ぶと聞いていたんだけれど?」

とおかしいと言われたことがあった。

 

私はよくその子のお母さんと話すという時間が多かった。

その子のお父さんは有名な神社の神主さんで、

お母さんは巫女さんだったということもあり、

すごいなあと話していたのだが、

ある日、私はそのお母さんにと名前を聞かれたことがある。

結構その子の家に入り浸ってはいたけれども、という時代なので、

おかしいなとは思ってはいたけれども、

 

そしてペンネーム披露となって目の前に2人がいない、

聞けば先程出て行ったということで、

私はそのまま家に帰り、

その後にと週末だろう、

「どうしていきなりいなくなったのか」と言及した時に、

「遊ぶ約束をその日に私はしていなかった」と返答され、

私は謝り、電話を切った。

 

今になって分かる。

その子は私の右頬に故意にとスティックを振り上げ、

意識消失となったほどの相手に一切謝罪する言葉もなく、

その後仲良く遊んでいたという意識は常に私だけが持つもので、

その子にとってはレベル上げをさせておくだけの道具のようなもの、

その子にとって楽しく遊べる仲良しの友達は他にいて、

その友達とは一番好きな深夜アニメを見ながら楽しく話す、

そこに母親もいる、

遊ぼうと言って来たのはそっちであるのに、

遊ぶ約束などしたことはないと断言されれば、

そんなものかと、私は考えた。

 

理解ができない。

 

私は中学できつい思いをしていた頃なので、

そっちの方がつらかったので、

すぐにとばっさりと切り落とせた関係だけれども、

ただ、笑えて仕方がなかった。

 

「あーあ、どうにかならんかなあ、この4時間目までもたんという腹の音は!!!」

 

たまたま、左の席に男子がいたからこその恥であるが、

思春期独特の恥、

腹が鳴ることは孤独であれば「ああ空腹か」という合図にはなるけれど、

異性、しかもその男子は学年1位という成績の持ち主で、

話したことはないけれど、

他人に腹の音を聞かれるという恥にきっつい、恥過ぎる、

と悩みに悩み、

私は名案を思い付いた。

 

そして私の『絶対指定席』が生まれた。

教室最後尾、今考えたら笑えるけれどまさに広い世界から独立した孤島、

右も左も後ろもいないという席に座り、

ただ近眼だったので、黒板が見えないというのも問題だけれど、

恥よりはましだと思っていた中学時代だ。