前々回、私は「神の存在を追究するのは、先ず、諦めること」と言いました。何故なら、神を完全に認識することは、この世に置ける人間には不可能に近いものです。そして、如何なる高級次元の聖霊でも、完全に説いたものは居ないのです。仮に、それでも、神の存在を知りたいとするならば、神自体の存在を追究するより、己の身近らものを追究することです。

 

私はマクロ世界(大宇宙界)とマイクロ世界(素粒子)は、時間と空間を無にしたら、全く同じ世界だと思っている。 只、現象界(物質界)に依存している私たち人間は時間と空間に惑わされ、その感覚が分からなくなっているのです。この世界全てが相対的関係で仕組まれている。物質的に例えれば、菌の世界でこの人間の体をどのように見ているだろうか。多分、人間が自分が住んでいる地球を見ると同じ感覚で見ているに違いない。 菌の世界を人間の生の目で見ることは出来ないが、確実に存在しているのです。 只、物質世界は空間で現象されているが故、異なって見えるだけです。

 

多くの哲人は太陽を神の代表的存在と説いている。この地球を含む太陽系の惑星に取っては、もっともである。太陽が放つ無限、無償のエネルギーは言うまでもない。それでも理解できなかったら、もっと身近なものも参考にしたらどうだろう。例えば、私たちを囲む空気である。空気は見えないが、確実に存在し、その存在はこの地球に置ける万象万物には絶対欠かせないものです。このように、この大宇宙大自然界は、物質的現象だけでも、あらゆる物事で、神の存在を私たちに示しているのです。

 

しかし、人間は複雑なものです。目の前にあるものを無視し、手に届かないものばかり追いかけ、自ら、自分の人生を混乱させ、自ら苦しみ、悩み、苦労を作り上げているのです。今までの人生を振り返って見れば、私自身も同じ複雑なものです。