【妄想】タイムリープ/甲楽わん
私は階段を駆け上り、ビルの屋上へとたどり着いた。
扉を開ける。
探し回ってやっと見つけたその姿は、もう金網のフェンスの向こうにあった。
「ち、ちづるちゃん…!」
「…ううん、平気。平気だから」
ちづるちゃんは、また無理に笑って見せる。痛い。すごく痛い。
「ちづるちゃん?落ち着いて、ね?私の話を聞いて…?おねがい…!」
「ごめんね、さくらちゃん…」
フェンス越しのちづるちゃんが、私に背を向けた。その一歩を踏み出すと、長い髪がふわっと舞い上がった。
気づけばその身体は消えてしまって、ビルの下の方からドンっと何かが跳ねるような痛々しい音が聞こえた。
私は唇を噛み締める。何度繰り返せばいいんだろう。何度苦しめばいいんだろう。彼女を救える道はどこにあるんだろう。
それでも私は面を上げた。
この世界線はもういらない。私の望んでいるものはここにはない。
それから120年後、144歳になった私は、この世界線を捨てた。
―――タイムリープ。
繰り返す。何度でも繰り返すんだ。あなたを救える世界線にたどり着けるまで―――
******
メキシコの砂漠に建設されたタイムリープ装置。円筒状に空をつらぬく巨大なそれは、異なる世界線への入り口だった。
22世紀を迎えたころ、再生医療の急速な発展により、人類は個人の身体を『作り直す』ことが可能になった。選ばれるのは、倫理より現実だった。古くなったら、新しい臓器や四肢に交換すればいい。ゲノムを書き換える違和感も、身体を作り直す罪悪感も、『実用性』の前に正当化された。子孫を繋ぐ意義は急速に失われ、子育ては娯楽へと変わりつつあった。
144歳を迎えた私の身体は20歳そのもの。2度にわたって自分の身体を作り直したからだ。
そして、2141年、タイムリープ技術が開発された。
タイムリープを行えば、記憶をとどめたまま過去へと遡ることができる。私は希望を抱いた。『今』を失う恐怖より、ずっとずっと後悔の方が強かった。どうしてもやり直したい過去があったのだ。
私とちづるちゃんとの出会いは、中学2年生のときだった。
当時の私は、クラスで『一番下』だった。地味で、自分の意見を言うのが苦手で、教室の片隅でキャッキャと騒ぐ生徒たちを眺めているような子だった。トイレ掃除とか机を運ぶ仕事とか、気づいたらめんどくさいことを押し付けられてしまって、でも反抗したところで無視されるだけだから、何も言えない。そんな子だった。
修学旅行の班決めのとき、いつものように私は『邪魔者』扱いされていた。顔をしかめるクラスメイト達の中で、うちの班に入りなよと言ってくれたのが、ちづるちゃんだった。
可愛くて、華があって、男の子たちからはかなり人気があったんだけど、ちょっと尖ったところがあったから、女の子たちの中には彼女を嫌う子もいた。
その誘いに私はかなり戸惑ったけど、ちづるちゃんは周りにどう思われてるかなんて気にしていないみたいで、落ち着いた顔で自然に声をかけてくれた。
それから、私とちづるちゃんは、仲良しになった。お互い、小説とか映画とかが好きだったから。
「さくらちゃん、これすごく面白かったから、読んでみる?」
「うん」
「ひとつの事件を、いろいろな登場人物の視点で書いているんだけど。キャラクターごとに、こんなにも見てる世界が違うんだって、驚いちゃった」
「へー。すごい」
ちづるちゃんは、自分の考えがしっかりしていて、優しくて、結構負けず嫌いで、好きなことの話をしているときは妙にテンションが高かったりして。おしゃれで、綺麗で、スタイル良くて、声も可愛くて。同い年のはずなのに、そんな彼女に私はすごく憧れていた。大好きだった。
10年後、ちづるちゃんは女優になっていた。
仕事で成功し、周りからは実力と人気を兼ね備えた天才女優なんて言われていたけれど、私は少し心配だった。『へいき』それが彼女の口癖で、いつか壊れてしまうんじゃないかと不安だった。
そして、その小さな不安が想像していたよりもずっとずっと大きかったんだと知ったときには、もう取り返しがつかなくなっていた。
忘れもしない。2022年11月23日。ちづるちゃんの死を、私はテレビのニュースで知った。自殺だった。
ちづるちゃんは、数年前に最愛のおばあさんを亡くしていた。家族と呼べる人は一人もいなくて、独りぼっちだった。寂しいときとか辛いときとか、本当はいっぱいあったんじゃないか。誰かに吐き出したいことだって、あったんじゃないか。でも、周りの人たちには強がって、仕事に打ち込んでいたんじゃないか。
どうして傍にいてあげられなかったんだろう。どうして話を聞いてあげなかったんだろう。その苦しみに気づいてあげることもできなくて、何もできなかった私は、ちづるちゃんの死を悔やんでも悔やみ切れなかった。120年もの間、その後悔はふとしたときに蘇って、消えることはなかった。
だから私はやり直したかった。ちづるちゃんと一緒に笑いあえる世界線にたどり着きたかった。
私は目の前にそびえ立つタイムリープ装置に足を踏み入れた―――ちづるちゃんが亡くなったあの日、2022年11月23日へ向けて。
******
1度目のタイムリープ。ひさしぶりに出会ったちづるちゃんは、記憶の中の思い出よりもずっと綺麗で可愛くて、懐かしさが込み上げてきて、思わずぎゅっと抱きしめてしまった。
でも、その後ちづるちゃんを見失ってしまって、見つけたときには彼女がビルの下に飛び降りた後だった。
私はまた120年の時間を生き、タイムリープ装置が開発される時を待った。
2度目のタイムリープ。ビルの屋上の前で待ち構えていたら気づかれてしまったようで、彼女は他のビルへと移動していた。結局、ちづるちゃんを救うことはできなかった。
3度目のタイムリープ。屋上に現れたちづるちゃんを捕まえた。ちづるちゃんは、いつものように笑って見せて、帰ってくれた。でも、数日後、私の目の届かないところで、電車に飛び込んだ。
私はちづるちゃんが亡くなるたびに、120年の時間を生き、タイムリープを繰り返した。
「ちづるちゃん、何かあった?」
「何かって?」
「おばあさん亡くなってから、ひとりだし」
「大丈夫、平気よ」
「でも!辛いことあったら、絶対頼ってほしいっ」
「ありがとっ。でも仕事も順調だし、悩んでることなんて何もないんだから」
私がちづるちゃんの支えになれたら、未来は変えられるかもしれない。だから私はいつも彼女の傍にいることにした。でも、ちづるちゃんは『へいき』を繰り返すばかりで、本当のことは打ち明けてくれなくて、本当にその辛さや寂しさを受け止められているのか、いつもいつも不安だった。
気づいたら、自分の手のひらをすり抜けるように、この世界からちづるちゃんはいなくなっていた。
「ごめん…!ちづるちゃん!」
「さくらちゃん!?やめて、やめてよ」
ちづるちゃんが亡くなる少し前にリープし、ちづるちゃんを無理やり縛り付け、拘束してみたこともあった。こんなやり方は嫌だったけど、彼女を救うためには仕方がないと割り切った。でも、結局、拘束した彼女は私に心を閉ざすばかりで、食事も受け付けなくなり、衰弱して命を落とした。私が殺したのだ。私はまたタイムリープをした。
「ちづるちゃん、まさか変なこと考えてないよね?」
「…悪いけど、これ以上構わないでくれる?」
「え?」
「さくらちゃん、いつも私にべったりだから」
「なんで!?」
「正直、困ってる…。それに、あなたもちゃんと自立した方がいいと思うの」
「どうして分かってくれないの!?あなたはいつもそう!いつも!いつも!いつも!何にも話してくれない。何にも頼ってくれない。私が、どれだけちづるちゃんを…!?」
「ほんと、もうやめて!」
タイムリープを繰り返せば繰り返すほど、苦しい思い出ばかり溜まって、心が疲弊してくのが分かった。初めてタイムリープをしたときには、あれだけ大きかった希望は、どんどん小さくなっていった。
私は初めて、ちづるちゃんが亡くなる5年前(2017年11月23日)からやり直してみることにした。もっと早くから始めれば、彼女を救える方法もあるかもしれないと思ったからだ。
そこで出会ったのが、木ノ下和也という男の子だった。
そのときちづるちゃんは、レンタル彼女の仕事をしていて、彼はお客さんらしかった。記憶を辿ると、ちづるちゃんが大学生のとき、少し仲の良い大学の友達がいたと聞いていた気がする。それが彼なのかなと思った。
でも、私はこの男が嫌いだった。この男を見ていると、腹が立って仕方がなかった。
付き合っている女の子がいるのに、ちづるちゃんにも気があるようで、レンタルをしてデートをしている。大した能力もないくせに、ちづるちゃんに近づいておせっかいを焼いている。
ちづるちゃんは優しいから、彼に付き合ってあげているようだけれど、実際困ってるんだと思った。ほんと、最低の男だ。
だから私は、そいつがちづるちゃんに近づかないようにした。ちづるちゃんにこの男は必要ない。
「木ノ下さん、何考えてるんですか?ちづるちゃんには近づかないでって言いましたよね?」
「俺は別に、なんか変なこと考えてるわけじゃ」
「あなたみたいな何のとりえのない男、ちづるちゃんが相手するわけないでしょ!いい加減にしてくださいよ!」
「そりゃ、そうだけど。でも、そういうことじゃなくて」
「はっ。クラウドファンディング?ちづるちゃんが喜ぶと思ってるんですか?」
「でも、これなら小百合ばーちゃんにも間に合うし。水原の夢、叶えてあげられるから」
「あのね。ちづるちゃんは、将来有望な女優なの。素人集団が作るような、安っぽい映画に出るわけないじゃないですか。だいたい木ノ下さんはクラファンやったことあるんですか?成功する保証は?」
「保証はねーけど。で、でも!水原と小百合ばーちゃんのためなら、出来ることはやってやりたいっていうか」
「はっ?せいぜいヒーロー気取ってればいいんですよ」
「木ノ下さん、何しに来たんですか」
「小百合さんが倒れたって聞いたら、俺、いてもたってもいられなくて…!」
「何度言ったら分かるんですか。あなたのやってること、ストーカーですよ」
「…」
「映画作るって大見栄切って、結局何もできなかったじゃないですか。さんざんちづるちゃんを振り回して、小百合おばあさんとの時間奪っておいて、よくそんなこと言えますね」
「…」
「帰ってください」
何度繰り返しても結果は変わらなかった。ちづるちゃんは、いつも私を裏切って、いつも消えてしまった。
時間をかければ上手く行くなんてことは、何一つなかった。ちづるちゃんと過ごす時間が長くなれば長くなるほど、彼女との関係は壊れてしまって、嫌な思い出がより一層積み重なるだけだった。
私の心に、重く暗い何かがはびこって、私のすべてが壊れてしまいそうだった。
32度目のタイムリープ。
彼女の亡骸を目にしたとき、私の中で必死に耐えていた何かが、乾いた音を立てて弾けてしまった気がした。
出口の見えない深い深い迷路だったのだ。掴めるはずだった未来も、あるはずだった灯も、そんなもの初めから無かった。これが、変えることのできない、ちづるちゃんの『運命』。
私は何がしたかったんだろう。何のために何度も繰り返していたんだろう。
私はもう、抜け殻同然だった。
その日、私は、ちづるちゃんが毎回飛び降りていたビルの屋上に来ていた。
次のタイムリープまで120年。慣れたはずのその待ち時間が、永遠に思えた。ちづるちゃんを救える未来なんて、途方もなく遠い。
フェンス越しに街を見下ろすと、ちづるちゃんの気持ちが分かったような気がした。毎日がただ虚しいだけで、現実を生きる気力も沸いてこなくて、何もかもがどうでもいい。ただ、終わらせたいんだって。
終わらせたって、誰も悲しまない、誰も何も思わない。だから、私がいてもいなくても、この世界は何も変わりはしない。
気づけば私は、屋上のフェンスに手をかけていた。何も感じなかった。何かに引き寄せられるように金網にかけた指に力を入れ、フェンスをよじ登った。
フェンスに引っ掛けたつま先に力を入れる。身体が空へと近づく。
「なにやってんだよ!」
そのとき、誰かに羽交い絞めにされたのに気付いて、私は現実に引き戻された。
私にしがみついていたのは、あいつ―木ノ下和也―だった。
「離して。もういいんだって」
「離さねー、絶対離さねー!」
「木ノ下さんには関係ないでしょ!?」
「関係あるって!」
「…なっ!?」
「…あっ!?」
あいつに引っ張られ、フェンスの金網にかけた指が外れてしまった。あっと思ったときには、あいつの上に落下して、彼を圧し潰していた。
私はビルの屋上の床にごろんと転げた。
面を上げると、あいつが私を制止するように真顔で見つめてくる。
抜け殻の私から、低い声が漏れた。
「…なんで?なんで、あなたはいつも私の邪魔ばっかするの?いいじゃん。私がいなくなろうと関係ないでしょ…?」
「関係あるよ」
「は?」
「関係あるんだ。関係あるんだよ!」
あいつが、表情を硬くして唇をかむ。
「水原、前に言ってたんだよ。本当は、さくらちゃんはとてもやさしい子だから、何かあったら力になってやって欲しいって」
「…」
「突然こんなことになっちまって、俺も訳分かんねーよ。自分が情けなくて仕方がねーよ。でも、でもさ。死ぬのはやっぱ違うって。それだけは間違いだって。何かあったら、話聞くから。だから、だからさ…!」
あいつが、喉を詰まらせほとんどベソをかきながら、それでも歯を食いしばり私に訴えてくる。
「…ほっといてよ」
私はそう吐き捨てると、彼を置き去りに屋上を出た。
足元がおぼつかないまま、とぼとぼと力なく階段を下る。
ビルの入り口から見える人の流れも、切り替わる信号も、横断歩道を横切るトラックも、何もかもがおぼろげで、何も目に入ってこなかった。何も感じられなかった。
ただ、暗く閉ざされた私の心の淵で、あいつの言葉が何度も何度も反響するように繰り返されていた。
私はアパートまでたどり着くと、ドアノブにカギを通し、部屋の中へと入った。
ベッドの前で足を止めると、力なく膝を折り、そのまま腰を掛ける。
コルクボードに貼られた写真。机の上に置かれた写真立て。ちづるちゃんがいつも座っていた椅子。ちづるちゃんが好きだった本たち。
私の部屋に残る、ちづるちゃんの匂い。
私は吸い寄せられるようにゆっくりと立ち上がると、コルクボードに近づき、そこから一枚の写真を手に取った。中学二年生のとき、修学旅行でちづるちゃんと一緒に撮ったものだ。
私の隣で笑顔を見せるちづるちゃんを、指でなぞる。
ちづるちゃんは、いつも正しくて、優しかった。地味で、ダメで、何もできない私に声をかけてくれた。
高校受験のとき、「願えば必ず叶う」って言って、お守りをくれたっけ?
私のまとまりのない本の感想を聞いて、いつも返事くれたっけ?
やらない後悔より、やる後悔。いつも「大丈夫、出来るよ」って言ってくれたっけ?
ちづるちゃんは、いつも私の気持ちを第一に考えてくれた。いつも私の味方でいてくれた。叱ってくれた。
私の瞳からはらはらと涙が溢れだした。ちづるちゃんの死に疲れ切って、涙なんてもう出ないと思っていたのに。
ごめんね。ごめんね。ちづるちゃん。
唇を噛み締める。後悔の涙だった。
ずっとちづるちゃんのためだと思ってた。
でも、本当は嫉妬していたんだ。ちづるちゃんが時よりあいつに見せる安心しきったような笑顔に。頬を赤らめ、戸惑った顔に。あんな顔、私に見せてくれたことなんてなかったから。
だから私は、あいつの邪魔ばかりしていたんだ。
あいつが、ちづるちゃんを救えるだなんて認めたくなかった。私がちづるちゃんの一番だって思いたかった。独り占めしたかった。
私の身勝手のせいで、私はちづるちゃんを不幸にしようとしてた。
「ごめんね…ごめんね…ちづるちゃん…」
私は写真を抱えたまま、膝を折って崩れ落ちた。肩を震わせて泣いた。自分のやってしまったことが情けなくて申し訳なくて仕方がなかった。
―――33度目のタイムリープ。私は『私』を捨てた。
年齢を偽り、顔を変え、自分を殺すように自分とは違う誰かに成り代わった。
『課金は愛情っス!師匠と呼ばせていただくっス!』
『好きに決まってるじゃないですか。水原さんも師匠のこと』
『絶対水原さんと付きあいましょうね!師匠!』
これまでの自分はいらない。さくらだと気づいてもらえなくていい。
たったひとつ、ちづるちゃんが心から笑っていられる未来が欲しい。
『それなら力になれるかもっス!自分、クラファン経験者っス!』
『全ては映画制作のため。今一つになる時っス!203作戦っス』
もう二度と、ちづるちゃんを不幸にすることなんてしない。何度だって繰り返すよ。その笑顔が見られるなら。あなたを救えるなら。
『違うっス!師匠は水原さんのこと、女として好きなんス!』
『お客さんの中に、水原さんを一生幸せにする人がいるかもしれないっス!』
演じるよ、恋のキューピッドを。ちづるちゃんと和也君の未来のために。
きっと和也君なら、ちづるちゃんを救ってくれる。だって、こんなに一生懸命に思ってくれるんだから。
頼りにしてるよ、和也君。
―――ったく。世話の焼けるヒーローっス
(おしまい)
【あとがき】
はいどーも!甲楽わんです。かのかり楽しんでますか?www
まさかの八重森落ちwww
OCで妄想大会が開かれたので、それ用に書いたお話です。
和也と千鶴のキューピッドと言える八重森さん。八重森さんが実は未来人で、タイムリープを繰り返し、二人が恋人になる世界線を探してるのではないか?そんな、あまりにも身勝手な妄想を形にしてみました。
八重森さん(さくらちゃん)が、実は千鶴のことが大好きで、自分の思いを押し殺しながら千鶴の幸せを願っている。なんて健気なんだーーーーー!www
めっちゃ、まどマギの影響受けてんなw
楽しんでもらえたら最高です。
では、また!