【妄想】絆創膏と彼女① | 恋心、お借りします

恋心、お借りします

(自称)水原千鶴を応援する会の会長。
頑張りますので、イイね下さい。

はいどーも!かのかり楽しんでますか?甲楽わんです。

今回は栗林の恋のお話を書いてみました。オリジナル要素多めですが、瑠夏ちゃんとの記憶も交錯してきます!

どうぞよろしくです。

 

 

 

絆創膏と彼女

 

絆創膏と彼女①

 

恋。

 

そいつは呆気ないほど簡単に終わる。俺の世界を埋め尽くさんばかりの花をつけ、その後甘く芳醇な実をつける。―――だが、その果実は、次の瞬間には地へと落下し、呆気なく壊れてしまうのだ。
 

小さい頃、俺は実家の果樹園で手塩にかけて育てたリンゴたちが台風のせいで台無しになっていく様子を、家の窓からじっと眺めていた。何もできなくて、悲しくて仕方がなかった。それと似ている。期待を浴びて真ん丸と膨らんだ『恋』という果実を、結局俺は味わうことはできない。俺にはどうにかできる力は与えられていなくて、毎回毎回、当たり前のように失う。もし仮に、「恋する果実」なんてキャッチコピーで新品種が販売されていたら、俺が連想するのは、恋に落ちた時の“高揚感”や“陶酔感”というよりも、むしろ”寂しさ”や“劣等感”の方だろう。さして取柄もなくイケメンではない俺にとっては、この甘い果実は手にすることの無い代物なのだから。

恋はいつだって失恋前提。負け戦。「彼女いないなら、作れば良いじゃん」とか吐かすイケメン村の住民には分からねーだろうな。作りたくても作れないブサイク村の住民の気持ちはよー。それは寂しさと劣等感を生むだけで決して味わうことはできない、遠い対岸に実った果実。悲しいかな。俺、栗林駿にとって「恋」とはそういうものだった。

 

でも…

 

それでも、人生に一度くらい「奇跡」が起こってもいいんじゃないか。そんな僅かな望みを捨てられず、負け戦にさえ駆り立てるのもまた、「恋」なのだ。

 

 

 

******


「大学生活は、リアル恋愛だけじゃねーぞ!イケメンどもめ!!!」

俺はそう叫びながら、バイト先へと続く坂道を自転車で進んでいた。イケメンどもに対する負の感情を力へと変え、ふんぬ、ふんぬと脚に力を込める。

夏を迎えた今、俺は新しくバイトを始めた。大学一年生から続けてきた居酒屋のバイトだけでは足りない。

すべては、残り少ない東京での生活にひと花添えるためだ。

そう。卒業したら俺は実家の長野へと戻りリンゴ園で働くことに決めた。だから、俺がここ東京で楽しくやれる時間も残り半年くらいだ。

三年生になってから一応就活はしていたのだが、特段やりたいことがあるわけでもなかったし、条件の良い会社に内定をもらったわけでもなかったので、それなら早く親孝行をしようと、結局大学を卒業した後は実家のリンゴ園を手伝うことにした。

「親孝行、したい時分に親はなし」って言うしなっ!

…いいや。正直に言ってしまおう。そんな高尚な決断ではなかった。和也も木部もその他の大学の奴らも就活一色に染められ血眼になってエントリーシートを作成している中、自分だけ「俺、実家のリンゴ園継ぐことになってるからさ~」なんて言って、のほほ~んと『親』という受け皿に甘んじているのがカッコ悪くて、『一生懸命就活をしているフリ』をしていたと言った方が良いと思う。結局、大学の奴らには「まぁ、親も喜ぶだろうし、実家次ぐのが一番良いかなってさっ」と話して、ちゃんと就活したうえで出した結論っぽく振舞ってはいるが、実際には実家のリンゴ園という“勝ち確”の就職先のせいで就活に身が入らなかったって感じだ。

まぁ、だからと言って、実家のリンゴ園を継げるのは一人息子の俺しかいないし、家族も喜んでくれるし、嫌と言うわけではない。

来年の春には東京を出て実家のある長野県に戻らなくてはならない。なので、残り少ない東京での学生生活に花を咲かせようと、バイトを増やして軍資金を調達しようというわけだ。

節約して、金貯めて、東京での学生生活の最後にパーっと花を咲かせてやる!!!

大学のいつもつるんでいる奴らと温泉旅行!近場なら熱海だけれど、四国まで足を延ばして道後温泉なんてアイディアも出ていた。実家へ帰ったら果樹園に付きっ切りになるだろうから、今のうちにしかできないことは、大学出るまでにやっておきてー!

今俺が推しに推しているアイドル「月野アイ」ちゃんのライブ!あの子は、この後絶対来る!マジで天使かってくらい可愛い。それに可愛いだけじゃねーんだ。毎週欠かさず動画配信だって頑張っているし、ダンスだって少しずつうまくなっているのが分かる。健気すぎるぜ。俺が推さなきゃ誰が推す!グッズは即買い、ライブは絶対参戦だ。

あとは、俺の肝臓が持つ限り飲んで騒ぐ!きっと実家に帰れば近所のおっさんおばさんから仕事の苦労話を聞かされるだけで、飲み会ゲームやくだらない下ネタで盛り上がれるのも大学生のうちだけだろう。

学生最後の半年は、やりたいこと全部やって、楽しい思い出でいっぱいにして、「大学生やり切ったぜー!!!」って叫んで終わらせてやるんだ!

東京に来たばかりのときに買った、少しサビ付いた自転車は、いつの間にかベルが壊れてしまって鳴らなくなってしまっていたが、もう半年もすればどうせ廃棄される運命だ。修理する分の資金は、遊びに使ったほうがいい。そいつのペダルをえっさほいさと軽快に漕ぎ、バイト先までの片道30分の道を俺は進んで行った。

俺はバイト先の書店に到着すると、裏にあるスタッフ用の駐輪所に自転車を止め、裏戸からスタッフルームに入った。

書店のバイトに募集したのは、単純に立地。練大の奴らに見られるのが何となく嫌だったから、学生街から近からず遠からずに位置するこの書店は都合が良かった。

採用面接での話をすれば、「グラビアアイドルが好きで、漫画雑誌を買っても肝心の漫画を読み忘れちゃうことがあります~♡」なんて本当のことは流石に言えず、かいつまんだことのある有名作家の知る限りを並べ、読書好きの俺を取り繕い採用アピールしたのが先日のことだ。採用してもらえて良かった。

店の面からガショーンと硬質なドアの開く音が聞こえて、書店の奥で散らかった本を直していた俺は、「いらっしゃいませ!」と気合を入れて挨拶をする。どうやらお客さんが入ってきたらしい。

本を直し終えると振り返って店内を見渡した。休日の昼下がりだというのに、店内には人影は数えるほどだ。

まさかこの店、もうすぐ潰れるとかないよな…!?せっかく仕事にありつけたのによー。

そんな不安が脳裏をかすめたが、俺は気持ちを切り替えて踵を返し、品出しの準備に戻ろうとした。

「あ…もうっ…」

そのとき店の裏から悲鳴交じりの困ったような声が聞こえて、俺は声のしたスタッフルームへ近づき、その扉を開けた。

何かあったのかな…。

ひょっこりはんよろしくピョコっと覗き込む。

見ると、女の子がうずくまり、ため息をついていた。彼女の足元には、いくつもの雑誌がばらばらと広がっていた。どうやら荷解きした新刊雑誌の山をひっくり返してしまったようだった。

誰だっけ?俺と同じく最近入った子だっけ?山下さん、だったかな…?

「えっと、大丈夫?」そう声をかけて腰を下ろし、散らかった雑誌を拾い集める。

「ごめんなさい。手伝わせてしまって」

黒髪のショートカット。申し訳なさそうに謝るその横顔からはほんのりと朱の差した白い肌が覗いていた。

少し引っ込み思案な子なんだろうか、お礼を言う彼女は身体を縮ぢ込ませ、なんだか表情も硬くて、その声は少し籠り気味。

彼女は最近ここのバイトに入った子だとは聞いてはいたが、この子の名前が記憶通りなのか確信がない。俺は膨らんだ彼女の胸元につけられたネームカードを確認した―――「山下伊織」。やっぱり山下さんで合っていた。

地味だけど、かわいい子だよな…。

山下伊織(やましたいおり)さんは、たぶん同い年か、少し年下の女の子。体つきは少しぽっちゃりめだし、決して「美人」と言う感じではないけれど、低めの鼻で少し童顔に見えるその容貌は、それなりに可愛い部類に入ると思う。めちゃめちゃ真面目そうだし、硬そうだとうだと言ったら失礼かもしれないが、控えめな雰囲気が好きな男どもには普通に人気がありそうではある。

初めて話す女の子を目の前に、妙に緊張してしまい、俺の顔面は引きつってしまっていたかもしれない。

「他には落ちてないかな…?」

集め終わっただろうか。俺は周りを見渡して確認する。

「あっ!?」

突然山下さんが声を上げるので振り返ってみると、積みあがった雑誌の山を持ち上げようとする彼女の腕から、シュシュシューっと紙が擦れる高い音を立てながら雑誌が次々に滑り落ちていく。

彼女は何とかそれを止めようと腕を伸ばす。

しかし、今度は伸ばした腕の隙間から抱えていた雑誌がドサドサっと落下した。

まずい!!!

俺も腕を伸ばして、滑り落ちる雑誌をなんとか受け止めようとしたが、

「きゃっ!」

「どわっ!」

次の瞬間、山下さんがバランスを崩してつんのめった。

「痛てて」

気づけば、俺の腕の中には、温かな感触があった。

彼女の半袖のTシャツの裾から伸びた柔らかな腕。

見下ろしてみれば、たわわと育った胸。

ジーンズ越しではあるが、確かに俺の身体に触れているムチっとした彼女の太もも。

つんのめった彼女の巻き沿いを食らって、俺は盛大に床にケツをつけていた。

「…っ!」

ヤバいっ!いろいろヤバすぎる!

俺は左右の腕をドタドタと床に打ち付けて這って進み、速攻その場から離れた。

「ごめん!決して悪気があったわけじゃないから!転びそうになってたから、何とかしようと思って!とにかく、ごめん!」

邪な気持ちは一切ねーんだ!無罪、俺は無罪!

変態扱いされたら、この書店にいられねー。信じてくれ!

俺はありったけの言い分を吐き出した。

「こちらこそ、ごめんなさい…」

良かった…。信じてくれた。

どうやら、無用な疑いはかけられなかったようだ。

それにしても、マジびっくりした…。気持ちが落ち着いてきたところで、やっと床に打ち付けたケツの痛みがじんじんと感じられた。

「だ、大丈夫?」

「あー、もう…っ。本当にごめんなさい」

山下さんが散らかしてしまった雑誌に目をやった。床一面に雑誌たちが転がっている。

それにしても、盛大にぶちまけたもんだ。

見ると、彼女の手の指には、いくつも絆創膏が巻かれていた。本の端で切ったのだろうけど、でも他のバイト店員でこんなにも絆創膏を貼り付けている人を見たことがない。やっぱり、あまり器用な子ではなさそうではある。

こんな、いかにもって言うドジっ子もいるものなんだな…。面倒だけど、仕方がねーか。

俺と山下さんは手分けして雑誌をかき集めると、さすがに今度は俺が雑誌を持ち上げてフロアまで運んでやることにした。

「ほ、本当にごめんなさい…」

山下さんは少し吃りながら礼を言い丁寧にお辞儀をした。

「いや、全然気にしないで。俺、ちょうど暇だったところだし…」

ちょっと変わっているというか、愛想が良い感じはないけれど、こうして見てみると、やっぱり可愛い子だなと思う。

髪は地味なヘアピンで止めただけだし、メイクも飾り気のない感じだけど、でも持ってる素材は十分に可愛さを感じさせる。

もし仮に、メイクやファッションに詳しい友達がそれなりに手を加えたら、大化けしそうだ。

俺は、そんなに謝らなくてもと思い、両手を挙げてノープロブレムのサインで答えて見せた。

「山下、ちゃんと仕事しろよ」

そのとき、背中からため息交じりの声が聞こえたと思うと、回収した雑誌の山の上にパンっと苛立ちの交じった高い音を立てもう一冊雑誌が置かれた。

「え…?」

驚いて振り返る。

「まだ一冊床に落ちてたぞ。忙しいときに仕事増やすなよ。お前みたいなドジが一人いると、迷惑なんだよ」

男が苛立ちを露わにそう吐き捨てた。一瞬にして凍り付いた空気の中、その声の主の顔を見上げると、俺が首を持ち上げないと見上げられないほど背の高い男が侮蔑を孕んだ鋭い眼光で俺と山下さんを見下ろしていた。

怖っ!?

え?誰?

つーか、そんな酷いこと言う奴いる…?

「ご、ごめんなさい」

山下さんは何も言い返せず、ただ困ったように眉をひそめ頭を下げるだけだった。

誰だっけ?高梨だっけ…?

背丈は190 cm、いや2 mくらいあるだろうか。平均身長より高めの俺が視線を上げてしまうほどの大男。体育会系のがっちりした身体つきで、かなりの圧迫感がある。

塩顔のイケメン。その切れ長の瞳で見下ろされると、男の俺でさえ肝が冷える。本能的な恐怖に、肩を固くして縮こまってしまった。

「なんだよ、テメー?」

「いいや、何でも…ないです」

こっわ…。

高梨はチッと舌打ちをした後、大きな身体を揺らしながら、のっしのっしと大股で去っていった。

「ちょっと怖かったね…」

高梨の姿が見えなくなって、凍り付いていた空気が解けると俺は山下さんに話しかけた。

え?

山下さんの瞳は少し赤く染まり、その眼にははっきりと涙がたまっていた。その瞳が左右に揺れて動揺を隠せていない。

「大丈夫…?」

そう声をかけてみたのだけれど、

「…ごめんなさい」

彼女は目元を擦り上げ涙をぬぐい、俺にそう断った後、駆け足にスタッフルームを飛び出していった。

戸惑った俺は、それ以上彼女にかける言葉が出てこず、その場に立ち止まっているしかなかった。

スタッフオンリーの扉がパタンと閉じる。

めっちゃ泣いてたけど、ほんとに大丈夫かな…。

それにしても、あの高梨って野郎、性格が悪過ぎだろ!?

どこの社会にも一人くらい自分勝手な奴がいるものだけれど、山下さんが言い返せないタイプの人だからって、あの言い方は流石に酷い。それに男の俺でも恐怖を感じたのだから、女の子からしたらなお一層怖かったはずだ。

「高梨くんも、すこ~し、口が悪いね~」

突如、アンニュイな口調で話しかけられ、振り返ると店長だった。俺は不満に曲げた口元を直して、店長に向き直った。

「店長、お疲れ様です」

「クリくん、お疲れ様」

背丈が低く初老の店長は、気の抜けた雰囲気がある。バイトの採用面接のときも、ゆるーい口ぶりで、悪い言い方をすれば、危機感がないというか、どうも頼りない。

『暴力』とも取れる現場を見かけたにも関わらず、白髪の混じったあごひげを摩りながら、いつも通りのニコニコの笑顔を保ったままだ。

「店長、あの…、さっきの見てました?」

「まぁね~」

どこか他人事の、緩い返事だった。真剣味はあまり感じられない。店長は、高梨の横暴な態度には何も言わず、野放しにしているんだろうか。

「正直、あの言い方はどうかと思いましたけど…」

「何?栗林くん、もしかして山下さんのこと気になってるの?うん、ちょっと地味だけど、かわいい子だよね」

確かに見た目は可愛いし。ぽっちゃり目なのが、ちょっとエロ…。違う、そうじゃねー。

俺は心の内に住むエロ大魔王を抑え込み、店長に答える。

「そういう話じゃなくて、山下さん困ってるみたいだったし…」

「あはは、そうだね。でも、まぁ、本人たちの問題だからさ。お店に実害が出るまではわしは見守ることにするよ」

「そうですね…」

店長がそう言うのなら、それ以上俺がやれることはない気がする。

山下さんという不器用な女の子に、口の悪い高梨、そして危機感のない店長。果たして、これからこのバイト先で気持ちよく仕事ができるんだろうか…もしかしたら俺は、結構めんどくさいバイト先を選んでしまったかもしれない。

 

 

 

******

 

〈駿ちゃん、聞いて~♪土田さんところの息子さん、結婚だってっ!なんでも奥さんがね、東京の人でね。果樹園にも興味あるみたいで、すんなり決まったらしいわよ♪〉

正午過ぎ、実家のリンゴ園はちょうど午前の作業を終えて昼時なんだろう。母親から電話がかかってきて、それに俺は冷めた声で答える。確かに、わざわざ都会から嫁いで来たいなんて奇特な人もいるもんだ。

「へー。東京からねぇ」

〈そうっ!茨城ね!〉

茨城は東京じゃねーよ。地方に住む人は関東=東京だと思っている。俺も高校を出て実際に東京に住むまでは、そういうざっくりとした認識でしかなかった。

訂正するのも面倒くさいので、そのままやり過ごす。

〈トキニ駿ちゃんはどう…?…いい人とかいないカヤ?〉

あー、めんど…。

その質問に俺は顔をしかめ、マッシュヘアの頭をガシガシと引っ搔いた。今は、あんまりこういう話はしたくはない。

「いねーなぁ。それに土田さんのところみたいにわざわざ東京から地方に来たいって言う女の子はまずいないモンデ」

内心を悟られたくなくて、まるで大したことでもないかのようにそう答える。

大学四年間、恋愛に関しては俺の期待通りとはいかなかった。大学に入ったばかりは、かわいい子とお近づきになりたいと躍起になってバイト代をつぎ込んで飲み会に顔を出していたけれど、全然成果が上がらなくて、彼女作ろうなんて気力は徐々に衰えていった。

寂しくてレンタル彼女に手を出したこともあった。

つまるところ、俺は自分がモテないって重々自覚しているから、家族の期待に応えられる自信がないのだ。

そのうえ結婚となれば、別次元といえるほどハードルは高くなる。東京都心は長野に比べたら実際めちゃめちゃ便利で、地下鉄は走っているし、飲み屋はたくさんあるし、各種イベントやらお店やら遊べる場に満ち溢れている。それが当たり前となってしまっては、地方でリンゴ園を継がなきゃいけない男を選ぶ女の子がいるなんて想像できない。俺の人生ゲームは、超激辛ハードモード。件の土田さんと奥さんとの出会いは『奇跡』と呼ぶべきレベルの幸運だろう。

彼女が欲しくないわけじゃない。むしろ欲しいし、いつかは家族も持ちたい。

でも、今の俺には、好きだって思える女の子と付き合える未来が想像できない。どうせ俺なんか、って思ってしまう。恋愛結婚は、ハードルが高すぎて現実味がない。

両親の期待に応えられるとしたら、お見合いなどで良い出会いに恵まれるくらいしかないのかもしれない。

だから実家の両親のする、恋愛や結婚の話は、プレッシャーにしか感じなかった。

母もそれを察したのか、それ以上聞くことは無かった。

スマホスクリーンをタップし、通話を切った。

 

―“あの子”は今、どうしているんだろう。

 

前に彼女に会ったのは、まだ就活をしていた頃、ちょうど半年くらいは前だろうか…。

俺は以前恋焦がれていた女の子のことを思い起こしていた。

バカみたいに大好きで、その子のことを毎日考えてた時期もあった。彼女は少しわがままなところがあったけれど、今はもう恨んでいない。

ほとんどフラれたみたいになって、めちゃめちゃ落ち込んだけど、胸の痛みも気にならないくらいに和らいだ。彼女が幸せならいいなと、今は思う。

でも、どきどき、ふとした時にその子のことを本気で好きだった自分を思い出す…あんなに誰かを好きになるのは初めてだったな、なんて感じに。

母親からの電話を終わらせた後、俺はご飯に卵と納豆で簡単に昼飯を済ませ、バイト先の書店に行くために下宿先の駐輪所へと向かった。

大学生最後の夏、眩しさに目を細める。8月の太陽が、嫌になるほどの暑さで俺の肌をジリジリと照らしていた。

 

 

******

 

大学三年、就職活動真っ只中の夏。

周りの野郎どもからは、「内定」なんて言葉がちらほら聞こえ始める。俺はと言えば、ESをちょくちょく出してはいるものの、結果は芳しくはない。

最後には実家のリンゴ園という切り札があるから、絶対に企業就職を決めなきゃと躍起になっているわけではないのだが。続々と「内定」を勝ち取っている奴らから俺だけが取り残されているみたいで、やっぱり釈然としない。

「運、悪ぅ!傘、意味ねーじゃん」

その日俺は、大学の講義を終えてバイトまでの時間に少し寄り道をしようと思ったところをゲリラ豪雨に襲われていた。灰色の雲に覆われた空には時折閃光が走り、その度にドッシャーンと雷鳴が轟いている。

マジで最悪。びしょ濡れだ。

靴下にも雨が入って、歩くたびにクチャックチャッと気持ち悪い音を立てる。

咄嗟に雨宿りをしようとオフィスビルか何かの屋根下に潜り込んだが、時すでに遅し。ずぶ濡れだ。もういっそ雨なんか気にせず自宅のアパートまで突っ走っていった方がマシだろうか、とさえ思えてくる。

就活が全く進んでいない少々の焦りもあり、苛立ちが募ってきた。

「めんどっ。さっさと帰ればよかったわ」

帰る途中、大学の友人の和也から漫画を借りる用事を思い出して彼のアパートへと向かったのだ。それが良くなかった。今思えばさほど読みたいわけでもなかった気がする。

相変わらず、建物の外側では雨脚の強い豪雨が続いている。

「まいっか。どうせ暇だし」

バイトの時刻まではかなり余裕がある。そう気持ちを切り替えて、スマホゲームでとりあえず暇をつぶそうと思った時だ。

視線の片隅。行くはずの和也のアパートの方角から、土砂降りの中を女の子が歩いてくるのが見えた。

え?驚いて俺は顔を上げた。

なんだろう。ゲリラ豪雨に襲われて掛けてきたという感じではなく、とぼとぼと頼りない足取りだった。

髪も雨に濡れて形を保っていないし、服も生地の上から肌が透けて見えてしまっているが、そんなことすら気が回っていないように見える。

その女の子は雨の中をこちらに近づいて来て、その姿が大きくなる。

「瑠夏ちゃん…?」

雨に濡れた顔でははっきり判断できなかったが、どことなく見覚えのある細身のシルエットと顔つき。以前、レンタル彼女の事務所でレンカノをしていた「更科るか」に見えた。

彼女を見かけるのは、和也に誘われてついていったハワイアンズで少し話した以来だ。

まさか!?どうして、こんなところにいるわけ?

それとも別人?他人の空似?俺の見間違い?

俺は改めてその女の子の姿を確認した。

いや、どう見ても瑠夏ちゃん、だよな…。なんかあったの…!?

こんな土砂降りの雨の中、傘もささず歩いてくるなんて、何かあったに違いない。それだけははっきりと分かる。

すぐに声をかけようかと思った。でも、レンタル彼女のプライベートに足を踏み入れるのはご法度。

話しかけられたら迷惑かもしんねーしっ。あーっ、もう分っかんねー!

俺は降り続く雨を目の前に立ち尽くしてしまった。

俺が二の足を踏んでいる間に、彼女の姿が大きくなり、俺の前の道を通り過ぎ、今度はその姿が小さくなって行く。

それを見た俺は、意を決して雨の中に飛び出した。

やっぱ、放っておけねー。

水たまりの上を駆けて彼女に追いつくと、その横顔を除き込む。濡れた髪が顔に張り付いて分かりづらかったけれど、やっぱり瑠夏ちゃんだ。

「瑠夏ちゃん、だよね。ほら、傘…?」

そう言って手元の折り畳み傘を広げ、彼女の前に差しだした。

彼女は俯いたまましばらく押し黙っていたけれど、その小さな身体から腕がすっと伸びてきて、弱弱しい手つきで俺の傘を掴んだ。

その様子に少し戸惑いを感じながら、俺は傘を握っていた掌の力を緩める。

「栗林さん、なんで?」

「俺のアパート、この周りだから」

「傘、ありがとうございます。でも、栗林さんの傘は…?」

「大丈夫。俺は走って帰るから」

「…そうですか」

「瑠夏ちゃんの方は、練馬に何か用でもあったの?」

「…」

瑠夏ちゃんは俺の渡した傘を握り、こちらを見ず俯いたまま、しばらく押し黙っていた。

瑠夏ちゃん、何でここにいるの?千鶴さんと仲が良いって言ってたから、千鶴さんに用があって?まさか和也に何か用事があって?

つーか、様子おかしくない?今めっちゃ雨降ってるけど?

その理由を知りたいと思ったけれど、きっとプライベートなことだから、深追いして良いものでもない気がした。

それに瑠夏ちゃんからしたら、俺みたいな男に話そうなんて思わないだろう。やることをやったんだから、さっさと退散するのが彼女のためだ。

「ごめん、別に何か聞き出したいわけじゃないから。単にこのあたりで瑠夏ちゃん見たの初めてで、少し驚いたっつーか。それだけ。確か瑠夏ちゃん千鶴さんと仲いいよね?その傘、後で千鶴さんか和也に預けてくれたらイイから。じゃ、俺行くね!」

それだけ伝えて振り返った。

「待ってください、栗林さん!」

「え?」

そう呼び止められて、俺は足を止めた。

再び瑠夏ちゃんに向き直り、彼女の様子を伺う。

「栗林さん、少し時間ありますか…?」

瑠夏ちゃんがずっと俯いていた面を上げ、俺を見上げる。

大雨に全身も顔もびしょ濡れでずっと判断がつかなかったけれど、彼女の瞳は赤く充血していて、瑠夏ちゃんが泣いているんだとはっきり分かった。

 

【妄想】絆創膏と彼女②へつづく