アンニョンハセヨ ソウルの達人です。
久しぶりに個人的な投稿です。
私の貿易業人生が始まったのは今思い返せば2010年7月とも言えるでしょう。
韓国在住、1日目の記念すべき日。
韓国語はだいたい話せていましたが、当時は、正直まだ貿易というものが良く分かっておらず、PackingListやInvoiceすら良く分かっていませんでした。まだYoutubeも始まったころで使い方も良く分かっていませんでした。
今、見返すとスマホの画像も粗いですね。声も若い(笑)
42歳の夏でした。
好んで日本語が通じない環境を選び、一人で会社を設立するために、事業計画書も登記も全て1人で作成したのを覚えています。他国で本当に怖いもの知らずでした。
カカオトークもLINEもまだ無い時。まだ韓国もショートメールが主流の時でした。
あの頃は、今のようにネットで何でも調べられる時代でもありませんでした。
分からないことがあれば、韓国人の知人に聞いたり、直接、足を運んだり。
とにかく「やってみる」しかありませんでした。
当然、失敗もたくさんしました。
思ったように商品が売れなかったり、取引先との意思疎通がうまくいかなかったり、契約や書類のことで頭を抱えたり。
今なら簡単に分かるようなことでも、当時の自分にとっては一つひとつが大きな壁でした。
それでも、不思議と「日本に帰ろう」とは思いませんでした。
分からないなら調べる。
できないなら人に聞く。
それでも分からなければ、自分で試してみる。
そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ韓国での仕事のやり方が分かるようになっていきました。
そして、いつの間にか自分自身が韓国企業と日本企業の間に入って、商品の仕入れや販売、商談、通訳、交渉などをお手伝いするようになっていました。
最初は「韓国で貿易をやってみよう」と思って始めたことが、気がつけば日本と韓国をつなぐ仕事になっていたわけです。
あれから16年。
今では韓国との仕事もずいぶん長くなりました。
振り返ってみると、最初から明確なビジョンがあったわけではありません。
ただ、
「日本とは違う環境で、一度自分の力を試してみたい。」
その気持ちだけは、当時から強かったように思います。
42歳だったあの夏から、もう16年。
当時の写真を見ると、「若かったなぁ」と思う反面、
「よく一人で韓国まで来たな(笑)」
とも思います。
そして今思うのは、海外で仕事をする上で一番大切なのは、語学力でも資金でも人脈でもなく、
「まず一歩踏み出してみること」
なのかもしれません。
もちろん、海外ビジネスは簡単ではありません。
でも、やってみなければ分からないことがたくさんあります。
私自身、16年前に何も分からないところから始めたからこそ、今こうして日本と韓国の企業をつなぐ仕事を続けられているのだと思います。
久しぶりに昔の写真を見ながら、そんなことを思い出しました。
「なぜ、42歳で一人韓国に行ったのか?」
このあたりも、少し書いてみたいと思います。
それでは、また。





