【妄想】絆創膏と彼女② | 恋心、お借りします

恋心、お借りします

(自称)水原千鶴を応援する会の会長。
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絆創膏と彼女②

 

大学四年の俺が書店でバイトを始めて早1か月余り。俺は無難に仕事をこなし、だいぶ仕事内容にも慣れてきた感がある。どのジャンルの書籍をどこに置くかとかも覚えてきたし、大概の仕事については店長やバイト仲間にいちいち聞くことはなくなった。

ネット情報によれば、書店でのバイトで一番大変なのは肉体労働らしい。売れ残りを片付けては新刊を出し、売れ残りを片付けては新刊を出し、を繰り返す。確かに、想像以上に体力を使う。

ただ実際に働いてみると、俺にとって肉体労働はさほど苦ではなかった。一般的な男子の体力さえあれば、特別な才能なんて要らないからだ。若干細身な俺でも人並みにはこなせる。だから周りから使えない奴と思われて、「俺マジダメじゃーん、カッコ悪っ」と落ち込んだりしなくて安心だ。

だがしかし、俺がバイトに採用されて以降、ずっと恐れて避けていた仕事があった。

―――POP作り。

お客の心をつかむキャッチコピーもデザインも全然浮かぶ気がしない。こちとら美術の成績はせいぜい中の下くらいだったし、国語も読解はそれなりにできるが作文ははっきり言って苦手だ。

最初から「俺、才能ないんでポップ書きはやりたくないです」とはっきり言えてしまっていたら良かったんだが。バイト面接のとき採用してもらいたいがために「ポップ書きとかも興味あります~」なんて言ってしまったのだ。

そして、バイトを始めて一か月。ついに店長から「クリくん、そろそろPOP書きやってみる~?うんっ、やってみようか」と命令を受けてしまったのが今朝のことだ。

俺はスタッフルームの中央に備えられたテーブル席で肩を丸め、目の前に置かれたカラーマーカーと対峙したまま座りつくしていた。

掴んだカラーマーカーをクルクルと指で回し、POP書きをしているフリをしているが、机に座ってから15分あまり、1ミリも書けていない。

やべー…。このまま何も書けなかったら、俺どうなるんだろ…。

 

『あれれ~おかしいね~。クリくん、POPづくり、全然進んでないじゃないか~』

『店長!?…その…実のところ…POP作ったことなくて』

『ふむふむ。なるほど』

『他の仕事はちゃんとやりますから!』

『クリくん。君、明日から来なくていいよ』

『え!?』

『だって、POP書けるっていうから採用したんだし。代わりは幾らでもいるし』

『そんな!!!!そこを何とか!』

『それに僕はウソつきが大嫌いなんだよね』

 

ぎゃあああああ!まさか、クビに!?

一応まだ試用期間だし、最悪不採用ってこともあり得る。いやいや、POP書けないからって、いきなりクビになったりはしねーよな。きっとそうだ、そうに決まってる。そうであってほしい。

遠出して道後温泉に行くこと決まったし、ちょっといい旅館を予約しちまったし。月野アイちゃんのライブだってしばらく続くんだぞ、先日もYouTubeで1万円の投げ銭しちまったぞ!ここでクビになって資金調達が滞ったすべてが終わりかねねー!

どうすりゃいいんだ?こういうのって、バイトの先輩が教えてくれるんじゃないの!?

俺はテーブルの上に積まれた売り出し中の小説たちを渋い顔で睨みつけたが、そんなことで本の山は減ってくれない。

他の仕事が忙しくてPOP書いている暇ありませんでした~。すいません、ちょっとめんどくさいお客につかまっちゃって~。なんて苦しいウソで誤魔化すか。でも、さすがにウソは俺の良心が咎める。

はぁ、と深いため息が落ちた。

「あの…それ…」

そう声をかけられて振り返ると、背中越しに立っていたのは山下さんだった。ジーンズにTシャツ、ショートカットの髪は崩れないようにヘアピンで留めている。いつものバイト姿だ。

「お疲れ様です、山下さん」

「お疲れ様です。それ…」

あー、くそっ。カッコ悪いところ見られてしまった。

「あ、コレ?POP。俺、こういうの書くの初めてで、全然分かんなくってさー。店長もなんで俺に?って感じ。はははっ」

恥ずかしい。俺は自虐しながら苦笑いを浮かべるしかなかった。

「そうですよね。POPって難しい…。それ、私も手伝います」

「あ、ありがとう!よかったー」

え?山下さんが手伝ってくれるの!?確か、山下さんって以前POP作成してたよな。救いの女神だわ!

山下さんは席に着くと、眉をキリっと釣り上げ真剣な目つきになって、本を一冊手に取った。表紙に描かれた、でっかいオオカミみたいな獣が印象的なその小説は、最近になってアニメ化が決まった人気ファンタジーシリーズだ。俺もタイトルくらいは知っている。

「それ、俺も知ってる。その生き物の名前、『ケダモノ』だったっけ?最近アニメ化したやつだよね。山下さんは、読んだことあるの?」

「はい。なので、まずはこの小説からPOPを書こうかと…」

山下さん、頼りになるぅ!!!良かった、これで俺のクビが飛ばずに済むかも。

山下さんは赤色のカラーマーカーを手に取り、パカっと音を立ててそのフタを外す。用紙にマーカーの先を向けると、早速、整った文字で左から右へと「オススメ」と書き進めた。

すごいっ。これはPOPの仕事は全部山下さんに任せたらイイんじゃね!?

学校のクラスには、こういうデザインのセンスがあったり絵がうまかったり、毎回作文コンクールに参加している文章バカだったり、そういう特技を持ってるやつが一人くらいはいるものだ。山下さんはなんとなくインドアなイメージがあるから、もしかしたらそういうタイプの人かもしれない。

「すごいっ。山下さんって、こういうの得意なんだっ」―――と言いかけて終盤―――え…?彼女の様子がおかしいことに気付いて言葉尻がしぼんでしまった。え?どうした?

山下さんは瞳をきょろきょろ動かしたまま故障中のロボットよろしく停止してしまっている。

それ、どんなリアクション?何考えてるのか全然掴めねー!

そもそも俺の声、聞こえてる?聞こえてなくない?

「山下さん、大丈夫?生きてる!?」

声をかけても、故障中のまま、周囲からの声など全く届いてる感じじゃない。

「山下さん!山下さん!?」

「はっ!?ご、めんなさい…」

山下さんはやっと俺の声に気付いたようで、停止していた呼吸を取り戻した。ぺこぺこと何度も頭を下げた後、困ったように眉を寄せて持っていたマーカーをテーブルの上に置いた。

「良かった…マジで息止まってたから、何事かと…」

「ごめんなさい…オススメする理由を書けば良いって分かっているんですけど、うまく言葉にできなくて、それで頭パンパンになっちゃって。小さい頃から、苦手だったんですよね、作文…。ごめんなさい…」

マジか…。どうやら俺と同類、というか俺より重症なのでは?

山下さんが申し訳なさそうに眉を寄せている。店長はどうして俺と山下さんなんかにPOP書きを任せたのだろう。完全にポンコツコンビじゃねーか。

ポップ書きは全く進まず、ただ時間だけが流れていった。スタッフルームの空気は重く、バイトの仕事が全く進まないという、どうしようもない危機感に包まれる。

流石にマズイ。何とかしねーと。

「…『オススメ』だけでも、目立つようにしてみる?」

「え?」

「だって、ほら。とりあえず目立っておけば、手に取る人もいるかもしれないし」

「そうですね、確かに」

せめて努力した証拠だけでも残しておこう。よくよく考えれば、そもそもPOP作りなんてセンスのある人間しかできない荷の重い仕事を入ったばかりのバイトに任せた店長にも非はあるはずだ。

やるだけやって、努力だけでも示しておこう。

俺はスマホを取り出し、YouTubeで「POP」で検索してみると、POPの書き方講座がいくつか出てきた。通信量が大きいのが気になるが、「POP作成のテクニックク~人目を引き付けるフォントアレンジ」というタイトルの動画をダウンロードして再生してみる。

「すっご!」

思わず声が漏れた。

その動画では、シンプルに書かれた『オススメ』文字をアレンジしていく様子が丁寧に紹介されていた。どうやら初心者でも簡単にできるフォントアレンジらしく、太文字にするだけのもの、ちょっとしたラインを加えるもの、縁取りをするもの、それらを組み合わせたものが、劇的ビフォーアフター風に紹介されている。

何ということでしょ~。フォントの飾り方次第で「オススメ」のインパクトが全然違う。それに動画の解説が丁寧で、頑張れば初心者の俺でもできそうな気がする。

「山下さん、これ見てよ。やってみない?」

それっぽいPOPができる保証はないけれど、何もせずにサボっていたなんて思われるよりはよっぽどいいだろう。

山下さんにスマホのスクリーンを見せてそう提案してみる。すると、彼女が身体を寄せてスクリーンを覗き込んだ。女の子の甘い香りが俺の鼻をくすぐる。

どんなシャンプー使ってんだろ…?垢ぬけた感じはないけど、山下さんって、やっぱ可愛いよな…。目が大きくてクリクリしてるし…

「はい。やってみましょう」

その声に俺の意識は再び動画の流れるスマホスクリーンへと戻ってきた。

何考えてんだ、俺…。今はPOPを何とかしなくちゃいけないだろ???そう自分自身にツッコミを入れる。

俺は、気持ちを入れ直し、「オススメ」の文字を飾ってみた。

動画の紹介にある通り、「オススメ」の文字を太文字にしていく。ただ太文字にするだけなら誰でも思いつくだろうけど、動画によれば文字通しがぎゅうぎゅうに押し合うくらい太くするらしい。隣同士が重なってもOK。普通じゃ考えられないくらい太くする。

これだけでは正直読みにくいのだが、ブラックのマーカーで縁取りを加えると途端に一文字一文字の輪郭がはっきり出る。太文字のインパクトが急に際立ってきた。

え?結構イイんじゃね?

さらにホワイトでハイライトを加えれば、エネルギーを注がれたかのように文字が生き生きとしてきた。

最後にオススメの文字の下に、グリーンのマーカーでアンダーラインを引く。

「これは、結構良いんじゃないかな…?」

確かにうちの店は割と個性豊かなPOP作成には力を入れているようで、それらと比べたらチープな感じがするが、それでも、努力の成果というか、多少は見せられるようなものになった気がする。

「良いんじゃないでしょうか…」

山下さんにそう言われて安心した。これでサボっていたなんて言われず、体裁だけでも示せるだろう。

「どう、二人とも?POP作れたかな~???」

店長!?安堵の息をついた途端、現れたのは店長だった。

店長はいつものように顎髭を摩り、様子を伺うように俺らに視線を向けた後、テーブルに置かれていたでっかくオススメと書かれたPOPを手に取った。

「どうですか…?」

俺は恐る恐る聞いてみる。

「うんっ!なかなかいいじゃないか!?さすがクリくんだね」

「そうですか!良かった」

案外何とかなるものだ。そう言うと店長はしわの寄った目をにっこりと細めた。

「あとは、お客さんを惹きつけるようなクールな一言を加えて、少し内容にも触れておこうか」

「え!?内容ですか…?」

「そう!売り上げは、POPが9割だよ!」

「…そうですねっ。頑張ります!」

オススメだけじゃダメなの!?魅力的なコピーとか全く浮かばないんだが!?あのー、店長、一応頑張ったんですけど、あんまり才能ないみたいなので、このままフロアに出しちゃだめっスか?イイっスよね…内心ではそう叫んでいたのだが、口からは反射的に『頑張ります』なんて言葉が出てきてしまった。へらへらと愛想笑いも出てきてしまう。

これはめんどくさいことになった。

「あ、そうだ。コレ、高梨くんに作ってもらったものなんだけどさぁ、参考にしてみる?」

店長が高梨が作ったというPOPの山をテーブルに置いた。

図体だけデカくて性格の悪い高梨のことだ。どうせ雑なものを作ってテキトーにバイトの時間を潰しているんだろ?参考なんかになるのかよ。と疑いながらテーブルの上に滑り降りたそれを手に取った。

はぁ!?ウソだろ!?

俺はにわかには信じられなかった。

ブラックを基調としたそれは決してポップさはないけれど、なんだかシャレている。自己啓発本のPOPなんだろうが、書籍タイトルの「BRAND」という文字に目が引き寄せられる。「皆、“あなた”というブランドを知りたがっている」なんてコピーも、思わず手に取りたくなりそうな言い回しだ。ってか、フォントのサイズを大きくしたり小さくしたり、どんなセンスで決めてんだ…!?悔しいくらい、それがハマッてる。確かに素人の俺たちが見よう見マネで作ったPOPとのクオリティーの差は圧倒的だった。

ぐぬぬぬっ!コレ高梨が書いたのか!?

すぐには信じられず、俺はテーブルの上に置かれたそれを何度も手に取って見直してしまう。

「それじゃ、二人とも、引き続きよろしくぅ」

俺が内心パニクってることなんてつゆ知らず、店長は期待の言葉を残してスタッフルームを出て行った。

まさか高梨にそんな才能があるなんて…。

 

『これ、書いたの誰?』

『俺だけど…』

『栗林さんっスか。フッ。ダッサ。こんなので、よく書店のバイトしてますね』

 

どわああああああああ!ゼッテー嫌だ!

確かに、このまま店のフロアに出してしまったら、あのムカつく高梨に「誰、アレ作ったの。ダッサ」って笑われるに決まってる。

POP何とかできそう~という雰囲気から一転、空気が凍った。なんで「ポップ書きとかも興味あります~」なんて見栄張っちまったんだろう…。やっぱり付け焼刃のフォント装飾術だけでは誤魔化せない。

「やっぱり『オススメ』だけじゃダメでしょうか…?」

山下さんも高梨が作成したPOPを見て不安そうにつぶやいた。

確かに、うちのお店では「オススメ」の一言で済ましているPOPを見たことはない。改めて俺らが作ったPOPを見直してみると、店頭に並べられてるイメージが湧かないというか、小学生の図画工作レベルのPOPに見えてきた。お客さんからは「あのPOPだけセンスなくない?買う気にはならないよね~」なんで馬鹿にされるんじゃないだろうか…。やっぱり、こんな中途半端なものは並べられない。

「うん…。そうかもね…」

やっぱりコレじゃダメか…。

俺の返答には深いため息が混じってしまっていた。

店長に見栄張ったのがばれて、本当に俺、クビになるかもな…はははっ…はぁ。

「あの…。Amazonのレビューとか参考にしてみたらどうでしょうか。アニメ化されるくらい売れている作品なので、何か参考になるかなと…」

「え?…そうだねっ。山下さん、ナイス!」

山下さんにそう提案され、俺は気を取り直した。

やるだけ、やってみるか。

俺はさっそくスマホの検索欄に作品名と“レビュー”というワードを打ち込んで検索してみた。人気作というだけあって口コミも多く、レビュー記事がたくさんヒットする。

イイ感じも文句が見つかればいい。100%パクるのはまずいが、それをヒントに少しアレンジしてみたら何とかなるかもしれない。

うーん。イイ感じにキャッチコピーに使えそうな記事はないかな…。

良さげな記事を探して、スマホスクリーンに引っ付けた俺の親指がひたすらタップとスクロールを繰り返す。

面白かった~。―――

…幼稚園児の感想かよ、

20XX年の〇〇大賞受賞。日本を代表するファンタジー作家となった××××による傑作ファンタジー。物語は主人公の〇〇が母親を失うところから始まる―――

…解説が長すぎて読む気失せる、

大好きな作品だったのでアニメ化してがっかりです。―――

…アニメへの不満を原作のレビューに書くなよ、

ダメだ。想像以上に使えそうな記事がない。

参考程度にはならない気もしないが、キャッチコピーにぴったりなマジカルフレーズが落ちていたり、何かピンと来て良いフレーズが思いついたり、なんてことはなかった。

ふぬぬぬ。俺は顔をしかめる。

「あの、これ、見つけたんですけど…?」

すると山下さんがスマホを俺に差し出し、スクリーンを見せる。

別の読者レビューサイトの記事だった。

『ケダモノ』を知りたい。不遇の獣たちとの触れ合いに命を燃やす少女の物語!―――

「へーっ。これは、いいかもね」

思わず声が出た。瞳を大きく開いてその記事を読み進めてみる。

その小気味よく語られる感想というか、小説の解説は、めちゃめちゃ分かりやすい。さらっと読めてしまった。

まず記事のタイトルが良いなと思った。主人公の研究熱心な性格や、物語の核となっている『ケダモノ』と呼ばれる巨大な獣、ざっくりとした物語のあらすじ、そして見どころまで、たった1フレーズの中に詰まっている感じがする。これは結構良いんじゃないだろうか。

「すごい。これ、パクれ…参考になりそうだね」

「はい。物語のテーマが良く伝わってきて、良いと思います」

流石にそのままパクるわけには行かないので、別の言い回しを考えてみる。うーん。

『“ケダモノ”を知りたくて~動物たちとの触れ合いファンタジー』

なんだか妙に緩いな…。どうぶつの森じゃねーんだ。もうちょっと、カッコイイ感じにするか。

『“ケダモノ”と共に生きることを選んだ少女と、その戦いの物語。是非お楽しみください』

ちょっと硬過ぎか????わからん…。

『天涯孤独な少女が~、“ケダモノ”たちと出会った~』

世界ふしぎ発見かよ?うーん。迷走してきた。

俺と山下さんでしばらくアイディアを出し合った結果。主人公の女の子のセリフを引用するのはどうだろうという話になり、結局『“ケダモノ”たちとも分かり合えるから!』というコピーで読者の目を引くことに決まった。

用紙にタイトルを書き込み、フォントアレンジで紹介されていた通りに飾っていく。さっき決めたキャッチコピーは大きめ、その他の細かな情報は小さめの文字で書く。さっきの動画の受け入りだが、メリハリが大事とのことだ。

作成したPOPを持った腕を伸ばして遠目から見てみると、それらしくなっていた。

「割といいんじゃないかな…」

「そうですね」

芸術センスと文章力に乏しいポンコツコンビにしては、結構頑張ったんじゃないだろうか。せめて、お客にダサいとか思われたりしないくらいの出来であってほしい。店長からすんなりOKがもらえたら良いんだが…。

そのとき、コツンコツンと誰かがスタッフルームの壁を叩くような音がして、俺はそちらを振り返った。

「ったく。山下、POPにそんな時間かけてんじゃねーよ。アホ」

「すいません。できるだけ早く終わらせます」

テーブルに座った俺らを見下ろすように、でかい図体をした高梨が立っていた。その眼は明らかに不満を孕んでいて、相当苛立っているようだった。俺はその鋭い眼光に圧倒されてきゅっと小さく身を縮ませてしまう。

「んだよ。まだ一冊分しか書けてねーのかよ。使えねーな」

高梨は俺と山下さんが30分ほど苦心して作ったPOPを拾い上げて睨みつけ、不満を顕わにそう吐き出した。

「すいません。終わり次第、すぐフロアの手伝いに行くんで」

別にサボってたわけじゃねーよ!素人なりに頑張ってたんじゃねーかよ!

内心そう苛立ちながらも、高梨に謝って俺がこの件を終わらせようとすると、奴は俺の方を一度睨みつけた。

「…栗林さんだっけ?こいつとつるんで良いことないっスよ。こいつ、マジでドジなんで」

「え?あははは…?」

俺は、その言葉に何も言うことはできず、どうリアクションして良いのかも分からず、愛想笑いを浮かべて受け流すしかなかった。

高梨から心無い文句をつけられ、隣の山下さんは項垂れてしまっていた。

その後、高梨は帰ってくれたが、山下さんは奴の言葉にひどく落ち込んでしまっているように見えた。

彼女が暗い顔をして肩を落とし、また、はぁと大きくため息を落す。

それを見ると、俺はいたたまれなくなる。

なんだよ、高梨の奴。お前のせいで山下さんめっちゃ落ち込んでるじゃん。ってか、もう少し言い方考えろよ。

「山下さん。でも、気にしなくていいよ。誰だって苦手なことくらいあるしさ。そう、そう、俺なんて前のバイト先でコーラのフタ開けたら溢れちゃって。なぜか炭酸開ける前にボトル振っちゃったんだよね…はははは。それで、スタッフ全員でフロアの大掃除して…」

過去バイトの恥ずかしい失敗を曝け出し、俺なりに精一杯励ましてみたのだが、

「いいえ。私、実際ドジなので。前も商品間違えて発注しちゃったことありましたし」

俺は何アホなこと言ってんだ…?励ましにも、ギャグにもなってねーじゃん。

とにかく、話題を変えよう。うん、別の話題だ、別の話題!

「でも、山下さんって、この小説のどういうところが好きなのかな?」

「え…?どうって…。えっと…」

山下さんは困ったように顔をゆがめ、その眼は宙を舞うようにぐるぐると動いて落ち着きを失ってしまった。

まずいっ。ミスった!

俺は咄嗟に思い付いたネタを振っただけだったのだが、完全にミス。

先ほどの再現。感想を求められた山下さんは再び戸惑ってしまったようで、故障中のロボットよろしく思考が停止してしまっている。

マジか!?自己表現が下手にも程がある!?

「ご、ごめん!この小説好きだって言ってたから。なんとなく聞いてみただけ」

「…ごごごごご、ごめんなさい」

「良いって!忘れて、忘れてっ」

「………んです」

「え?」

彼女は何かを言いかけたまま、口ごもった。

「え?ごめん、なんか言った?」

「…“ケダモノ”が可愛くて…モフモフ…したくなります。それに、料理の描写が美味しそうで、お腹がすきます…」

「ふふっ。はははっ」

「あーっ、ご、ごめんなさい…。私、感想とか言うのホント苦手で…」

俺は思わず吹き出して笑ってしまった。もちろん馬鹿にしてるんじゃない。その感想がすごく可愛らしくて、シンプルに面白かったんだ。

めっちゃ可愛いな、その感想!

「ううん!こっちこそ笑っちゃってごめん!全然、馬鹿にしてるとかないから。むしろ、山下さん、すげーよ。めっちゃ面白い!」

「…そう…ですか…?」

山下さんは褒められて恥ずかしかったのか、少し頬を赤らめて瞳をぱちくりと瞬かせる。

そうだっ。

俺は良いアイディアが沸き立って、腕をグイっと伸ばすと、新たにPOP用紙を一枚手に取った。

ハサミを使って用紙を円型に切り取る。そこに『“ケダモノ”が可愛くて、モフモフしたくなります!』と山下さんの感想を書き込んだ。

これを先ほど作ったPOPの端に貼り付ける。よしっ、吹き出しコメントの完成だ。

俺はPOPを掴んだ腕をグイっと伸ばし、改めて出来栄えを確認してみる。

なんだろう、めちゃくちゃイイ。かっこいい言い回しではないけれど、リアルな読者の感想って感じがして説得力がある。

「こういう感じにしてみたんだけど…どうかな…?嫌ならやめるけど」

「…ちょっと恥ずかしいですけど、はい、構いません」

「調子はどう?お二人とも?」

そのときニヤニヤと頬を緩ませながら店長がスタッフルームに入ってきた。俺らは「お疲れ様です」と挨拶して姿勢を正した。

なかなかいい感じにはできたと思ってはいるが、店長はどう思うんだろう。妙に緊張してしまう。

店長は、白髪の混じった顎髭に手を当てて、一度真剣な顔でうーん考え込んだ後、

「うんっ!なかなか良いよ~、クリくん!このコメントなんか、読者の目線で特にイイね!」

と言って、眉を上げて笑顔を作った。

良かった~。とりあえず、俺のクビがつながった。

「そのコメント、山下さんから頂いたものなんです!面白いなと思って!」

「ほう、なるほど、なるほど。山下さん、ナイスコメントだねー。お疲れ様」

店長は山下さんへ向き直り、彼女のことも褒めてくれた。

山下さんの神コメントで、完成ってことで間違いないだろう。想像以上の充実感に満たされていた。

店長が「引き続きよろしく~」と俺らを労って去った後、俺は改めてPOP書きをした小説を手に取った。

モフモフしたくなる、かぁ。

「この小説、俺も読んでみようかな」

「ぜひ」

彼女は遠慮がちに、そして少し恥ずかしそうにして頷いて見せた。

「でも、あと5冊あるし。ここからが大変だよなー」

そう山下さんにぼやきながら、俺は決して嫌な気分ではなかった。むしろ楽しい気さえしていた。

 

 

 

******

 

「はるかのバカ!なんでこういうときに限って繋がんないの!?」

大学近くの公園のベンチに腰をかけ、瑠夏ちゃんはスマホのLINEを立ち上げて、返事のない友達に文句を言っているようだった。

仲の良い友達と連絡が取れないらしい。きっとその友達に相談するつもりだったんだけどそれが叶わず、しかたなく俺に声をかけたということなんだろう。

ベンチに座り込んだ瑠夏ちゃんが落ち込んだように肩を丸め、また大きくため息をついた。

「はぁあ。もう栗林さんでいいです」

「俺でいいなら、話し聞くよ」

相当イヤなことがあったんだろう、瑠夏ちゃんはふくれっ面のままこちらを見上げた。

「うぐっ。うぐっ。うえーん!!!」

「瑠夏ちゃん!?」

瑠夏ちゃんはその瞳に大粒の涙が溜め、堰を切ったようにしゃくりあげて泣き始めた。

「うぐっ。うぐっ。うえーん!!!栗林さん、聞いてくださいよっ」

「うん、聞いてる!聞いてる!」

「うぐっ。なんていうか。私、ずっと好きな人がいたんです。一応付き合ってはいるんですけど、でも、その人には他に好きな人がいて…」

まさかの恋愛話!?俺は目を丸くした。

女の子の悩み事と言えば、『恋愛』ってイメージがあるけれど、まさか瑠夏ちゃんからそんな相談を受けるとは思ってもみなかった。ってか、俺がこれを聞いちゃっていいんだろうか。

「そ、そっか」

戸惑いの残ったまま、とりあえず俺は相槌を打つ。

瑠夏ちゃんは涙目のまま、「あーっもう!」と苛立ちの声を上げて、突如立ち上がった。

「ホント、ムカつく!」

身体を倒して足元に転がっている石を掴んだと思うと、ぶるんと肩を回して目の前に広がる池へとその石を投げ入れた。

降り注ぐ雨音に負けないくらいの大きな音を立て、ザバーンと水しぶきが上がる。

「ムカつく!ムカつく!ムカつく!」

石を拾い上げては苛立ちをぶつけるみたいに次々に池へと投げつける。

「うぐっ、うぐっ。何その言い訳!?付き合うつもりはないって言ってたじゃん!仕事だって言ってたじゃん!付き合えって言ったの、そっちじゃん!嘘つき!ホント、ムカつく!」

結局その男にフラれちゃったのだろうか。ってか、瑠夏ちゃんを振る男ってどんな奴なんだ…?超絶イケメンで、「可愛い女の子なんていつでも手に入りますー」なんてウルトラハイスペック高校生男子なんだろうか。

もしかして、これはチャンス?ここで優しくすればワンチャンあるんじゃ…?いやいや!見誤るな、栗林俊!そうやって調子に乗って失敗した過去を反省しろ!俺みたいな奴は、瑠夏ちゃんみたいな美少女とお話しできるだけでも、十分ありがたいことなんだよ。

目の前の池の水面から、何度も何度も、水しぶきが上がる。その大きな波紋は、雨粒のつくった波紋を呑み込んでいく。

涙目で池に石を投げ込む瑠夏ちゃんの事情は、全くと言って呑み込めなかったけれど、滅茶苦茶辛いことがあったんだろう。彼女が池に向かって苛立ちをぶつけるのを、俺は彼女の気の済むまで見守ることにした。

しばらくして瑠夏ちゃんは気が済んだのか、再びベンチに腰を掛けた。彼女の呼吸がまだ荒い。やっぱりまだ怒りが収まらないんだと思う、その口元は曲がったままで、眼にはまだ、はっきり涙が浮かんでいた。

やっぱり、瑠夏ちゃん、相当落ち込んでるんだな…。

「大丈夫…?」

そう聞くと彼女は、心を落ち着かせるように一度息をのみ込んでから、口を開いた。

「分かってたんです。私には魅力なんて全然なくて、その女の人は大人っぽくて凄く魅力的で、私にはないものをたくさん持ってて。彼がその人を好きになるのも、すごく納得できちゃうくらいで。それに、私はほとんど強引に彼女にしてもらったから、二人が本気で好き同士で付き合う気でいるなら何かを言える立場でもない。それも分かってるんです。でも、やっぱり、納得いかないんです。ごめんなさい、全然意味分んないですよね…?」

そう話す瑠夏ちゃんの声はいつもの明るさなんて全くなくて、感情が高ぶったせいか時々裏返っていた。

「うん、ごめん、事情がまだ呑み込めてないかも。でも、辛いのは良くわかる」

「あの、栗林さん。公園の入り口を出たところに、クレープのキッチンカーが見えるんですけど」

「…?」

突然そう言われて首を左に回すと、その先に確かにキッチンカーが止まっている。何かあるんだろうか?

「そうだね。音楽系のイベントが開かれるみたい。もしかして、お腹すいた?はははっ」

「はい。お腹すきました」

「へ?」

「クレープ、買ってきてもらえませんか」

「え?クレープ?」

空気を和ますために半ば冗談で言ったのだけれど、まさか本当にお腹が空いてたとは。

瑠夏ちゃんは、俺が即答しなかったことに腹を立てたのか、ぷくっと頬を膨らませる。

「むぅ!別にいいじゃないですか、クレープくらい!栗林さんのケチ!嫌なことがあると、女の子はお腹が空くんです。だけど、こんなびしょ濡れで買いに行ったら、変な目で見られるじゃないですか!?」

俺が変に思われるのはいいのかよ!?

そうは思ったけれど。まぁ、いいや。クレープで瑠夏ちゃんが元気になってくれるなら、白い目で見られるくらい耐えてやるよ。

「別にイヤってわけじゃないから。全然いいよ」

俺は瑠夏ちゃんにそう返すと、クレープを買いに立ち上がった。

「何がイイ?」

「ぐすんっ。チョコレート。バニラアイスのトッピングつけてください」

「おけっ!」

雨はほとんど小雨になり、見上げた空には雲の隙間から日が差し始めていた。今なら雨に打たれず走って買いに行けそうではある。

正午過ぎの公園を満たす、蒸し暑い嫌な空気を突っ切って、俺はキッチンカーへ向かって駆けだした。

Tシャツもズボンも濡れたままで、このまま飲食店の店内に入るのは無理だけど、キッチンカーならぎりぎり許されなくもない、と思いたい。

俺は件のキッチンカーまでたどり着くと、意を決して店員に話しかける。都合の良いことに、周りに人気はない。

ひとつ800円のクレープをふたつ注文し、そのうち一つは瑠夏ちゃんの要望通りアイスクリーム増しでお願いした。

お店の人は手元に目をやりクレープ生地を伸ばしているが、なんとなく視線を感じてしまう。ずぶ濡れで買いに来る客なんて、変な奴だと思われているのは間違いないだろう。だけど、ここまで来たら、お店の人と目を合わせないようにしてそれに耐えるしかない。

こっちはお金払ってんだ。気にするな。今周りにお客もいないし、迷惑にはなってないはずだ。大丈夫、大丈夫。

そう自分に言い聞かせて5分あまり、店員に呼ばれた。出来上がったクレープを両手に受け取り、瑠夏ちゃんのいるベンチまで持ち帰った。

「んー、おいしい~!癒される~!」

瑠夏ちゃんはクレープを受け取ると、それを口に運ぶ。

クレープ生地に包まれたクリームやアイスクリームをその小さな口でモグモグと咀嚼し、その度に「美味しい!」「んー最高!」など言ってはしゃいでいる。

かわっ…!

やっぱり瑠夏ちゃんって超絶可愛いわ。マジ天使だな、この子。もし仮にアイドルやってたら、この笑顔のためなら投げ銭1万くらいかけてしまいそうだよ、俺は。

声を高くしてクレープに口をつける瑠夏ちゃんは、少しかもしれないけれど、持ち前の元気を取り戻したみたいだった。

それにしても良かった。元気を取り戻してくれたんなら、ちょっとお店の人の視線に耐えるくらい、全然大したことねーな。

少しだけホッとして俺も自分のクレープを口に運ぶ。少しビターなチョコレートと生クリームの甘さがいい具合に絡み合い口の中に溶けて行った。

「うん!おいしい!クレープなんて久しぶり」

「栗林さん、あの…」

はしゃいでいた瑠夏ちゃんがクレープを手前に置いて話しかけてきた。俺は甘く広がる口の中の生クリームを呑み込んで返事をする。

「ん?何?」

「その…。ずっと言えなかったですけど。実は、ちゃんと話しておきたいことがあって…」

「何?さっきの続き?」

瑠夏ちゃんは、何か迷っているような、決まりの悪い顔をしていた。なんだろう、急に…?少し俺に話しづらい内容なんだろうか。

「さっきの続きと言えば、続きです。あの…、実は私…」

ブブブー。

その時、スマホが音を立てて振動したのが分かった。

クレープを片手に、ポケットからスマホを取り出してみるとLINEに着信があった。バイト先の居酒屋からだ。

「はい、栗林です」

『栗林君?申し訳ないけど、今日少し早めに入れないかな?佐藤君が体調良くなくてさ、人が足りてないんだよね』

「あ、そうですか…」

普段なら「はい、すぐに行きます」と即答しているところだが、瑠夏ちゃんの話もう少し聞いてあげるべきかもと思うと返事に困る。俺は瑠夏ちゃんの顔を見つめながら顔をしかめた。

「分かりました。できるだけ早く行くことにします。また連絡します」

『ありがとう。頼りにしてるよ』

とりあえずで「できるだけ早く」と答えておくことにした。

「瑠夏ちゃん、ごめんね。それで何だっけ、話って?」

俺は改めて聞き直したけれど、瑠夏ちゃんは俺にバイトが入ってしまったのを察したのか、こちらを申し訳なさそうに見上げている。

「栗林さん、バイトですか?」

「うん。ごめん、急に忙しくなっちゃったみたいで」

「それなら、また今度にします。さすがに、バイトがあるのを引き留めるのは気が引けるし。気にせず行ってください」

「そ、そう?」

「あ、はい」

なんだか釈然としない会話が引っかかる。その“好きな人”のことで困っていて、本当は俺に何かお願いしたかったんじゃないだろうか。そんな不安がぐるぐると頭をめぐった。

「瑠夏ちゃん、もしかして…?」

俺はそこまで言って少し迷ったけれど、直感を口にしてみることにした。

「財布、どこかに落としちゃった?」

「え?…はい。実は財布なくしちゃって。ちょうどSuicaも切れちゃってて」

「あー、そっか、そっか」

案の定だった。話を聞くと、やっぱり途中で財布を無くしてしまったらしい。もしかしたらその“彼”のアパートを、財布を持たずに飛び出してきてしまったんじゃないかなとも思う。

とりあえず彼女が自宅まで辿り着ける分だけの現金を渡すと、

「後でお金返したいから、連絡先を教えてもらえないですか?私はLINEが都合が良いですけど」

連絡を取りたいからと言ってLINEの友達登録をしたいとお願いされた。

「じゃあ、また連絡します」

「うん、じゃあ、また」

そう挨拶をした後、俺たちは別れた。

振り返った先にもう彼女の姿はない。俺とは逆方向の、駅のある方に向かったのだろう。

「マジか。LINE交換しちまったじゃねーか」

なんだコレ?たまたま美少女から相談受けてLINE交換するなんて、ギャルゲーのイベントか!?

でも、まさか恋愛相談なんて。

なんで俺にあんな話したんだろう…。たまたま丁度いい相手がいたから?誰でもよかったんかな?それとも何か俺じゃないといけない訳があったんかな…?

あっ、いっけね!?そういえば、急いでバイトに行かなくちゃいけないんだったわ。

急なバイトを忘れてしまっていたことに気がついた俺は脚を速めた。自宅へと続く緩やかな坂を脚に力を込めて登って行く。

自分勝手な妄想はやめろ、俺!また女の子に迷惑をかけて、恥をかくのはごめんだ。

きっと瑠夏ちゃんと俺のつながりは、お金を返してもらったらそこで終わりだろう。これを機に何かが起こったり、何かが変わったりすることなんて、ある訳がない。

 

『栗林さん、私とデートしませんか』

瑠夏ちゃんからそうLINEがあったのは、それから数日後のことだった―――。

 

【妄想】絆創膏と彼女③へとつづく