逃げるように韓国に向かった
2010年7月 42歳
俺は人生の再起に向けて
ボストンバッグ1つ持って
韓国へ移住するために渡った。
それは自分にとって、
おおきなターニングポイントになった。
逃げるような思いで渡韓したのかも知れない。
30代で誰もが経験しないような事を経験し、仕事の事、家族の事、心身ともに衰弱していた。34歳くらいの時に、とあるきっかけで韓国に関心を持つようになり、がむしゃらに韓国語を覚えた。
そうした経歴もあり、知人の紹介で韓国事業に携わるようになり、韓国に駐在できるチャンスを得たという流れだ。
アパートを借りた
当時、ソウルに親しい知人が数人いて、彼らを頼りにアパートを借りる事にした。
梨泰院のすぐとなりにある町、普光洞(ポグァンドン)というディープな町だった。
日本語なんて全く通じない。コテコテのソウルの下町。
保証金は500万ウォン(当時約50万円)
毎月の家賃は50万ウォン(当時約5万円)
ただ友達はやさしかった。
初めてのソウル暮らしに、ネイティブのいろんな文化を教えてくれた。
クジョン(旧正月)になると、友人家族のもとに呼んでくれて、食事をご馳走してくれたり、ポッサムの出前とったり、センイルパン(誕生会)してくれたり、日本人としての自分が少しずつ、現地化していくのを感じずにはいられなかった。
ビザが無いと韓国では暮らせない
観光ビザで滞留できる期間は3か月。
ただ事業をするとなると、ビザ及び現地法人が必要と言う事になり、今回のバックアップスポンサーに相談をし、法人を設立する事にした。
ビザの種類は『外国人投資企業のD-8ビザ』
法人登記から国税庁への申請まで、全部自分でやった。
今考えたらとてつもない行動力だった。
韓国語も完璧でないのに、登記所(法務局)に行って、定款と申請書を提出し、郵便局に行ったり、印紙を買ったり。
それでも『法人登記簿謄本』『法人印鑑証明書』『事業者登録証』
自分一人でやった。それは今の自分の自信にもつながっていると思う。
まずは通訳から始めた
投資して頂いた会社があったので、そちらの会社の通訳、その他業務が主要業務だったが、他の会社やアメブロで知り立った個人のクライアントさんの通訳業務やアテンドも少しずつ増やした。
東大門市場でのアパレル仕入れのアテンドもやった。子供服もやった。厨房機器も。そうしていくうちに日本全国のお客様と知り合うようになり、少しずつ知名度も上がるようになってきた。
韓国の「現地法人登記申請代行」を仕事に加えた理由
現在『韓国現地法人』の設立代行をしてきたのも、全て自分で登記をやった経験があるからだ。
韓国で事業を行う際には、必ず現地法人及び個人事業者申請が必要になる。
※下記参照
そうした経験と実績(芸は身を助ける)のだと痛感する。