ようつべカスタマイザ
さてさて、本日、ようやく本題の『笑う門には福来たる』です♪
まずは、我が家にナカジマさんが来てくれた時のことをお話したいと思います。

[母 in イタリア]
母が東京に来て、3ヶ月、すでに2人のヘルパーさんを母は追い出しておりました。(´д`lll)
忘れもしない、母の誕生日、ケーキを買って自宅に帰ると、引き継ぎノートが真っ白…
「あれ?〇〇さん、ノート書くの忘れてった(゜□゜)???」
「・・・もう来なくていいって言った」
ん?( ̄ー ̄)
プイッ(-゛-;)
うぉぉいぃっ
!プイッじゃなかろぉよ
こっち向きなさい、こっちをー。(;°皿°)なにしてくれとるんじゃえぇぇ!

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そんな流れで、次のヘルパーさんが決まるまでの間・・・ということで、臨時で、本来担当を持たないはずの
ナカジマさん
が我が家にやってきてくれました!ナカジマさん、母が、指一本しか使えないのに、一生懸命、パソコンのメールを覚えて
札幌やドイツの友人とやり取りしていることに、とても感心してくださって、
“支援してあげる人”という態度ではなく、人生の先輩として、母に接してくれました
。
[母 in トルコ]
母の短気は、自分が人一倍、作業が早かったもので、人の行動が遅いとイライラするようなのですが、
ナカジマさんは、徹底して「ご指示ください
!」の姿勢で、鬼軍曹・母に合わせてくださいました
。
[母 in ドイツ]
そして、とっくに勤務が終わっている時間でも、わたしの帰りを待っていてくださって、
3人でくだらないお話をして、大いに笑いました
。母の性格を痛感した福祉事務所は、なかなか代わりのヘルパーさんを決めあぐね、2週間が過ぎた頃、
ナカジマさん、「わたし、このまま続けてもいいですよ」と神の一言
!こうして、わたしたち、ナカジマさんと、他の数名のご担当のみなさんと、鉄壁の(?)スクラムを組むことができました。
これも、みなさんと、たくさん笑いを共有できたことが大きいと思っています
。
[母 in ドイツ]
わたし自身、海外を旅して痛感したことは、笑いは世界の共通言語ということでした

。現地の人と笑いを共にできたら、その瞬間、そこはホームになる。
これは、おそらく、母も何度も実感してきた感覚だろうと思います。
血へど吐くような辛さも、笑うと“別腹”ができて、まだまだ耐えられる自分になれた。
人の輪も、今日1日の頑張るエネルギーも、“笑い”が支えてくれて、
本当に、たくさんの『福』や『ご縁』を運んできてくれて、
この、短いようで長い歳月を過ごすことができました。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
腫瘍の広がりが どうにもならず、いよいよ母も医療介護が必要となり、入院してからというもの、
看護師さんにも本当に親身にしていただきましたが、瞬く間に、ベッドから起き上がれなくなり、
食べ物を飲み込む力がなくなり、脳の言語野に腫瘍が広がり、失語症という言葉を失う症状が出ました。
やがて、わたし以外の人間がわからなくなり、わたしのことも、時々、わからなくなり、
ただ、昔から、何度も繰り返した笑い話だけは、クツクツと声を立てて笑い、
耳元で「お母さん、ありがとう」というと、ポロッと涙をこぼして泣き笑いするのです。
☆
秋もすっかり深まった、ある朝、静かに息を引き取った母。
Drのご臨終の宣告があっても、まだ、体温は温かくて、お布団の中はぬくぬくで、
朝日が病室に入ってきた時も、小さくなった体は、まだ生きようと頑張っているかのように見えました。
「本当にお疲れさま。」思わず、つぶやいてしまうくらい、よく耐えた母だと思っています。
お坊さんに戒名をいただくとき、「徳」の一字を授けてもらいました。
「闘病生活は大きな苦行ですから、大きな徳を積まれました」と言ってもらえた時は、涙がこぼれました。
・・・ん~、そんな綺麗な絵面じゃなく、鼻水、だらだらだったかなぁ

三回忌に際して、振り返ってみると、右往左往しながらも、わたしたち親子、たくさん笑って生きました。
みじめな時も、地面を這いつくばるような時も、いつだって笑いに救われました!
笑い上戸の母・・・こんな命も、この地球にありました・・・

[母撮影・イタリア・ポンテベッキオ]
2日に渡り、長くてわかりにくい文章、お付き合いくださった皆様、
本当にありがとうございました!
苦しみや痛みをひとつも抱えていない人はいないと思います。
どうか、みなさまにも、苦しみ、痛みを和らげる、笑いと幸福が たくさん降り積もりますように・・・
