【雑談】”演技力”の漫画家? 宮島礼史 | 恋心、お借りします

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【雑談】”演技力”の漫画家? 宮島礼史

 

 

はいどーも。かのかり楽しんでますか?

 

先日、宮島さんのyoutube配信を見まして、自分の感じていたこととすごく一致することをおっしゃていたので、今日はそれについて雑談です。

 

 

こちらのyoutube配信で、こうおっしゃっていました(だいたい29分あたりから)。

 

 

演技力ってありませんか

やっぱ表情描くとき その顔してませんか?

 

脳内では 完全に墨ちゃんになりきって 演技してるわけですよ

演技だけで セリフなしで 見せる瞬間とか 僕はあって

 

自分で漫画描きながら 泣いてみたいなことをよくやるんですけど

それもだから もしかしたら演技で泣いてるんじゃないかなって思う

最近は思うことがあって

別にシナリオ読んで いい話だなって思って泣いてるわけじゃなくて

描いてる瞬間の感情になってるから

キャラが泣いてるから 泣いてるんじゃないかとか 思うときが最近あって

 

それが気持ちよくもある

 

 

 

宮島さんの演技力、「彼女お借りします」からはめちゃめちゃ感じます!演技ができてしまうから、生まれる言葉、表現があるんだなって思いますよ!

 

 

 

  演技は決して嘘ではない

 

◆私はその”真実”が好きよ 150話 

 

私はその”真実”が好きよ

たった1つの真実を表現できるのなら

99個の嘘をついたって構わない

演技の本質はむしろ

そっちにあるんじゃないかと 思ったりする

 

宮島さんは、こういう言い方で”演技”について、小百合おばあちゃんに語らせます。

 

実際に演技をやっている役者として僕の感覚を話すと、全く違いますね…。50%くらいは真実です。これは、物語をつくる”作家”の言葉だなという印象です。

 

しかし、こういう言い方で演技を捉えているだけで、宮島さんの物語の描き方や、キャラクタの気持ちの表現方法を見ると、まさに役者の感性が溢れてるなと思います。舞台の台本を書いたり、演技をしても絶対にうまいんだろうなと思ってしまいます。

 

演技の本質は決して、嘘をついたり、真似をしたり、それっぽい雰囲気を出すことではありません。物語の中の”嘘”を、リアルに感じることだからですね。

 

舞台の上で役を演じる役者はいろいろ考えてます。立ち位置がどうのこうのとか、お客さんに見やすい身体の角度とか、セリフのテンポとか、キャラの個性だとか。でも、本質的にやっていることは「役の生きてきた人生を背負って今を生きること」という感じです。そこで生まれる感情は、そこそこ本物です。そうじゃなきゃセリフなんて言えません。

 

実際には100%とか難しいですよ。役と自分には、性格も価値観も、経験してきたことにも、大きな差があります。でもその差を何とか埋めようと、頑張るんです。舞台の上で、キャラクタから見た世界を感じられるように頑張るんです。それが台本を読む、稽古をするという作業ですね。

 

宮島さんがいう「完全に墨ちゃんになりきって」「描いている瞬間の感情になっているから」とういのは、まさに演技をしている役者の感覚です。

 

 

 

  気持ちの流れ

 

演じるときに特に重要な要素になってるのが、”気持ち”ですね。

 

たとえば役者は、”嬉しい”という感情を出そうとしたとき、「嬉しいという感情になろう」と頭で考えてるわけじゃないです。嬉しいときの身体の動きはこうで、声のトーンはこうだ、なんてことも考えてません(ピエロとかを除けば)。今目の前で起こっていることを感じるから、嬉しくなってしまうんですね。

 

ミスドのドーナツ食べたーい

 

この気持ちだって、「食べたいという感情になろう」と思っているわけではなく、舞台の上にエンゼルフレンチがあって食べたいと感じるから、自然に湧き上がってくるんです。舞台にないなら、エンゼルフレンチを思い浮かべます。そうやってこの気持ちを作ってしまうんですね。すごく分かりやすい例を挙げるとこんな感じ。

 

気持ちを動かすときに大事なのが、今自分に与えられた状況を感じること。舞台で起こっていることを感じることです。それができれば、気持ちの表現もできちゃいます。

 

きっと この状況だったら…

こう感じるし

こう振舞うだろうし

こういうこと したくなるだろうなぁ

 

この役なら、こう振る舞うはずだって見えて来ます。

 

私はしないけど…

きっと この子の性格なら こういうこと思うんだろうな

こういう言い方するんだろうな

 

役が自分と違う性格で、自分はこういう行動は難しいだろうな、こういう言い方は難しいだろうなと思っても、今この場にある”状況”を感じることができれば、ちゃんと気持ちが付いてくる。その役として自然に振舞うことができるという感じ。

 

完全にその子になることは難しい。でも、その子の隣で一緒に人生を生きて、共感してあげるくらいはできる。演じるとは、そんな感覚に近いのかもしれません。

 

宮島さんは、この”気持ち”の部分をすごく大事にしています。特に千鶴に関しては、この話でこう感じたから、次はこういうことを言う。んで、さらにそこでこう感じたから、次はこういうことを言う。その繰り返しです。「水原千鶴の恋物語」を書いてみると、それはものすごく感じてしまいます。だから僕もちゃんと”気持ちの流れ”を書かないとっ、と思ってしまったんですね。

 

◆私が…カレシ作った時…おばあちゃん…どう思った…? 13巻112話

 

千鶴が自分の恋心を自覚した後(86話)、小百合おばあちゃんに相談しています。恋を自覚したら進むのが当たり前、省略しても読者は問題なく読めてしまうかもしれません。でも、今の千鶴の状況を考えたら、そんなことさせられないんですね。このとき千鶴は不安でいっぱいです。嘘の恋人関係から始まった恋ですし、和也が振り向いてくれる保障なんてどこにもない。むしろ「おばあちゃんに”別れる”って言いたくない」といったあの日、和也からは「付き合ってないだろ…?俺立ち…」とまで言われてしまっているんです(91話)。だから宮島さんは千鶴ならきっとおばあちゃんに相談に行くだろうと考えたんだと思います。そこで「彼ほどあなたに相応しい人はないわ」と言ってもらうことで、千鶴が”和也を好きでいていいんだ”と思うっていう「気持ちの流れ」を作ったんだと思います(【解説】千鶴が和也と恋人になろうと決めた瞬間

)。

 

◆好きじゃない でも 好きじゃなくもない 127話

 

海くんに和也が”好き”だと言ったときだって、わざわざ言わざるを得ない状況を千鶴に与えてるんです。クラファン最終日どうしても和也の元へ向かわなければならない状況、海くんにアプローチされたうえ「和也が好きだ」とバレしてしまっている状況ですね。そこまでして、「”好き”と答えなければいけない」という気持ちを作ってるんですね(【解説】好きじゃない でも 好きじゃなくもない)。

 

 

 

「彼女、お借りします」では、キャラクターの設定だったり、キャラクター同士のエンカウントだったりは、すごく嘘っぽいんです。麻美との対決のとき、千鶴と麻美が和也のバイト先に現れたのなんて、まさにご都合主義です。そんなことあるわけがない。

 

でも、そこで生まれてくる気持ちは、何一つ矛盾がない。リアルな”気持ちの流れ”がある。それは、嘘の世界を生きたキャラクターたちに生まれた”真実”ですね。

 

 

 

  他のキャラクターとの関係性

 

そして、宮島さんがもう一つ大事にしているのが、キャラクター同士の関係性ですね。これは、きっと物語を書く作家としてもすごく考えていることだろうし、演じるときにもめちゃめちゃ重要な要素です。

 

たとえば、あなたが会社で「書類のコピーをお願いしたい」と伝えるときを想像してみてください。

 

その相手が、ほとんど面識のない上司なのか、普段仲良くしている同僚なのか、実は自分が密かに恋焦がれている人なのか、もう何年も付き合っている恋人なのか。そういう違いで、選ぶ言葉も、態度も全然違ってきますよね。

 

この関係性を間違ってしまうと、演技は成立しないんですね。普通に物語が分からなくなるレベルで舞台が崩壊します。

 

宮島さんは、この関係性をめちゃめちゃ意識して描いてます。千鶴は、役者のコミュニティーにいるときや和也の家族といるときには外の顔してますし、墨ちゃんの前では先輩の顔してます。和也の前ではだいだい素の表情してますが、男の子として意識してるときはそっけなくしたりします。小百合おばあちゃんの前では、ほとんど素で一番楽にしてます。

 

物語の中で、和也と千鶴の関係性はどんどん変わっていきます。ただのお客から始まり、ほっとけない人、私の味方でいてくれる人、好きな人、いつか私を支えてくれる人まで。その関係性が変わったとき、和也の前での振舞の変化を、印象的に見せてます。

 

 

◆和也に励まされ仲良くしたいと思った後 学内であいさつ 61話

 

 

◆デートでの接し方も変化する 79話

 

 

◆恋を自覚した後 和也を意識してしまう千鶴 106話

 

 

◆和也の本心を知った後 海くん主催のパーティーでのサラダシェア 179話

 

和也に女優として励まされるようになった後、彼に傍にいて欲しいと思った後、恋心を自覚した後、和也の本心を知った後、ことあるごとに確実にそれまでとは違う水原千鶴を描いてるんですね。当然、デートでの接し方も変わります。

 

学内であいさつする。一緒にサラダを食べようと言う。そんな些細な行動に、意味を付けてしまうんですね。とても素敵なシーンにしてしまうんです。

 

そんな宮島さんが、レンタル彼女と客という、物語の核となっている関係性を意識しないワケがない。一番千鶴に感じさせている和也との関係性だと思います。

 

和也さんは私の”彼氏”です
レンタル彼女に本気になるほど 馬鹿な人じゃないわ

好きじゃない でも 好きじゃなくもない

最高の彼女作らないと許さないからっ

 

和也との関係性への拘りに、そこを見せたいんだという意思に、”演技力”の漫画家さんだなぁと僕は思ってしまいます。

 

 

 

宮島さんは、ほとんど千鶴には本心を語らせません。それはきっと、演技力があるからこそ、彼女の振舞や行動で「和也が好き」を表現できてしまうからなんでしょう。こんなに「好き」なのに素直にデレさせない、唯一無二のキャラとして成立させてしまうんですね。

 

彼女の置かれてる状況を感じて、彼女から他のキャラクターを見て、彼女の気持ちに共感できるからこそ、彼女しか言えない言葉を言わせことができるんですね。嬉しけど寂しいなんて、複雑な表情も簡単に描けてしまうんだと思います。

 

展開が遅い遅いと言われる「彼女、お借りします」ですが、気持ちの流れがすごく丁寧でリアリティがある、ふたりの関係性の変化をしっかり見せている、そういう魅力に溢れているように僕には映っています。そこはきっと宮島さんの”演技”への拘りがあるのかもしれませんね。

とういう感じで、「演技」という視点で、「彼女、お借りします」の魅力を語ってみました。宮島礼史さんが描く千鶴の、繊細な”演技”にも注目してみてください。

 

では、次の記事で!