私がここまで語ってきたことは、多くの宗教家、心理学者、哲学者がもう既に説いています。只、私なりの解説を述べているに過ぎないのです。古代ギリシャ、いや、もっと昔の古代アトランチスを始め、アマン、モーゼ、釈迦、キリスト等々も同じことを説いている。そして、現代に置いても、次々と高級霊者たちがこの地上に降りて、現実、現象的に説き、ネット世界でそれを広め、何千万と言う信者を集めている。 しかし、何故、こんなに繰り返し説かれているものが、現代でも、多くの人が苦難に陥っているにも係わらず、知識的には理解していても、それらを、自分の人生に取り込もうとしないのだろうか。

 

世界で認められている聖霊達、そして地域的に求められている高級霊たちが説かれた法は、基本的には同じものです。又、同じものでなければならないのです。何故なら、大宇宙大自然界は一つです。諸々な聖霊達、高級霊たちの出身界は次元は異なるかもしれないが、同じ天上界です。そして、この地上界で、現在肉体を持って修行している人たち、宗派、肌色、男女、生まれ故郷等々関係なく、全ても同じく天上界が出身界です。

 

このように完全に統一したものが、何故人間たちには異なった法のように受け取られたのだろうか。 先ず、大宇宙大自然界の法則は「自由」が基礎方針です。その中で、作用反作用の掟が定められています。これは絶対固定化され、如何なる高級霊達え、誰も逆らうことは出来ない。その一方、如何なる高級霊、聖霊達でも、一旦、この地上界で肉体を持ったら、一般人間と同じく、10%の潜在意識でこの地上界での人生をスタートします。そして、自分の使命を悟り、果たすことになっています。そんな中、やはり、法を説くに至って、その環境に応じて、個性的に伝えていきます。例えば、アマンは処罰、モーゼは現象で、キリストは愛で、釈迦は慈悲で、と言うようにです。しかし、根本的には、それら全てが同じ方向に向けられているのです。それは、多くの人類が意識している神、即ち、大宇宙大自然界です。

 

大宇宙大自然界の基礎方針が定めた自由に応じて、聖霊、高級霊を始め、私たち人類一人夫々の個性を生み出し、この地球に置ける多くの人類を迷わせてしまったのではないかと、私自身は思っています。 

 

次回に続く・・・