【第4回妄想大会】未来と彼氏 | 恋心、お借りします

恋心、お借りします

(自称)水原千鶴を応援する会の会長。
頑張りますので、イイね下さい。

【第4回妄想大会】未来と彼氏/甲楽わん

 

え?千鶴ちゃん、Diamond辞めたの…?

 

それは街の空気が本格的に冷え込み始めた11月のことだった。

定期報告に事務所に到着した私は、突然のことに驚いてしまった。千鶴ちゃんが事務所を辞めた…。以前から女優の仕事がうまく行ったらそちらに専念するって聞いてはいた。でもすこし突然すぎる気がする。どうしたんだろう…。

すぐにLINEで連絡はしてみたものの、昼過ぎになっても千鶴ちゃんから返信はない。いつもならお昼時に一度返信があるのに。少し心配になってくる。

スマホの通知音が鳴った。何だろう…?

かずやくん…。

突然和也君からレンタルの予約が入った。和也君が私をレンタルしてくれるときは、いつも何か千鶴ちゃんのことで相談があるときだ。

千鶴ちゃんが事務所辞めたことと関係あるのかな…?

 

その晩、少し気掛かりに思いつつ、約束の喫茶店に到着した。

時計を見る。待ち合わせの時刻より15分早い。

〈ごめん、少し遅れそう。先にお店入っててくれるかな。〉

そう和也くんから連絡がある。あと20-30分かかるだろうか。

街を吹き抜ける11月の夜の風は思っていたよりも冷たく、身体が冷えてきた。ブルブルっと背筋が震える。

寒い…。

暖かそうな店内。中を覗くと、店員さんと目が合った。

ドキッ。

どうしよう…。

迷った末、寒さに耐えるよりはマシと、意を決してお店の扉に手をかけた。えぃっとノブを引く。

「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

人差し指で1をつくり、コクリと頷く。

相手は見ず知らずの店員さん。こういう時は、無理に『後でもう一人来ます』なんて伝えようとすると大変なことになる。

ボディーランゲージで伝えられる物事には限界がある。伝える情報は最低限。人見知りの生き残り術だ。

うぅ、緊張する…。

夕食時の喫茶店にはそれなりにお客さんがいて、しゃべり声や笑い声でにぎわっていた。

第一関門のカウンターを通過して、本当の戦いはココからだ。

『注文』をしなければいけない。

私は店内の一番奥の席に案内されると、席についてメニューを手に取った。ドリンクのページを店員さんに見せて、ブレンドコーヒーを指さす。

「…えっと、ブレンドコーヒー…ですね?他に注文はよろしいでしょうか」

一言も喋らず、ずっと目を逸らしている私を見て、店員さんが戸惑ってる。

うぅ…ちゃんと返事しなきゃ。

全国チェーンのお寿司屋さんやカラオケ店ならタッチパネルで注文できるけれど、普通喫茶店はそうはいかない。

そのうえ注文を取りに来たのが大学生くらいの男の人だったから余計に緊張する。

コクコクと頷くと、店員さんは通路を通り厨房へと戻っていった。

私はほっと胸をなでおろした。

よしっ、喫茶店完全攻略。←ぜんぜん攻略できてない

なんとか喫茶店の席に着くことができた私は、窓越しに通りに目をやる。

和也君、どれくらい遅くなるんだろう…。

夜になっても千鶴ちゃんから連絡はない。やっぱり和也君が急に私をレンタルしたのは、千鶴ちゃんのことで相談したいからなのかな…。事務所辞めたこと、知っているのかな。

今日は和也君の力になってあげなきゃ…。

私はソーシャルゲームのルーチンをこなしたり、次のお客さんとの待ち合わせ場所を確認したりして、和也君の到着を待っていた。

すると突然背中越しに声をかけられた。

「ご注文のプレミアムバニラソフトでございます」

え?

中年女性の店員さんがこちらを見て、コーン付きのソフトクリームを差し出してくる。私は何が起こったのかよくわからず、咄嗟にそのソフトクリームを両手に受け取ってしまった。

「では、ごゆっくり。」

え?ええええええええ!?

これ私の注文じゃない。店員さんに言わなきゃ。

両手はソフトクリームで塞がっている。フリフリッ。私は大きく首を左右に振った。

が、時すでに遅し。すでに背を向けた店員さんは気付いてくれない。

「あ、あ、あ」

言わなきゃ、言わなきゃ!私のじゃないって!店員さんの背中に精一杯声をかける。

しかし現実は11月の吹きすさぶ風よりも冷酷だ。店員さんは、通路を進むと左折。そのまま厨房へと戻ってしまった。

どうしよう。このソフトクリーム…。

ワッフル生地のコーンカップの上に、くるくると高く巻き上げられたソフトクリーム。甘いバニラの香りが漂う。

テーブルの上かどこかに置こうと思うが、ソフトクリームスタンドなんてあるはずもなく、自分の手で持っているしかない。

私はまたきょろきょろと周りを見渡す。

夕食時のピークは過ぎたとはいえ暇というわけではない。店員さんは注文を取っていたり、テーブルを片付けたり、料理やドリンクを運んだりしている。

うぅ。どうしよう…。人見知りには、見も知らずの店員さんに声をかけるのはハードルが高すぎる。

しかも、さっきの優しそうな女性店員さんは厨房に戻ったまま。出てくる気配がない。フロアにいるのは男の人ばかりだ。

ううう…。

間違って受け取ってしまったソフトクリームを握ったまま、5分、10分と時が経った。そろそろ、注文したブレンドコーヒーを店員さんが持って来てくれてもイイ時間なんだが、まだ現れない。何かあって、忘れられてしまったんだろうか…。

ひとりパニくっていると、大変なことになっていることに気が付いた。

「…っ!」

融け始めてる!

高く巻き上がったソフトクリームの角は、すでに形を崩していた。融けたソフトクリームが頂上から裾野に向かってタラ―と滑り落ちていく。

どうして、よりによってソフトクリームなの…

頭上を見上げると、天井に設置されたエアコンが温めた空気を吐き出している。

店内は賑わい、仕事を終えたサラリーマンや、部活帰りの高校生、夕食を済ました家族連れが、しゃべり、笑い、手をたたく。

その熱は確実に室内を満たす窒素や酸素、二酸化炭素分子へと伝導し、分子の熱運動を活発にさせる。その熱エネルギーの行く先は、手元のソフトクリームも例外ではない。

コーンカップに隔てられているとはいえ、手のひらからも熱エネルギーが流れ込む。

固まったアイスがマイナス20℃前後で保存されているのに対し、柔らかいソフトクリームはマイナス7-5℃まで温められて客さんに出される。それゆえ、触感は柔らかく、より強く甘さを感じるようになるのだ。アイスクリームの最高の状態と言っていい。しかし、その事実は同時に、『融けやすい』という現実を私に突き立てる。

ソフトクリームは、徐々にその姿を変えつつあった。

まずい。

融け出したソフトクリームを舐めちゃおうか…?でも、これは他のお客さんの注文。そんなことしたら泥棒だよね…!?

ソフトクリームを支えるコーンカップが本当に頼りなく見える。高く襟のついたワッフルコーンカップは、ちょっとばかりソフトクリームが融けたくらいで零れるような形はしていない。本来なら、ソフトクリームと一緒にいただいて、アクセントとして楽しめるコーンカップなんだ。しかし、状況が状況過ぎる。

その縁に生み出された白濁したダム湖は徐々にその水かさを増していく。

表面張力で盛り上がった液面が、ゆらゆらと波打ち始めた。

やばいっ。ダムが崩壊する。

咄嗟に、コーンカップを傾けて、ダム湖の水を高い襟のついた方へと移動させる。

必死にキープ!これ以上傾けると、ソフトクリームの塔が傾いて倒れてしまいそう。

うううううう。どうしよう…。助けて…。

改めて周りを見渡してみるが、店員さんの誰一人私に気づく様子がない。

話しかけることができずひとり格闘しているうちに、巻き上がったソフトクリームはますますその形を崩して行った。初めくっきり分かれていた渦巻の溝はべちゃっと互いにくっ付き、ドロッとした塊になっている。

『その時』が確実に近づいて来る。

あーっもう…。お願い、誰か私に気づいて…。

すると、厨房からさっきの優しそうな女性店員さんが出てくる姿が見えた。手元にはコーヒーカップ。

私が注文したブレンドコーヒーだ!

気づいてっ。早く私に気づいてっ!

私は通路に顔を出して必死にアピール!

店員さんは、角を曲がってこちらに近づいてくる。

やった。助かった…!

ところが、手元を見ると融けたソフトクリームの表面張力も限界。コーンカップの縁でこんもり盛り上がっている。

少しでも振動を与えたら、ダムが崩壊しかねない。

負けないで!もう少しっ。

最後まで耐え抜いて!

私は全神経を指先に集中させた。

ん!と息を止める。

ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ーーー!(零れないでーーー!)

これぞ書道で磨いた集中力。わずかな振動すら与えないっ。

時の流れはスローモーション。1秒が10倍長く感じられた。

コツン、コツン。ゆっくりと、でも確実に近づく足音。

あと5メートル。耐えて!コーンカップ・ダム!

あとちょっと!そう思ったとき…店員さんは踵を返して右に曲がると、喫煙ルームへと消えて行った…。

「…」

情けない。情けなさすぎる。

結局、私の注文したブレンドコーヒーは、テーブルには届かなかった。たぶん間違って他のお客さんの所へ行ってしまったんだろう。悪運は重なるものだ。

私は喫茶店の一番奥の席で、ダムが崩壊したソフトクリームを握ったままじっと耐え続けた。

その後和也君が喫茶店に到着した時には、ダムを越えたソフトクリームがテーブルの上で白濁した沼を作り、手元はドロッと融けたソフトクリームまみれになっていた。

死にたい…。

この喫茶店には二度と来ない。私は心にそう誓った。

 

「墨ちゃん、遅れてマジごめん」

「うぅぅぅ(涙)」

私はテーブルに突っ伏せて涙に暮れていた。

和也君が悪いんじゃない。人見知りの私がいけないんだ。情けなさすぎて、恥ずかしすぎて、心がぐちゃぐちゃだ。トラウマになりそう。

これからはソフトクリームを持った店員さんが近づいてきたら気を付けないといけない。

私の要注意人物ランキングは、大幅更新。硯と遊びたがる幼稚園児を抜き去り、『ソフトクリームを運ぶ店員さん』がぶっちぎりのトップになった。

レンタル彼女の仕事で、少しはマシになったと思っていた。

でも両手を塞がれボディーランゲージが封じられてしまっては、こんなに何もできないなんて。

あれから和也君が融けたソフトクリームを握った私に気づいてくれて、店員さんを呼んでテーブルまで拭いてくれた。本当に申し訳ない。

「服とか汚れてない?」

幸い、融けたクリームが溢れだしたのを見て袖をまくったので、服は汚れなかった。

テーブルに頭を付けたまま、これ以上下がらない頭をさらに下げて『大丈夫』と頷く。恥ずかしすぎて顔上げられない…。

「えっと、今日はキャンセルにしてまた今度にする?」

そう言って和也君は気遣ってくれる。

ダメっ!これ以上迷惑かけられないっ。

今日和也君は何か話したいことがあって私をレンタルしてくれたはず。ペしっぺしっと手のひらで両頬を叩いた。

千鶴ちゃんの言葉を思い出す。

『誰でも失敗はあるものよ。大事なのは、その失敗を次に生かすこと。そうやって前を向いていれば、失敗を責められる人なんていないわ。』

気持ち切り替えなきゃっ。これ以上和也君に気を遣わせられない。

私は面を上げた。

「…大丈夫、へいき」

「墨ちゃん、ホントに無理してない?」

コクリコクリ。大丈夫と答える。

私はプロの彼女。しっかりしなきゃ!

私が落ち着いてくると、和也君は話しを始めた。

「うちの大学でも講義始まったんだけど。俺、経済理論取ってて。その先生の話し方がさかなクンっぽくてさっ。墨ちゃん…さかなクン知ってる?」

自宅のハイギョの食欲が旺盛だとか、大学の先生の話し方が面白いとか、近所の餃子屋が値上げしてエンゲル係数が上がったとか。

うんうんと私は頷く。

私も時よりスマホ伝いに話をする。

「硯…私が飼ってる犬…」

ちょっと前に硯を散歩していたらリードが外れちゃって大変だったお話は、きっと笑ってくれるかなと思って、今日話したかった。

あのまま街へと飛び出して行ってしまったら、きっと好奇心旺盛な硯を捕まえるのは大変だった。結局、硯が他のお家の子に夢中になっている間にリードを付け直したんだ。

和也君とデートは2か月ぶり。なんだかこの感じも久しぶりだ。

他の客さんとのデートでも、前よりは自然に相槌が打てるようになったと思う。でもやっぱり、和也君が『彼氏』のときは、あまり緊張しなくてたくさん話せる。

凹んでいた私の心も満たされていく。

「へへっ」

スマホ伝いに話をしてると、自然と笑顔が戻ってきた。

 

…でも、少しおかしいなと思う。今日は何か相談事があったんじゃないの?千鶴ちゃんが事務所を辞めたことを思い出す。

それに今日の和也君は、少し元気がなさそう。いつもより弱弱しい声で、なんだか表情も浮かない。

不安になってくる。

私が今日迷惑かけたから…?怒らせちゃった?

私はスマホを取り出すと、画面を和也君に向けた。

〈和也君、何かあった?元気ないみたい。〉

「いや、いつも通り。全然げんきっ」

いつも通りと言われたらそうなのかもしれないけど、なんだか無理に笑ってるみたい。

どうしよう…?やっぱり落ち込んでる?

私は和也君の顔を見上げては、小さな脳みそをぐるぐると回転させた。

今日の失敗、挽回しなきゃ。和也君が落ち込んでるか分からないけど、今は『彼女』なんだから、楽しく過ごしてもらわなきゃっ。

また、ぺしっぺしっと、手のひらで自分の頬を叩いた。

「す、墨ちゃん?どうかした?」

フリフリ。横に首を振って誤魔化すと、スマホ画面に文字を書き込み、和也君に向けた。

〈映画の上映会どうだった?〉

話題を振って、うんうんと頷く。

「あー。お客さんの反応も良かったよ。やっぱ、水原すげぇなって」

おうっ。パチパチパチ。私は胸元で両手を何度も合わせる。

〈和也君もちづるちゃんもすごいよ!凄くがんばってたから、たくさんの人に見てもらって私も嬉しい。〉

千鶴ちゃんと和也君の映画は、ホントに素敵で胸が熱くなった。ほんのちょっぴりだけど、ふたりに協力できたことが今でも嬉しい。私も自然と笑顔がこぼれる。

「ははっ。ありがとう。…そうだね。水原もそう言ってもらえて嬉しいと思う…」

千鶴ちゃんのことなのに、なんだか浮かない顔…。

居心地が悪いのか席を立ってしまった。

背中を見送りながら、やっぱり不安になる。

…和也君、何かあったのかな。いつもなら千鶴ちゃんの話になると、すごく楽しそうに話してくれるのに。

和也君が席に戻ってきた。

和也君は、その後まるで私との会話が途切れてしまわなようにしてるみたいに、次から次に話題を見つけては自分の話を続けた。

やっぱり今日の和也君、おかしいよ…。

「墨ちゃん、ちょっと早いけど、そろそろ出ようか」

私に外に出るように促すと、和也君はコーヒー代の清算を済ませた。

…どうしよう。今日の和也君、絶対いつもと違う。ただお喋りして終わり?

やっぱり千鶴ちゃんのことで相談したいことがあるんじゃないかな。事務所辞めたこと、和也君はもう聞いてるのかな。そのこと、今日話したかったんじゃないかな…。

うぅ…。でも、どう聞いたらいいか分かんない。聞いていいのかも分かんない。

「今日はありがとう。楽しかった。…じゃ、またね」

そう笑顔で強がって見せる。

…心配。

背を向けた和也君を見て、私は咄嗟に彼の上着の袖を掴む。

「…」

「…墨ちゃん、どうかした?」

私、和也君に迷惑かけちゃっただけで、彼女として何もしてあげられてない。楽しんでもらうことも、元気づけることも、話を聞いてあげることも。

ちゃんと聞きたい。

私はスマホを取り出した。

〈和也君、今日元気ない。私心配。〉

「…ごめん心配かけちゃって………」

和也君は何か言いたそうに、でも言っていいのか迷ってるみたいに口ごもっている。

目が右へ左へと揺れて落ち着きがない。

私はじっと返事を待った。

「…バレバレだったね。なんつーか、その…」

『バレバレ』…やっぱり悩んでることあったんだ。私はまたスマホ画面を見せる。

〈ちづるちゃんと何かあったのかなって〉

「…っ。まぁ、そんなところ」

〈ちづるちゃんが事務所辞めたこと?〉

和也君の瞳がぱっと見開く。

「…マジかよ…最悪だ。全部俺のせいじゃねーか…」

うつむいて歯を食いしばると、低く硬い声でつぶやいた。

え?和也君、千鶴ちゃんが事務所辞めたこと聞いてなかったの?聞いちゃまずかったやつ?何やってるんだろう私。

「…ご、ごめんな…さい…」

「いや、墨ちゃんは全然悪くないから、気にしないでっ」

誤魔化してるけど、さっきの顔はただ事じゃなかった。千鶴ちゃんが事務所辞めたことと、和也君は何か関係があったんだ…。きっとそれで今日は私に相談を…。

私には何にもできることないかもしれない。でも、千鶴ちゃんと和也君のことなら放っておけない。

「…わ、私…和也君の話、…聞きたい」

和也君は私から視線を外して、しばらく考えた後、

「もう少し、いいかな…?」

良かった…。

コクリ。私は頷いた。

 

私たちは、近くの人気のない公園に行った。日が落ちた後は子供たちも居なくて、込み入った話をするにはこういうところがちょうどいい。喫茶店での和也君の様子を見ると、きっと話しにくいことなんだろう。静かな場所の方がきっと話せることもあると思う。

幸い人影はなく、時折目の前の通りを家路に向かう人たちが通り抜けていく。

私たちは、自販機で温かい飲み物を買って手元を温めると、公園の灯りに照らされたベンチに向かった。

和也君が何に悩んでいるか分からないけど、ちゃんと聞いてあげて少しでも力になってあげなきゃ。

和也君が腰を掛けると、私もその隣に座った。

「墨ちゃん、ココまでさせちゃって、ごめん。あとで延長料金、請求してな」

私は何も答えず、うつむいた和也君の目線に合わせて、彼の横顔を見やった。

 「…こんなこと墨ちゃんに話すことじゃねーって分かってるけど、マジでごめん…。誰かに聞いてもらわねーと、もう爆発しそうで。それで今日墨ちゃんをレンタルしたんだ…。」

和也君は千鶴ちゃんのことで私に相談があった。

ホントは喫茶店にいた時から話したかったんだ…

きっとすごく辛いこと…こんな和也君見たことがない。キューッと私の胸も苦しくなる。

コクリコクリ。言葉を引き出すように、私はうんうんと頷いた。

和也君は一呼吸置いた後、ゆっくりと話を始めた。

「…水原のことなんだけどさ。俺、水原にめちゃめちゃ迷惑かけちゃって。水原が事務所辞めたのだって、きっと俺のせい…。」

私はゆっくりと相槌を打つ。

「…笑わないで、聞いてくれるかな…? 」

「うん」

「あははっ、なんでだろう、墨ちゃんになら何でも話せる気がする。…水原のこと、…その…す、好きでさ…。笑っちゃうだろ、レンカノにガチ恋だなんて。マジで迷惑でしかねー。それで、映画も作って、ちょっとは信頼されてるのかなって思って…。で、最近イイ感じとか調子乗っちまって。いっちょ前に、告白の言葉とか考えたりさ。笑えるだろ?水原はレンタルだってのに」

…告白。和也君が千鶴ちゃんに振られちゃったってこと?和也君が千鶴ちゃんのこと好きなのは分かってたけど。でも、そんな事って…?

こんな話、私が聞いていいのかな。恋愛事のいざこざなんて初めて聞くし、どうしよう…。うぅ、身体が緊張してきた…。

フルッフルッ。私は首を振って気を取り直す。

「かずやくん…、私、聞いてるから…」

「…うん。めっちゃ助かる。ははっ」

やっぱり本当に落ち込んでるんだと思う。無理に笑って、平気なふりをしてるみたい。

和也君は一度口を閉じて迷いながらも、ちゃんと私に話してくれた。

「…俺のこと…『何とも思ってない』って言われた」

「…!?」

「そりゃそうだよな。水原にとっては、俺はただの客なんだからさ。いや、むしろ相当迷惑な客で…。水原、すげぇいい奴だから、こんな俺にも協力してくれてただけで…」

…まさかそんな。千鶴ちゃんがそんなふうに言うなんて想像してなかった…。確かに和也君は千鶴ちゃんのお客さんだけど、一緒に映画つくってる二人見てたら、本当に素敵な恋人同士みたいだった…。

和也君の話をする千鶴ちゃんはいつも楽しそうで、それを見ていたら好きじゃないなんて思えないくらいだったのに。

好きな人にそんなふうに言われたら、すごく辛い…。

和也君は歯を食いしばり、喉を詰らせながら、一言一言こぼれる様に話しを続けた。

「…っ。俺、水原にまた迷惑かけて、事務所まで辞めさせちゃって…。…水原の支えに…なりたいって思ってんのに、そう思ってたはずなのに…。う、うぅ…。逆に…迷惑ばっかかけて…。マジ俺何やってたんだろうって…。こんなことになるなら、借りなきゃ良かったって…。俺もう、いくら謝っても、謝り切れねーつーか…」

「…」

「だっせえよな。最低だよな…っ。嫌われてるのに…何度も何度もレンタルして…っ。いっそ、水原にさ、ストーカーだとか、鬱陶しかったとか、徹底的に責められた方が楽になるのかな…」

目から溢れだした涙が、頬を伝わってぽたぽたと地面へと落ち、いくつも斑点を作っていく。うぇっうぇっと何度もしゃくりあげた。

辛そうな和也君を見て、私の胸はさらに締め付けられた。

告白した後、和也君と千鶴ちゃんに何があったのかは分からない。でも、そのせいで和也君は自分を責めてしまっている。千鶴ちゃんに迷惑かけてしまったことも、ずっとレンタルし続けたことも、もしかしたら出会ったことさえも。

千鶴ちゃんがそんなふうに思ってるはずないのに。

私は、固く握られた和也君の拳の上に、自分の手のひらを重ねた。

重ねた手に涙が零れ落ち、泣きむせぶ震えが伝わってくる。

共鳴するように、私の目からもぽろぽろと涙があふれ出した。

「…大丈夫。ちづるちゃん…かずやくんのこと…迷惑だなんて思ってない…」

「うん…」

しかし、和也君はそう私の言葉に合わせるように答えると、また口を堅く結んだ。

肩が震えてる。

その後も、何度もごめんごめんと繰り返した。

私にはそれ以上、和也君にかけられる言葉が見つからない。

私、和也君に何も言ってあげられない…

泣き続ける和也君を見守りながら、重ねた手のひらが硬くなるのが分かった。

唇を噛む。

無力な私は、ただ手を握り、自分を責め続ける彼の横顔を見守しかなかった。

そうやって何もできないまま、公園の時計が刻々と時間を刻んで行った。

和也君がまた力ない声で私に話しかける。

「こんな話、聞かせちゃってマジでごめん…。墨ちゃんにも頼ってばっかりで…。俺…何にも変われてねーな…」

「…っ」

………ちがう。変われてないのは私の方だ。

和也君はいつだって一生懸命だった。

千鶴ちゃんのために何かできないかって、ずっと考えてた。

映画のときだって、千鶴ちゃんがおばあさんを亡くしたときだって、そうだ。

自分にはできないかもしれないって悩みながら、それでも立ち上がって前向いてた。

なのに私は…!私は、和也君が本当に苦しいときに、何もしてあげられないっ。

きっと苦しくて仕方がなくて、誰にも話せなくて、私を頼ってくれたのに。

きっとこうやって話すことだって、すごく勇気がいったことなのに!

―――いま和也君のために私にできるコト…。

何て言葉をかけてあげたら、和也君の気持ちを少しでも軽くしてあげられる?

『彼女』として、私に何ができる?

私は口元をきゅっと結び直すと、面を上げ、和也君の方へ向き直った。

「…かずやくんっ」

「…?」

私の気持ちをうまく言葉にできるか分からない。こんなこと、私なんかに言われても何の励みにもならないかもしれない。

でもっ、和也君の心が少しでも軽くなるなら、伝えよう、私の気持ち!

私は目に溜まった涙を振り払って、スマホに思いをつづる。

画面をかざす。

 

〈ちづるちゃんは私の事務所の先輩で、いつも私のこと気にかけてくれてて。それで和也君に練習お願いすることになって。〉

 

〈それまで私、全然自分に自信なかった。すぐに緊張しちゃって、いつもお客さんに迷惑かけてばかり。お喋りも全然ダメで、クレームもらうこともあって、すごく落ち込んでた。〉

 

〈でも和也君が、こんな私でも『彼女』できるって言ってくれたから。私、和也君に、たくさんたくさん勇気もらったよ。〉

 

「…墨ちゃん…?ありがとう。やっぱ墨ちゃんずげぇいいコっ」

こんな辛いときでも和也君は、いつもみたいに私を褒めようとしてくれる。

フリフリッ。私は大きく首を横に振った。

伝えたいことはそれじゃない。

「墨ちゃん…?」

和也君は戸惑ったようにこちらを見ている。

それを横目に、必死に思いをつづった。

 

〈何もできないって思ってた。でも、和也君と一緒なら笑ったり手を繋いだり、たくさんのことができた。こんな私でも、できるかもって自信もらえた。和也君とデートして初めて、レンタル彼女のお仕事が楽しいって思えたよ。〉

 

〈だから、この仕事のことも夢のことも、諦めなくてイイんだって。前向いて頑張ればきっとうまく行くって。いつも一生懸命な和也君を見てると、私も頑張らなきゃって思えたよ。〉

 

「今でも…私、こんなに喋れてるのが…不思議なくらい…」

「…ははっ。レンカノとしてどんどん成長してるっていうか…」

「ちがうっ!」

「…?」

「私、かずやくんと出会えて…ホントに…良かった…」

「………墨ちゃん」

あの日言いかけて誤魔化してしまった、私の気持ち…ちゃんと伝えたい。

和也君は、ダメな私にも気を遣ってくれて、優しくて、頼りになって、一生懸命で、カッコいい男の子なんだよって。

傍にいるとドキドキして、少しでも知りたくて。

ありがとうって言ってくれるだけで嫌なこと全部忘れちゃうくらい嬉しくて。

ただ会えるだけで一日中ずっとキラキラしてた。

でも、千鶴ちゃんのことで一生懸命な姿を見ると胸が苦しくて…。

こんな気持ち初めてだった。

和也君と出会えたから、私はずっと前を向けてた。

生まれて初めて『未来』を信じられた。

レンタルしてもらって、本当に救われてたのは私の方。

 

「かずやくんは、…私の…最高の『彼氏』だよ。だから自分のこと…悪く言わないで…」

 

涙でぬれた顔で、それでも目一杯の笑顔で答えて見せた。作り物なんかじゃない、心から素直な『好き』の気持ちを込めて。こんなに好きだって思える人は初めてだったんだよ。

突然のことに和也君はしばらく戸惑った様子でいたけれど、少しずつその表情が和らいで行くのが分かった。

強張っていた口元も緩んで行く。

和也君は身体を起こすと、はにかんで笑って見せた。

「…ありがとう、墨ちゃん。まだ信じられねーつーか、墨ちゃんがそんなふうに思ってくれてたなんて、思いもしなかった。嬉しいつーか。恥ずかしいつーか」

私は大きく頷く。

「分かった。もう自分のことは悪く言わない」

和也君の声は再び輪郭をもって、力がこもっていた。

それを聞いて私の肩からも力が抜けた。

良かった…。私の口元も自然と緩む。

「でも、墨ちゃんが、いろいろできるようになったのは、墨ちゃんの頑張りがあってこそだよ。今日も、墨ちゃんに叱られるなんて、すげえ驚いた…」

「へっ…?」

力が抜けたら脳みそが働きだしたのか、自分がやってしまったことを理解した。

うぅ!!!『最高の彼氏』だなんて、私なんてこと言っちゃったんだろう!顔がどんどん熱くなる。ホントに顔から火が出そう。目がくるくると回り出して意識がどっかへ行ってしまいそう。

「うぅ…うぅ」

ベンチで両ひざを抱えて丸くなる。

顔合わせられない…っ。

「す、墨ちゃん!?ごめん、めっちゃ無理させたみたいっ」

血が上って熱くなった顔はなかなか元へと戻らない。

ほとんど『好き』って言ってるようなものだよね!?変な子だと思われてない?大丈夫、私?

恥ずかしくなり、恥ずかしさが止まらない自分も恥ずかしくなり、恥ずかしさのエンドレスループ。

「墨ちゃん、大丈夫っ?」

「あ、う、あ」

「一度深呼吸しようか?ね?」

「すーはぁ、すーはぁ」

和也君、今は離れてくれてた方がイイかもっ。うぅっ、うぅ!!!

10分ほどして、ようやく緊張が解けてきた。

まだ血の気のひかない赤い顔のまま、私はスマホ画面を和也君に向けた。

 

〈ちづるちゃんも、きっと私と同じ気持ち。こんなに一生懸命思ってくれる人、嫌いになれるはずないよ。〉

 

「…墨ちゃん、マジでありがとう。少しだけちゃんと水原と向き合う勇気出てきた。水原が俺のことどう思ってんのか分かんねーけどさ。『自分なんて』って勝手に思い込んで、勝手に決めつけて、このまま会わずに終わったら、それこそ何のために『彼女』レンタルして来たんだって話だよな」

「うん!」

そのとき和也君がスマホを手にとり、立ち上がった。

「あ、さっき水原から着信あったみたい…」

はるか遠くを見つめる和也君の瞳。出会ってから何度も見たその瞳。その視線の先には、いつも千鶴ちゃんがいた。

私はもう『好き』とは言葉にはしない。和也君がそれを望んでないから。でも、和也君との時間が、どれだけ素敵で、どれだけ私の背中を押してくれたのか、知って欲しかった。

がんばって和也君。きっと大丈夫。

和也君がこちらを振り向く。

私は両腕の手のひらを握って見せた。

フンッフンッ。

「じゃぁ、帰ろっか」

「うん」

私たちは公園から通りへ出て、街の灯りの中を駅まで向かった。

 時より横を歩く和也君の顔を見ながら、まだまだ私の顔には緊張が残ったままだ。いつもの距離感なのに、少しこそばゆくなる。

「じゃぁ、俺ココから乗るから」

帰りの駅に着いた。私は手を振って和也君を見送る。

「うんっ、墨ちゃん!じゃあ!また!…あっと、言い忘れた。墨ちゃんは俺にとっても、最高の『彼女』だったよ!」

白い歯を見せると、迷いなく私に背を向けた。駅の入り口の階段を駆け下りていく。

へへっ。『最高の彼女』だって。

また顔を赤くしながら、思わずにへらと笑ってしまった。

ありがとう和也くん。

ちゃんと私の気持ちを伝えられて良かった。

いつか誰かを好きになって、その想いを口にしたら、きっとまたこんな気持ちになるんだろう。恥ずかしくて、でもどうしても伝えたくて。

その背中を見送りながら、寂しさを感じないと言ったらウソになるかもしれない。でも、私の心は、これから始まる『未来』への期待で満ちていた。

私も頑張らなきゃ。

両腕の手のひらをぎゅっと握りしめた。

明日には初めてのお客さんとのデートだ。挨拶だって緊張するし、正直怖い。ちゃんと目を合わせて話せるか、うまく笑えるか、考えるだけで緊張してくる。

でも、きっと私は大丈夫。

私は自分の小さな身体に夜の街の空気をめいっぱい吸い込んだ。ふぅーっと大きく吐き出す。

しっかりと前を見据えると、少しだけいつもより大きな歩幅で、明日へ向かって歩き出した。

 

(おしまい)

 

 

【あとがき】

はいどーも!甲楽わんです。最後まで読んでいただきありがとうございます。

この話は半年以上前からの妄想です。

2年ぶりに麻美ちゃんが登場したとき(180話くらい)から、和也と千鶴がすれ違ってしまって最悪の事態が訪れるかもしれない、なんて想像してました。

もし千鶴が間違って和也に嫌いだと言ってしまったら、ふたりの嘘がバレて千鶴が嘘つきになってしまったら、これまでのことが事務所にバレて千鶴が辞めることになったら、和也は千鶴にしてきたことすべてを後悔するんじゃないかな。

でも、そんなときまた墨ちゃんが励ましてくれるハズ!

妄想の中で、「好きだよ」「カッコいいよ」って言っちゃう墨ちゃんがイイ子過ぎて涙。

ちなみに、裏で千鶴は和おばあさんと会っていて、ちゃんと和也と向き合う覚悟を固めてます笑。

当初の妄想では和也視点だったのですが、墨ちゃん視点でも面白いかなと思って墨ちゃん奮闘記にしました。コレ書いてるときは、ずっと墨ちゃんになってましたね笑。

ソフトクリームで墨ちゃんにイジワルしてごめんなさい。